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終の人  作者: 百島圭子
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スティーブンに返事をしなければいけない。数日経っても答えは見つからない。即答できない答えは探さなければ出てこないし、作らなければ形にならない。


絵里はクリスチャンではないから、死が二人を分かつまで愛することを誓わなくてもいい。でも今、今愛しているのだろうか。いくら尋ねても返事が返ってこない。絵里は途方に暮れる。すぐにイエスを言えなかったことが答えなのだろうか。


昨日のスティーブンの唇よりも一年半前のワイシャツ越しのハンスの胸のほうが暖かい。ヘリンボーンを通り抜けて絵里の手のひらにハンスの胸の筋肉からほのかな熱が広がる。自分の熱と交じり合って境界が消えていく。幻影を追いかけ亡霊と暮らしていくのか。愚かだと笑われながら静かに沈んでいるのか。


ハンスからはもう何か月も連絡がない。これから先の未来など空想の世界にもない。美しい長身の白人女性が笑いながら絵里の周りを眩いドレスで舞っている。笑い声が音符に混じって金髪が空中を回転している。絵里の手には届かなかったハンスの愛情を浴びてシャンパン色のドレスが輝いて踊っている。絵里はみるみるうちに小さく乾いて縮まった枯れ葉になる。


スティーブンの愛は大きくてどんなに暴れてもはみ出ることすらできない。追い求めなくてもそこにある。走り回って転んでもすぐに怪我の手当をしてくれるだろう。安心できることも愛なのだろうか。もう十代ではない。エリザベートの初恋とは違う。でもエリザベートのように結婚しなければ生きていかれないわけでもない。考えれば考えるほど思考の罠にかかって引きずり回される。


 幸せが何だったのか、もうわからなくなっていた。それなのに愛が何かなんてわかるはずがない。絵里は渦巻く波に抵抗する力さえ持てなくなってきた。  


今まで相談に乗ってきたエリザベートに今度は相談してみることにした。あなたはどうしたの?ヘンドリックと結婚して幸せ?ヨハネスを忘れられた?結婚生活は幸せでヨハネスのことは若い時の楽しい思い出となって引き出しの奥にしまわれたのだろうか。絵里はおとぎ話のお姫様が王子様のキスで目覚め幸せに暮らしましたと下ろされる幕を見るために最後の一枚に散らばった文字を拾い出す。


『ルイーズに手紙を書いた。私の所有するすべてを妹に渡すことにした。これで身の回りの整理はほぼ完了した。このだるさが教えてくれる。きっとお医者様がおっしゃるより早くその時がくるだろう。

あなたのことを最後の時にも思い浮かべる。あなたの腕の中で息絶えることができたらと願う。叶わないとわかっていても。あなたの名前を最後の時に呟こう。』


死んでしまうの?まだ十代じゃない。ヨハネスがいなくなった悲しみで病気になってしまったのかしら。財産を妹に渡すということは両親も死んだ後なのか。まだ十七、八だと思っていたエリザベートがもうすぐ死んでしまいそうで絵里はうろたえた。


あなたの名前って誰の名前?ヘンドリック?恋の成就が知りたかったのにいきなり死の場面まで飛んでしまった。絵里は慌てて書箱の中にもっと紙が入っていないかと確かめてみる。確かめようもないほど箱は空っぽだ。


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