#01:出会いは突然と
「あー…どーしよっかなー…」
暖かい春の陽気さとは裏腹に、西木野伊澄の内心は居ても立っても居られなかった。
まさか家の鍵を忘れるなんて、とため息混じりに頭を掻く。
伊澄の家はマンションであるが、今日はエントランスを先に行った人に続いて入ったため、自分が鍵を持っていないことに気付かなかったのだ。
(一旦学校戻るか…?)
学校に戻れば、部活中の兄と会うことが出来る。しかしそこで、でもな…と一度思考を止める。
伊澄は自己主張があまり得意ではない上、他人の目を気にしすぎる体がある。故に、下校中の生徒達の流れと反対方向に進むのは、いささか乗り気ではない。かと言ってずっと家の前で立ちすくむのも気が引けるし、良い解決策とは言い難い。
一応、弟にもメールと電話をしたのだが一向に連絡がつかない以上、どうしようもない。
この際仕方ない、と意を決して学校へ行こうとした時、耳に柔らかい声が響いた。
「ねえ、どうしたの?」
鈴のように軽やかなその言葉は、まるで天使の囁きのように落ち込みかけていた伊澄の心に差し込んだ。
ハッと顔を向けると毛先がくるりとした淡いブロンドヘアに、黄金色の綺麗な瞳、きゅっと両端が上がった花弁のような唇、傷一つない陶器のような艶やかな顔や頬に、小柄ながらも凛とした佇まい。それらと合わさったパリッとした白いシャツとキラリと光る同じ校章も全部、陽光に照らされて眩しく輝いている。
日の光のように優しく柔らかく、それでいて微かに心配心が混じったような声に、微風に漂う春の花のような匂い。
一瞬、本当に天使かと思うほど可愛らしい少女がそこにいた。
「え…あ、いや、その…」
少女は言葉を探る伊澄をジッと見つめる。その大きな目に吸い込まれないよう、伊澄はなんとかこの現状を簡潔に説明しようと頭を巡らす。
「鍵…家に置き忘れて…」
「えぇ⁈大丈夫⁈」
少女の予想以上の心配には驚いたが、続けてこれから学校に戻ることを伝えようとする。
必要以上に心配を掛けられるのは、伊澄にとってかなり気を遣う。出来るのならば、速やかに別れたいところだ。せめて感謝の気持ちを込めて、笑顔を浮かべる。
「まあでも、これから学校戻るよ。兄が部活中だし」
「でも、部活が終わるのって確か五時半過ぎじゃ…」
時計の針は、現在四時半を示している。家から学校まで特別離れているという訳ではないが、夕方のこの時間は交通量も増えてき、道の安全性は大丈夫とは言い難い。そして、もし兄とすれ違って会うことが出来なかったら、伊澄の労力は無駄になってしまう。
恐らく、少女はそのことを案じてくれているのだろう。
「うん。でも、ここでただ待ってるだけじゃ勿体ないし」
こういう時は、自分がここを動くことを伝える必要がある。そうしないと、お互い気を遣うようなことばかり言って気まずい雰囲気になるからだ。
「……」
少女は黙ったかと思うと、ふーむ…と何かを考えていた。あまりに悶々とする様子を心配に思った伊澄が声を掛けようとすると、突然そうだ!と手を叩いた。
閃いた!と言わんばかりにキラキラさせた瞳は、何か変な予感を伊澄の身体中に走らせた。
「お兄さんが帰って来るまで、私の家で待つのはどうかな?」
「え…?」
伊澄は耳を疑った。何せ、今会ったばかりなのだ。いくら伊澄がピンチな状況だからと言って、普通に考えて初対面の男子中学生を家に入れようとする女子はいない。
幻聴だ、と言い聞かせようとするが、曇り一つない少女の瞳が嘘じゃないと言っている。
「え、いや…えぇ⁈何で…?」
「困った時はお互い様でしょ?それに、私の家そこだもん」
少女は伊澄の隣家の扉を指差す。つまり「お隣さん」ということだ。
納得したようなしていないような小さな溜め息を吐いた後チラリと扉を見ると、そこには「古閑」と書かれた表札が掛かっていた。
表札を見つめる伊澄の視線に気付いたのか、少女はフッと少し口角を上げる。
