#02:眩しい姉妹と無用心な兄弟
「それはそれは…大変だったのね」
隣家である古閑宅に上げて貰うこと早十分。伊澄達は先程の出来事を話していた。
「それにしても凄い偶然ね」
夏芽の姉がふふっと笑う。実際、本当に偶然であるから、伊澄はただハハ…と言うしか無かった。
そして気まずさの「き」の字も感じられないほどくつろいでいる弟を軽くど突く。
「ご迷惑をお掛けしてすみません…ほら、お前も何か言え」
伊澄の弟・千夜は、はーっと溜め息を吐くと面倒臭そうに伊澄を眺める。
「家に上げて貰った感謝はもう伝えたよ」
「そういうことじゃなくてな…」
だってたとえお礼を伝えたからと言って、こんなにものんびり出来るだろうか。それとも、伊澄が異様に緊張しているだけなのか。
「まあまあそんなに気にしないで。これくらい、どうってこと無いから」
「そうそう!」
伊澄はこの姉妹に深く頭を下げたくなった。そして、暫くは頭を上げられないな、とも思った。
「本当、なんとお礼をしたら良いか…」
「いーんですよそういうのは。お礼目当てじゃないんですから。ね、怜世?」
「そうね。あ、自己紹介まだしてなかったね。初めまして、私は古閑怜世。夏芽の姉で、高等部二年生。宜しくね」
「あ、はい…宜しくお願いします」
正直に言うと、伊澄は姉妹に見惚れていた。
夏芽が中学生らしく少しあどけなさを感じるショートヘアとは対照に、怜世はセミロングの髪をふわりと肩に下ろし大人っぽい雰囲気を醸し出しており、ハープのように柔らかく響く声とラベンダーの淑やかな香りが辺りに舞う。宝石を嵌め込んだかのような大きく綺麗な瞳と長い睫毛、そっと持ち上げられる唇は二人共よく似ており、家族の繋がりを感じさせた。何が言いたいかというと、大変美人な姉妹である。近くにいるだけで、並の男子は上がってしまうだろう。
そんなことを考えながらちらっと隣を見ると、千夜は話に興味なさそうにボーッとしていた。
(…もしかしてコイツ、この状況に何も思ってない…?!)
我が弟ながら大した肝の据わりだ、とある意味感心していると頭にある疑問が浮かんだ。
「そういえば千夜、俺の連絡気付かなかったのか?」
「んー?」
気怠そうに伊澄を見た千夜は、少し考える素振りを見せた後、あっ!と思い出したのか目を見開く。なんとなく、伊澄は嫌な予感を覚えた。
「なんか履歴あるなーって見てたら電池切れた」
要するに、全く気付かなかったということである。伊澄は頭を抱えながら深くため息を吐いた。
「じゃあ、鍵は?」
半ばヤケクソになって伊澄は尋ねる。千夜が鍵を持っていれば伊澄達は無事に家に入れるのだから、姉妹に迷惑をかけることも無くなる。
「?持ってる訳ないじゃん」
「自信満々に言うことじゃないだろそれは…」
返答は予想通りというか何というか。冷静に考えて、友人またはカレカノ関係でもないのに女子高生が住む家に上がっているのだ。伊澄はもうこれ以上考えないことにした。
「ていうか誰かに連絡しなかったのか?そんな状況なのに」
いくら千夜があらゆる状況に動じにくかったとしても、流石に鍵がないことには焦る筈だ。少なくとも伊澄は、千夜が鍵を持っていないと分かっていたらすぐに学校に戻っただろう。
「しなかった。充電あと3%しかなかったし」
「お前な…」
無用心にも程があるだろ、と呆れた表情を見せる。
「それに、鍵家にある訳じゃないし」
「…は?」
それってつまり盗難では…と伊澄の全身に寒気が走った。
しかし当の本人は全くと言っていいほど危機感のない顔をして言葉を続ける。
「学校に置いてきた」
「はい⁈」
何を言えばいいのか分からず、伊澄は特に気にしていない様子の千夜の肩をガッと掴んだ。
「だから、鍵入れてた鞄を学校に置いてきた」
「ああそういうこと…」
そう言われ、少し安心したように肩から手を離す。
暫くして伊澄は、ん?と首を傾げた。
「なんで取りに戻らなかった⁈」
「なんでって……面倒臭いから」
「…はあああ⁈」
この時ばかりは、普段の伊澄なら出さないであろう大声が部屋中に響き渡った。
「弟が大変ご迷惑をおかけしました…」
伊澄は怜世に向かって頭を下げた。
聞けば、家の前で座り込んでいた千夜に驚き事情を尋ねた怜世が家へ上げてくれたらしい。そんな弟の様子を知った伊澄は今日一番申し訳なく思った。
「そんな気にしないで。鍵を忘れることくらい、誰だってしたことあるわよ」
