11:裁きの日
侯爵家での穏やかな日々ばかりではない。
ついに、ティリット王国から調停の為の特使がやってきたのだ。
否、特使などという話ではない。
ティリット国王ドミニク・ティリット陛下その人がハンフリーズ帝国を訪れたのだから。
帝国を訪れたのは、国王陛下だけではない。
私の夫であったロバート第三王子も一緒に来ているという。
当事者として会談に立ち会うようにと言われたものの、ロバート王子も一緒と聞いて、お父様とお兄様、そしてエドガーは苦い表情を浮かべていた。
「これ以上、シアに嫌な思いをさせるのは……」
「私ならば、大丈夫です」
皆が気遣ってくれるのは嬉しいけれど、この決着は、避けては通れないものだ。
私自身が、しっかりと見届けなければならない。
会談が行われる議場は、ピリリと張り詰めた空気で満たされていた。
特に皇帝陛下、お父様とお兄様、そして第二皇子であるエドガーの視線がティリット王国の面々に突き刺さっている。
「よくもその愚か者を我等の前に連れてこられたものだな」
舌戦の口火は、陛下によって切られた。
「は、ですが偉大なる大賢者シモンが作ったといわれる毒は、数滴摂取しただけでも重度の後遺症をもたらすと言われております。王子妃、いやご令嬢が摂取したなどと、何かの間違いでは……」
ティリット国王が、額の汗をハンカチで拭きながら答える。
息子が毒を盛ったことを認めてしまえば、国際問題だものね。
彼としては、そう言うしかないのだろう。
「なんという面の皮の厚さか……おい、あれを持て」
「はっ」
皇帝陛下の命により、侍従がトレイを差し出す。
薄布が掛けられた盆の上には、証拠となる品──私にとっては想い出の品でもある、サファイアのネックレスが置かれていた。
美しかった青色の宝石は無惨にヒビ割れて、今ではどす黒い靄のような物が纏わり付いている。
「これは、我が息子がシンシアに持たせたものだ」
「は……?」
ティリット国王が、目を見開いて亀裂の入ったサファイアを見下ろす。
「これには持ち主が受けた傷を肩代わりする保護魔法が掛けられていてな。見るも無惨な姿に変わり果てた訳だが……それでもシンシアに異常が無かったと言うのか?」
「そ、それは……っ」
そう言えば、どうして私が助かったのかは国王陛下に伝えていなかったものね。
彼にとっては、こんな証拠品があるだなんて、寝耳に水だろう。
「大賢者シモンの毒は、国際法で精製も売買も禁止された品だ。その製法は、ティリット王国では唯一魔塔にのみ伝わっていると聞く」
「は、はい……」
「それなる第三王子が事件の数日前に魔塔に出入りしていたことも、既に調べは付いて居る。これでも彼女が毒を盛られていないと申すか!?」
可哀想に、指摘された国王陛下の顔色は、蒼白を通り越して土気色だ。
唯一、当のロバート殿下だけは、ふて腐れたような表情を浮かべている。
第三王子として甘やかされて育った彼のことだ、たとえ帝国の皇帝が相手とはいえ、王族である自分が裁かれることはないだろうと高をくくっているのかもしれない。
……そんな訳がないのにね。
「も、申し訳ございません!!」
「ち、父上!?」
突然ティリット国王が席を立ち、その場に膝を突いた。
父王の行動に驚いたロバート殿下があんぐりと口を開け、その様子を見つめている。
「息子はかねてより懇意にしていた公爵家の令嬢に、甘言を弄されており……」
一国の主が、磨き上げられた床に額を擦りつけんばかりに、平伏している。
「あの悪女が息子を謀り、ご令嬢を葬らんとしたのです!!」
なるほど……全てはネリー・エヴァーツ公爵令嬢のせいという筋書きのようだ。
確かに、それも間違っている訳ではないが……彼女一人に全て押しつけるというのは、少し勝手過ぎやしないだろうか。
「全ては、あの悪女が企んだこと。つきましては……」
国王陛下が指示を出すと、議場の入り口付近で待機していた従者が、陶器で出来た壺のようなものを持って駆け寄ってきた。
