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植物よりも静かなもの

作者: 夏野 篠虫

 実家のリビングに木が2本、生えていた。

 帰宅して突拍子もない状況になったわけだが私は案外冷静に受け止めていた。



 私は何よりも植物を愛している。

 植物は掛け値なしに素晴らしい。涼しくて大人しい。そしてなにより喋らない。

 人間はうるさい。うるさ過ぎる。常に熱を辺り構わず放出する。せわしなく動き回って地球全体にわずか数百万年で広がっていった。

 植物は癒しをくれる。精神安定に必要な化学物質を放出し、何より酸素の生産という動物の生存に不可欠な分子を作り出してくれる。

 人間は無駄に複雑で雑多な社会構造を作り上げた挙句、ストレスしかもたらさない。二酸化炭素をまき散らすばかり。まるで他の生物の役に立たない。


 そんな嫌悪極まる生物の人間である自分が腹立たしい。

 どうして自分は人間として生まれてきたのか。

 この世に生を受けたことは一切後悔しないが、それにしてもなぜ人間だったのか。誕生前に神の選別があったのなら今からでも理由を尋ね、他生物への転生を直談判したい。まあ神の存在なんて端から信じていないが。

 幼少から偏った思考回路を持った私は自覚がある分、非常に大人しく一日の反抗期も迎えることなく成人した。コミュニケーション能力の低い私を心配していた気の小さい両親との仲は比較的良好だ。学校の出来事を話さず友人も少ない私と意味ありげな間を入れながら何事も肯定してくれた父と母。お互いどう思っているのかわからないことが多かったが、大学卒業まで支援してくれたことには感謝している。

 そうして私は大学院博士課程を経て植物学者になった。

 正確には植物分類学の准教授として大学に勤めている。

 日夜研究室に籠り、自身の掲げる仮説を立証するべく作業に没頭する――なんていうことはなく。平日はやる気のない学生らを卒業させるために必要な講義の準備等に追われ、総務課への書類作業は山のように重なり、大学とは研究費の増額について協議という名の一方的な要望を突っぱねられ……。

 日が暮れて数時間後、ようやく自分の時間ができる。ほとんど泊まり込みで研究を進める。かろうじて睡眠を取ったら、朝日の眩しさに叩き起こされる。休日がない。

 植物が好きでこの仕事を選んだ。

 なのに関わる時間量は圧倒的に人間多数。なぜだ?

 なぜ私はこんなことをしているんだ?

 30歳半ばを超えた社会人として、たった一人でこの世界を生きられると思春期を拗らせた中学生の誇大妄想みたいな信条は全くない。人間社会に身を置く私は当然人間である他者の助けを借りなければ研究どころか生きてすらいけない。

 でも、違うのだ。

 流されるまま大学に入り、遊びとバイトで時間を溶かす夢も希望もない享楽的な若者の、出来損ないの社会的自立に必要な資格取得のための単位配布ロボットではない。

 旧態依然の教授陣と政府の言いなりの大学側との間に立って、小言を言われ雑務ばかり押し付けられる、嫁ぎ先で小姑に虐められ居心地悪くなるような状態を強いられるために存在するのではない。

 植物と触れ合い生きるため、それを仕事にするためにやりたくない勉強を必死こいてやってきた。人間との時間でこれ以上人生を浪費したくない。

 私は持てる精神力と僅かばかりの権力を以て、一年間の研究留学にこぎつけた。

 憧れの南米で毎日植物採集と分類をする。夢の具現化。理想郷のような生活。

 現地研究者は非常に快く私を迎え入れてくれ、推し植物やこの先の研究についてを肴に地酒を交わし合って毎夜植物談義に花を咲かせた。植物だけに。なんてつまらない洒落を口にしたくなるほど楽しい日々だった。


 そして楽しい日ほど過ぎるのが早いのも世の道理。

 帰国の日。家族のように親しくなった研究者とその家族たちと空港のロビーで涙ながらに別れを惜しんでくれた。その様子に人間嫌いの私が不覚にもグッときてしまった。

 飛行機の窓から眺める異国の地はもはや第二の故郷のように馴染みある風景に感じた。

 いつか必ず戻ってくる。そう決意を胸に抱いていた。



 そして日本の自宅にて。

 大学の研究室に帰国の挨拶を済ませ一旦帰宅したところ、それを見つけた。

 木だ。

 リビングに木が生えている。

 両親は不在のようで、整頓された家の中は出国前と何ら変わりなかった。仮に家具の配置が変わったりしていても、大学に寝泊まりすることが多い私が気づけるとは思えない。

 誰にという訳でもないが世間体を気にして空港で買ったバナナのお菓子を机に置き、冷蔵庫の中から作り置きの麦茶をコップに注いで一休み。

 目の前の木を眺める。

 根元が癒着した2本の木が伸びている。

 どちらも全体は薄い茶色で、所々黒や灰色が混じった樹皮をしている。床から天井に向かって緩やかにすぼまっていくような形。枝葉は無く、身長170センチの私より少し上の辺りで2本に分かれている。花も咲いてないが一部のキノコ類のような独特なにおいを発している。

 見たところは広葉樹系の質感。カゴノキのような鹿の子模様ではないし、クヌギやアベマキのように縦割れの樹皮でもない。

 そっと触ってみる。暗めの色で滑らか、ひんやりと冷たく軽い感触。生木というより乾燥した材木のようなイメージが湧いた。

 なんで木が生えてきたのか。

 難解な問題だ。もちろん気になる。

 だが生活するうえで問題があるだろうか?

