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終の人  作者: 百島圭子
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 手書きの文字を起こすのはちょっとした労働力だが、絵里は時間を忘れて没頭した。


『台所の小窓はこちらからは見えるけれど、外から私を見つけることはできないだろうから秘密の窓ね。誰も足元に目があるなんて思わないもの。

なぜかいつも小窓から見える人がいる。若い神父様。急ぎ足で通り過ぎるときもあれば、ずっと壁に寄りかかって何か読んでいる時も、ただ立ち止まって考え事をしているような時もある。教会のミサでは見かけたことがない。不思議とよく見かける。教会の前に住んでいるのだから、神父様を見るのは不思議なことじゃないけど。』


台所の小窓?教会の前?もしかしたらこの家のことかもしれない。絵里は飛び上がりそうになる。信じられない。この家に住んでいた人が書いたのかしら。あの窓から外を見ていたの!!あの台所の窓から?!


『アンヌと市場に行った。食料はアンヌに任せて私は花を見る。いつものこと。いつもと違ったのは神父様に会ったこと。もちろん彼は私を知らない。彼は私の小窓の住人だから。神父様は花を選んでいた。店の男の子が手慣れた様子で花を束ねて渡していた。神父様の瞳は青かった。なぜか私の心は勝手にどぎまぎし始めて急に踵を返して反対側の花屋に向かった。橋を渡ると水面がキラキラと輝いていた。今日の日差しは暖かく強かった。』


可愛い。十七、八歳くらいで初恋なのかしら。おそらくアンヌは召使だろう。貴族だったのだろうか。絵里の住んでいる部屋はリビングと寝室と台所とバスだけれど、他にも三世帯入っているから、この建物自体には十人くらいの人が住んでいる。一家族と召使が住むには十分な広さだ。昔見た中世ヨーロッパの画家フェルメールの映画を思い出す。


『今まで私の小窓に偶然現れていた神父様の出番を私は毎日心ひそかに待つようになっている。用事がなくても足が勝手に台所に行ってしまう。これまで気にしていなかったときは行くたびに見ていたような気がするけど、今はなかなか現れない。私は何をしているのだろう。』


この女の子、神父のことを本当に好きになってしまったみたい。神父はきっと相当ハンサムに違いない。神父を好きになっても普通に付き合えるのかしら。絵里は三百年前の恋物語の主人公を真剣に心配し始める。


『領地を巡回するためにお父様は数日帰ってこない。こんなに時間がかかるほど領地は広くない。きっと公爵夫人と一緒なのだろう。お母さまには嫉妬というお気持ちがないのかしら。』


この子の父親、まだ不倫しているのね。全くしょうがない。でもヤンが昔はそれが当たり前で、貴族の仕事でもあったって言っていたことを絵里は思い出した。情報収集のためにいろんな人と付き合う。江戸時代には大奥もあったし同じようなものかもしれない。高貴な人たちのすることはその世界にいなければ計り知れない。それでも若い娘からしたら信じられないし許せないのだろうと思いを巡らせる。そして絵里は自分のこの娘への思い入れがふとおかしくなる。


『お母さまがとても久しぶりに私の髪を梳いてくださった。お母さまに髪を触られている時は本当に幸せを感じる。お母さまの髪の毛の扱い方がお上手だからかもしれないが、それよりもお母さまの愛情で包まれる感覚が私をうっとりさせる。こんな幸せはない。私はこころから愛されていることを実感する。


お父様の話をした。勇気を出して。お母さまは公爵夫人のことをご存じだった。私はお母さまの前で怒りをぶちまけてしまった。お父様への不満をどうしてお母さまにあててしまったのか。お母さまはお父様を愛していると言う。すべてを。そして私にはまだわからないだろうと言う。ええ、わかりません。すべてを愛するって。』


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