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終の人  作者: 百島圭子
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仕事が一段落すると食事を作るのがお決まりになっていった。クロケットもスティーブンから教わった。日本のコロッケと大差ないが衣の固さが違っていて食感がたまらない。スティーブンが一人の絵里をいつも気遣ってくれるのがわかる。絵里は一緒にいると心が穏やかでいられることに気づき始めていた。二人の時間が増えていく。赤毛の髭が笑うと暖かくなる。


 オランダ人らしくスティーブンの骨格は大量の肉を支えている。絵里にお腹の肉をからかわれると一度テレビで見ただけの相撲取りの真似を始める。何度やってもけらけらと笑い転げる絵里を引き寄せてずっと抱えていたくなる。


 スティーブンは絵里の中に誰かの気配をずっと感じていた。その邪魔者が退場しないと自分の居場所はないのかもしれない。しかし退場しなくてもいい、自分がそこにいられればいい。問い詰めて小鳥が手のひらから逃げてしまうのが怖い。気づかない振りをしていればいつか邪魔者が気にならなくなるはずだ。いくら時間をかけても構わない。


 週末はスティーブンとサイクリングに行くことが絵里の恒例行事になっていた。短い夏の日差しをオランダ人は隅から隅まで味わい尽くそうとする。絵里にはオランダの夏が日本の初夏くらいにしか感じられない。日差しは強いがちっとも暑くない。今年は日本の夏から逃れられたことを心底会社に感謝した。


 近所の公園から遠出して海に出かけることもある。海までも自転車で一時間かからない。


「お子様はペダルにちゃんと足が届くかな?調整しようか?」

「また馬鹿にする。」


小柄な絵里は子供用の自転車を買った。オランダ人用の自転車だと足が地面に届かないのだ。スティーブンは自転車に乗るたびに子供自転車をからかってくる。


実際、絵里にとってスティーブンは父親のようだった。チェーンが外れても、サドルの位置がおかしくても、すぐに手を真っ黒にして直してくれる。甘えられる自分が新鮮でもあり嬉しくもあった。


いつも自分一人で問題を解決しなければいけない、自分一人で頑張らなければいけないと染みついた性分がスティーブンの前では顔を出してこない。結婚しても直人に頼ったことはなかった。生活費を稼ぐことからすべて一人でやらなければならなかった。


甘えるということがこんなにもしあわせなことだと初めて知った。絵里はスティーブンのタイヤの跡をもう一度なぞるようにペダルを漕いだ。スティーブンは何度も後ろを振り返り絵里の様子を確認してくる。彼の眼差しに入り込んで、頼るということ安心ということに身を任せてみる。愛されるというのはこういうことなのだろうか。


スティーブンの作り出した柵の内側で絵里は好きなだけ走り回った。日差しは白く温かく風は澄んで心地よい。


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