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終の人  作者: 百島圭子
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ナイフを蓋と本体の隙間にねじ込み、てこの原理でこじ開ける。ナイフを動かすたびに書箱は痛々しく変形していく。続ける勇気を失いかけたとき、本体の縁が見えた。ナイフを深く差し込んで今までより大きく上下させ、指が入るほど開き両手で引っ張ることができた。


三百年前の空気が中から小さく溢れ出す。浦島太郎のように白髪になったらどうしようかと真剣に考える。黴のような、古い木のような嗅いだことのない匂いが一瞬鼻にやって来た。


中には三百年前の空気だけではなく数枚の紙きれが入っていた。三つ折りになった黄ばんだ紙にはたくさんの文字が書かれてある。考古学者となった絵里はそっと書箱から紙を出して広げてみる。文字は見えるが理解できない。オランダ語だから。オランダ人はみな英語を話すから、絵里は赴任が終わるまでオランダ語を学ぶ気はこれっぽっちもなかった。


しかし、そう、いまは十七世紀ではない。Googleという賢い秘書が二十四時間体制で控えている。絵里は紙にかかれた文字をワードに落として自動翻訳してみた。


『私はお母さまのように夫を愛することができるのだろうか。他の女の人と恋人のような振る舞いをするお父様をどうしてお母さまは愛するのだろう。たとえ相手が娼婦でも貴婦人でも。フュラウド公爵夫人とのこともただの噂と思っているのかしら。愛ではなく生きていくためなの?私にはどうしてもわからない。心から愛する人と暮らして一生愛していきたい。』


 父親の不倫の話?二十一世紀と変わらない。人類は本当のところ何も進歩していないのかもしれない。


『新しい屋敷へ越してきて少し落ち着いた。ルイーズと別の部屋になったことが一番うれしい。ルイーズの毎晩の質問の嵐にはもううんざり。私も十五の時はあんなだったのかしら。数年前だけど、もう少し思慮分別があったと思う。もちろん好奇心は今より多かったような気もする。私に姉がいたらきっとルイーズのようにあれやこれや話していたかもしれない。』

 

 姉妹のお姉さんのほうが書いたものらしい。日記だろうか。当時はノートがなかったのだろうか。数枚だけ残っていたのか。そんな謎よりも三百年前のオランダ人の女の子が考えていたことを三百年後日本人が読んでいる不思議。映画の登場人物になったようで陳腐な内容にも壮大な興奮が起こってくる。


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