怜世のフォローを受け、伊澄はほんの少し気持ちが軽くなった。
一息吐いてちらっと千夜を見ると…
「千夜さん、ですよね?何年生ですか?」
「中二…」
「てことは私が一番下かー。趣味とかありますか?」
「えっと、ゲーム…」
「ゲーム!良いですね、どんなゲームをするんですか?」
「色々…バトルとか冒険とかよくする」
「なにそれカッコいいです!」
夏芽に質問攻めにされていた。
急に沢山尋ねられあたふたする千夜を黄金色の大きな瞳が更に見つめる。マイペースな千夜が戸惑う様子は珍しく、伊澄はその様子を暫く見ていた。
「すご…あの千夜が慌ててる」
「あれは完全に夏芽のペースに嵌められてるねー」
好きな食べ物や得意な科目、誕生日や血液型などプロフィール欄がすぐに埋まってしまうほど沢山のことを聞かれ、千夜は少し疲れたような様子を見せる。
ここまで他人に尋ねられたのは初めてであったのだ。
「あの子凄い…」
千夜が伊澄に寄りかかって、ぐったりしたようにはぁーと息を吐く。
「若さって凄い…ていうかあの空間が凄い。絵か何かだよ」
「一つしか違わないだろ。まあでもあれだけ聞かれれば多少は疲れるか。ていうか俺、お前があんなに話すの初めて見たかも」
そう言い、楽しそうに怜世と話す夏芽を見る。
うんうんと相槌を打ちながら頭を撫でる怜世と、次々と嬉しそうに話しをする夏芽の様子は、確かに非常に穏やかで絵になる空間であった。
「そうだ、伊澄さんは趣味とかありますか?」
再び瞳を輝かせながら夏芽は伊澄を見る。そして、夏芽の質問攻めが始まった。
「得意科目かー…美術かな」
「えー一緒です!私も美術得意です!」
「でも理系は苦手なんだよなー。数学とか特に」
「分かります!中学校の数学、思ってたよりも難しいですよね」
「本当それ」
夏芽が毎度反応してくれることに加え、表情がコロコロと変わるため、伊澄は自分でも驚くほど楽しく会話をしていた。それは夏芽の純粋な「相手を知りたい」という気持ち故だろう。
いつの間にか千夜や怜世も話の輪に入り、気が付けば数十分が経っていた。
「あ、もうこんな時間だ」
時計の針は、5時半をとっくに過ぎてもう6時になろうとしていた。
もしかしたら、兄が家に帰っているかもしれない。その時家に誰も居なかったら、要らぬ心配を掛けてしまう。伊澄はハッとして、そろそろお暇します、と言おうとした。
「ただいまー」
ガチャリと扉が開く音が聞こえたかと思うと、やや低めの女子の声に混じってお邪魔します…と言う声が小さく聞こえた。足音が段々と大きくなり、リビングのドアが開く。
「あのさ、救急箱ってどこに置いたっけ…って」
開口一番そう尋ねたその少女に、伊澄は見覚えがあった。
後ろで一つに束ねられたワインレッドの美しく艶やかな髪と、若干ツリ目がちな二重瞼から覗く柘榴石のような深紅の瞳に、怜世や夏芽とそっくりな顔のつくり。
少女も伊澄のことを知っているのか、とても驚いたような顔をする。
「古閑さん⁈」
「西木野⁈」
何を隠そう、同じクラスの古閑千景であった。
「なんで家に居んの⁈」
「まあまあそれは後で説明するからっ」
夏芽が宥めると、千景は若干不服そうに伊澄を見た。伊澄はその視線に気付き、反射的に目を逸らす。
「そういえば、どうして救急箱を?どこか怪我したの?」
怜世が心配そうに千景を覗く。
「いや、アタシじゃなくて…」
千景が何か言おうとした時、突然リビングの扉が開き、同じ制服を腕捲りした背の高い男子が現れるとその場にいた全員が男子に釘付けになる。左腕に当てられたタオルは少し赤色が滲んでおり、どこか痛そうだ。怜世や夏芽は心配そうな目をする。
しかし、伊澄と千夜は腕のことは頭に入って来なかった。それよりも先に言葉が出る。
「朔馬…?」
そう呼ばれた男子も、え?と伊澄達の方を見る。
「伊澄…と、千夜…?どうしてここに…」
「え、二人共知り合い?」
千景が伊澄と朔馬(と言われた男子)を交互に見る。
そんな様子を見ながら、千夜は一人「デジャヴ…」と呟いた。
伊澄もまた、(あれ…このやり取り…)と既視感を覚えていた。
「知り合いというか…兄弟…」
「…はあ?!」
千景の叫びにつられ、二人の姉妹も大きく眉を上げてええっ⁈と言った。
今回も、最後までお読み頂きありがとうございます。
これから出来るだけ定期的に投稿していきたいと思っています。