「私、古閑夏芽。青涼学園の中等部一年生。貴方は?」
聞きたいことは沢山あったが、とりあえず少女・夏芽の質問に答える。
「西木野伊澄…中三…です」
「伊澄さんですね!宜しくお願いします!」
先輩だと分かったからか、夏芽は敬語を使いながら軽く頭を下げる。
慌てて伊澄もこちらこそ、と頭を下げた。まさか二つも年下だとは思わなかったのだ。
「では伊澄さん、私の家で待つってことで良いですか?」
「それは…」
断ろうとしたが、キラキラとしていた瞳が僅かに震えたのを感じ、続ける言葉を変更する。
「お言葉に甘えさせて頂きます…」
「!」
伊澄の言葉を聞き、夏芽の表情がパアっと明るくなる。全身から喜びが溢れている様子は、伊澄の目に眩しく映った。
そして、夏芽が扉に手を掛けると同時に伊澄の鼓動も速くなっていく。
「あ、鍵無いんだった」
ガッと引いた扉が開かないことに気付くまで数秒かかった。
「…えっ?」
張りつめていた糸が静かに切れるような感じがし、思わず変な声が出る。少し遅れて、なんだか不思議とおかしさが湧いて来た。
「…ふっ」
自然となぜか笑いが零れ、夏芽の不思議そうな視線を感じる。途端にハッとし、弁明しようと言葉を探す。
「あはは!お揃いになっちゃいました」
てへへ、と夏芽が手を頭に当てる。つられて伊澄もハハと笑った。
「じゃあこれからどうしようか」
「その心配は大丈夫です!今日は姉が早く帰っているはずなので」
なら良かった、と一息ついている間に夏芽は呼び鈴を鳴らす。ピンポーンと高い音が鳴った後、はーいと言う女性の声が聞こえた。
「鍵忘れちゃって、開けてくれる?」
「りょーかーい」
プツッと音が途切れる。お姉さん居て良かったな、などと話していると、思いの外早くガチャリと扉が開いた。夏芽はごめんねー、と言って扉から出て来た相手を見る。
「あと、お隣の伊澄さんが鍵忘れちゃったみたいで、暫く家に上げても…」
柔らかい夏芽の声は途中で切れた。黄金色の瞳はまん丸になり、上手く状況の理解が追い付いていないといった感じである。ついでに伊澄も言葉を失っていた。
「えっと…お姉ちゃんの彼氏、とかですか…?」
扉から出て来たのは、同じ制服を着た比較的背の高い男子であった。自分の家から知らない人が現れたことに、夏芽は困惑の表情を浮かべる。さっき聞こえた声は間違いなく姉のものであった。しかし今自分の目の前にいるのは見ず知らずの男子である。
一方、現れた男子も驚いた表情をした。夏芽の奥にいる伊澄を見ながら、同じく状況を上手く飲み込めていないといった目をして。
「…あの」
「な…」
夏芽の言葉を遮って伊澄は口を開いた。二人の視線を一気に感じる。しかし、その気まずさよりも今目の前のことに何かを言わずには居られなかった。
「なんでお前がここに居るんだ⁈」
伊澄の声が廊下に響き、二人の視線が先程よりも強くなる。当の伊澄も思った以上に大きな声が出たことに驚いていたが、すぐにその気持ちは消え去った。
「それはこっちのセリフだし」
「いや俺のセリフだが⁈」
「えっと、お二人共お知り合いなんですか?」
夏芽が二人に尋ねる。夏芽からしたら、自宅の前で出会ったばかりの男子中学生が争っているなんて光景、何と言えば良いのか分からないだろう。そもそも二人揃って初対面な筈なのに、なぜ言い争っているのか。今の夏芽の心情は一言ではとても表せないだろう。
「知り合いっていうか…」
伊澄が若干言いにくそうにチラチラと夏芽を見る。その先の答えをジッと待つ、眩しい視線は少しばかりウッとなるものであったが。
「兄弟」
「…えええっ⁈」
驚きが溢れた夏芽の声は、伊澄以上に廊下に響き渡った。
初めまして、帆高更咲です。
「トリ×プロ -Triplicate × Prologue-」第1話をお読み頂き、ありがとうございます。
初投稿故、色々と拙い部分も多くありますが、是非応援して頂けると嬉しいです。