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終の人  作者: 百島圭子
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仕事の合間にもう一つの仕事をする。三百年前のメモの翻訳。あと二枚残っている。これはこの家で終わらせてから日本に戻りたい。この小窓のある家でエリザベートにさよならしたい。


『幸せはずっとこのまま変わらずにあるものと勘違いしていた。いいえ、考えてもいなかった。ヨハネスはアフリカに行く。志願したのだ。私のせい?私から離れるため。』


どうして、どういうこと?幸せな結末ではなかったの?エリザベートはヨハネスと生涯幸せに暮らしましたという物語ではないの?アフリカに布教に行くのかしら。志願したということは強制的に行かされるわけではないのだろう。なぜエリザベートから離れてアフリカに行くことにしたの?


二人の暗雲に飲み込まれて三百年前の悲しみが絵里の前に差し出される。自分の幸せを分けてでもエリザベートに幸せな未来を生きてほしかった。ヨハネスの心変わりなのだろうか。短い文と拙いオランダ語の読解力には限界があった。幸せの想像にも限界がある。


『ヘンドリック・スナイデルス。私の相手。大人が決めた相手。ヘンドリックは優しい人だ。商売もうまいらしい。賢いし私を尊重してくれる。心の綺麗な人だと思った。私はヘンドリックと結婚すべきなのだろうか。運命というものはあるのだろうか。生まれる前から一緒にいる人は決まっているのだろうか。なぜ神様は一緒にいられない人と出会わせて、愛させるのだろう。なぜ神様は残酷なのだろう。』


商人と結婚するのかしら。当時は貴族と商人の結婚はよくあることだってヤンが言っていた。エリザベートはどうするのだろう。ヘンドリックと結婚するのかしら。いい人みたいだし、神父のくせにいい加減なヨハネスは忘れればいいじゃない。


絵里は友達に諭すようにエリザベートに説教を始める。エリザベートを苦しめるヨハネスに正義感を振りかざし、ヘンドリックの味方になる。それともアフリカについて行けばいい。そうだ、ヨハネスとアフリカで暮らせばいいんだ。絵里はエリザベートに一緒にアフリカに行くと言うように説得し始めた。


当時アフリカに行くということは命がけのことだから両親が許さないかもしれない。絵里は友達から親戚のおばさんに変化して心配を募らせていった。でもまだ希望がある。愛を繋げる希望。自分がなくした希望。絵里は残った力でエリザベートの希望を必死で掬いあげようとしてみる。自分と同じ陳腐な悲しみを味わってほしくない。


『ヨハネスはいなくなる。もう少しで。私をアフリカに連れて行ってほしいと言ってみた。これまで生きてきて、初めて自分の意思を表に出した。彼と離れたら私はちぎれてしまう。切れ切れになったらもう元の私には戻れない。』


よかった、よくやったわ、エリザベート。アフリカについて行けばいいのよ。これでハッピーエンド。説得したとおりエリザベートはアフリカに連れて行ってと言った。絵里は満足だった。若いエリザベートがそれからの人生を苦しまずに幸せに生きていかれる。本当によかった。


どんな場所でもヨハネスと一緒にいられるのなら天国に違いない。大切な友達の幸せを心から喜んだ。残りのメモにはきっと新天地での生活のことや子供のことなどが書かれているのだろう。逸る気持ちは絵里を浮き立たせオランダ語の文字を拾い集めた。夢中になったタイプの音がせわしい部屋にドアベルが割り込んできた。


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