それを受け取ったティリット国王が、皇帝陛下へと壺を差し出して、蓋を開ける。
「──既に、罪人は罰しております」
むんと、議場に奇妙な空気が立ち込めた。
一抱えほどの、陶器の壺。
その中に、一体何が収められているのか……とても、見たいとは思えない。
壺を皇帝陛下の前に差し出し、媚びへつらうような表情を浮かべるティリット国王の傍らで──ロバート殿下は、唇を噛んで俯いていた。
「こんなもので、手を打てと?」
しかし、皇帝陛下の声は、どこまでも冷ややかだった。
「何卒──両国間の関係を悪化させるのは、得策ではありますまい」
「悪化させたくないのは、そちらの事情ではないのか?」
「そ、それは……っ」
ティリット国王の額は、滝のように流れる汗で濡れ光っていた。
「この政略結婚だって、元を正せば御主が言い出したことではないか」
……そう。
私とロバート殿下の結婚は、ティリット国王の発案だった。
あまりに強大になりすぎた帝国と繋がりを持つことで衝突を回避し、さらには他国を牽制する狙いもあったのだろう。
多少強引過ぎるほどに推し進められた婚姻で、まさかこのような目に遭うとは思わなかった。
ロバート殿下が情勢に疎かったことと、帝国に対しては機嫌を取りながらも、国内ではそのような振る舞いを気取らせないようにしていたことが原因だろう。
「ジェイラス、こちらの状況を報告してやれ」
「はっ」
皇帝陛下の言葉を受けて、皇太子であるジェイラス殿下が立ち上がる。
「既に国境付近には、フレーザー騎士団長率いる帝国騎士団八万の兵を待機させています。陛下の号令により、いつでも進軍出来る準備は整っており──」
「お、お待ちください皇帝陛下!!」
ジェイラス殿下の声を遮るように、ティリット国王が悲痛な声を上げる。
その背後で、ロバート殿下はいまだ状況が飲み込めぬと言わんばかりに、黒い瞳を大きく見開いていた。
「な、なぜですか……どうして、たかが侯爵令嬢の為に、そこまで……?」
これが、彼の本音だろう。
その一言に、議場に居並ぶ皆の表情が強張ったことにさえ、気付いてはいない。
「たかが侯爵令嬢……だと?」
最初に声を荒らげたのは、エドガーだ。
彼ほどではないが、皇帝陛下とジェイラス殿下も、また鋭い眼差しをロバート殿下に向けている。
お父様も、お兄様も……その一言でハンフリーズ帝国の皇族を敵に回してしまったことを、ロバート殿下だけが、いまだ気付けていない。
「馬鹿者、我が国の侯爵家と帝国の侯爵家を一緒にするでない! 帝国の侯爵家は、我が国の公爵家以上の権力を持つのだぞ!!」
「んなっ!?」
どうやら“侯爵”という爵位だけを見て、国力の差は考えてもなかったらしい。
なるほど、彼がエヴァーツ公爵令嬢にご執心だったのは、そのせいか。
ことあるごとに彼女と比べていた、その理由がようやく分かった。
「やれやれ、王子殿下は随分とお勉強が苦手なようだ」
無知なロバート殿下を嘲笑うような、皇帝陛下の声が響く。
「侯爵令嬢だからとか、そんな話ですらない。シンシアは、我が姪。私にとっては、可愛い妹の忘れ形見だ。貴様は私の家族を手に掛けようとしたのだぞ」
「そんな……」
ことここに及んで、ロバート殿下もようやく自分がしでかしたことの重大さを理解出来たようだ。
ガクリと、膝から頽れる。
「さぁ、選ぶがいい。このまま我が騎士団に国を滅ぼされるか、それとも大人しく愚かな息子の首を差し出すか」
陛下の鋭い視線が、ティリット国王を射貫く。
国か、それとも自分の息子か。
どちらかを選べと、哀れな国王に突きつけているのだ。
「……我が息子ながら、愚かなことを致しました。この罪、如何様にもお裁きください……」
「父上!!」
ロバート殿下の悲痛な声が響く。
もはや、彼を庇う者は、誰も居ない。
「連れて行け」
皇帝陛下の指示で、騎士達がロバート殿下を取り囲む。
連行される間、父である国王の視線は一度たりとも息子に向けられることはなかった。