 私はほとんど家に帰らない。リビングでくつろぐこともないので、部屋の中央を陣取る木があっても差し支えない。

 両親がテレビを見るときに邪魔になるだろう。圧迫感もある。移動するにも妨げにはなりそうだ。

 だが冷静に考えてみよう。このサイズの木が寝て起きたら生えていた、なんてことはいくらなんでも考えにくい。とすれば両親はある日突然床から生えてきた数センチの幼木を発見したあと、それを撤去せず成長を一年見守ってきたのではないか?

 子どもの進学や成長に関しても大した関心を払ってこなかった人たちだ。趣味も特になく休みの日に出かけた記憶もほとんどなければ一緒に遊んだことすらない。家の中に木が生えてこようが無関心であってもおかしくない。それくらい変な両親だ。何かが欠けている私にふさわしい親ともいえる。

 木が生えてきた理由は何だろうか。私が無類の植物好きだとしても、木が生えろと念じたわけでもないのに不可思議現象が起きるわけがない。

 葉が多ければ掃除も大変だし、花が咲けば虫がやってくるかもしれない。しかしそのどちらもこの木には見られない。樹木として考えればかなり不自然な特徴だ。まるで枯木のような外見である。

 珍しい種類だろうか――いや聞いたことがない。光合成をしない植物は存在する。寄生植物や菌従属栄養植物の類は葉緑素を持たないため光合成できない。

 サボテンなどの多肉植物の可能性はある。枝葉がないことはこれで説明できる。ただこの仲間は成長に時間がかかる。この大きさ――成人男性の身長より高い――になるには長いと数十年かかる。そもそも日本にそんな巨大多肉植物は存在しない。

 家の中に生えてくるような植物に過去の知見が通用するかと言われたら、否定しきれない仮説が山のように生まれてしまう。現時点の私の知識では答えが出せない。

 新種である可能性も十分ある。だがどの種類に近いかすらわからないとなれば記載するための調査に途方もない年月を要する。他の研究もあるのに、それは割に合わない。まずはある程度の科属を絞り込まなくては。


 長旅で疲労した脳を回転させて可能性を探っていく。しかし明確な答えはおろか、おおよその検討すらつかない。木のにおいも思考を阻害する。

 目の前に生えている木。

 どこからどう見ても木にしか見えない。だがこれは本当に「木」なのだろうか?

 一口、温くなった麦茶を飲んで、改めて考えてみる。

 人間の目は信用ならない。

 いま目の前に見えているものが本当に見えているままのものかどうか。脳の処理エラーによる錯覚ではないか。

 確かに私の目には木、もしくは植物の一種に見える。

 だがそれは私が植物学を学び、植物を愛し、植物を第一に考え生きているからこそみえている世界なのだ。他を優先する人が見れば全く違う見方をするかもしれない。

 既知の植物とは異なる生態を持つ木、ではなくそもそも木ではないとしたら、植物の常識が当てはまらないのも納得できる。

 自らの限界を素直に認め、恥ずかしがらずに分からないことをわからないと認められる。良い科学者とはそういうものだと常日頃から学生たちに言っている。

 つまり私の知識で解決できる問題ではなさそうだ。

 であれば誰か他人の知恵を頼るしかない。

 真藤教授に連絡するのは面倒だ。この程度の借り一つにしてもあとでどんな面倒事を任されるかわからない。別室の呉埼助教も駄目だ。見返りに何を要求してくるか、しかもねちっこい罵倒もセットで付いてくる。

 いくつもの候補を挙げては却下し、消去法で他大学だが以前共著で論文を発表した桃井教授に連絡することにした。

 スマホでリビングの写真を撮りメールを書く。

 しかし、久しぶりの、しかも電波を疑われかねない内容に真面目な返信が来るか不安になったため、写真を撮り直し、なるべく屋内だとわからないように木の特徴が分かる写真を数枚添付して当たり障りない文面で送信した。すぐには返ってこないだろう。


 さてどうしたものか。


 暇になったのでまだ確認してなかった木の周囲を回ってみると、後ろ側に椅子が2脚転がっていた。ダイニングテーブル用の4脚中のうち2脚だ。何でこんなところに。

 椅子の側には白くて薄いものが落ちていた。

 何も書かれていない、無地の封筒だった。

 拾い上げると中には紙が入っていた。

 取り出すと、丁寧に三つ折りされた手紙だった。

 ボールペンで縦書きされた文章。右端には宛名として私の名前が書かれていた。

 心臓が大きく跳ねた。

 

 私はこぼした砂粒を拾い上げるように文章を読み出した。




 読み終えた頃、手紙は手汗で湿って冷えていた。

 内容はうまく頭に入っていかなかった。大きな津波が来ているけれど、遠くの異変をぼんやり眺めているような感覚に陥った。

 スマホにメールの通知音と、続いて着信音がけたたましく鳴り出した。

 血流が足に集中していくのを感じると、目の焦点が合わず視界が歪んでいった。

 訳も分からず動揺したまま顔を上げると、見えていた木は――

 根はぐずぐずに腐敗した何かの物質。樹皮は衣類と黒ずんだ皮、停止したシーリングファンにくくり付けられた2本の綱が垂れ下がる幹は穴が空き亀裂が生まれ、内部の堅い白色が見えるほど乾燥し、かすかに揺れていた。

 それは両親だった人間にとてもよく似ていた。



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両親の首吊り自殺体を、理解を拒んだ脳が「木」に変換したのかな。存外、人間らしい感性──現実逃避の精神防御──を持っていたみたいですね。 太古の昔、生命が海中にだけ存在していた時代。酸素を生成する光…
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