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オランダは一日のうちに晴れ、曇り、雨、すべての天気がやって来る。黒い雲が遠くの空に現れるとその後必ず豪雨が訪れて、少しすると何事もなかったように日が差してくる。夏を迎える準備なのかスコールのような雨が新緑を鮮やかに染める。オランダが花の国なのはこの雨のお陰なのかもしれない。
ずぶ濡れの熊が絵里の家に避難してきた。スティーブンにタオルを渡し熱いコーヒーを淹れる。
「少し待っていれば止んだのに。」
「もう家を出ちゃったから引き返すのも面倒だし。」
オランダ人は雨をあまり気にしない。傘を差さずに慌てることもなく雨の中を悠々と歩いている。スティーブンもオランダ人だ。
「本社からのメール見た?」
二人の仕事が始まる。半年近く繰り返されると当たり前のようだが、わざわざ会わなくてもできる仕事だ。それはスティーブンも絵里も承知している。そして二人とも気づかない振りをして仕事を続ける。
「休憩!」
絵里はコーヒーを淹れに立ち上がる。スティーブンも座りっぱなしの体をほぐしながら席を立つ。台所の小窓から覗いた空は敷き詰められた雲に煙っていた。
「また、雨が降りそうよ。」
絵里のつぶやきに、束ねた長い髪、小さな背中、狭い肩に固まっていたスティーブンの視線は、小窓に切り取られた空に一瞬追いやられた。
「そうだね・・」
軽く相槌を打ち視線を長い髪に戻す。ふいに振り向く絵里の小さな微笑みの端にスティーブンの唇は引き寄せられて、自分ではない細かい皮膚に触れた途端に抱きしめていた。考えもなく、心から抱きしめた。
絵里の戸惑いに気づいたがスティーブンの想いのほうが遥かに大きかった。絵里は暖かい大きな塊に包まれた。予期していた突然だったのかもしれない。些細な躊躇には罪悪感という心地よさがあった。
スティーブンを愛しているのだろうか。向き合いたくなかった。自分の中に住んでいるハンスを追い出せない。ハンスを愛している。成立しない愛への当てつけだろか。求められるままに抗いもせずスティーブンに体を委ねて唇で応じていた。
絵里はスティーブンにもハンスにも抱かれていた。不誠実という言葉で簡単に説明がつくとは思えない。本気で愛していないなら罪なのだろうか。
嘘つき?
誰に嘘をつくというのだ。自分に?それは一番辛いことかもしれない。スティーブンを好きなのは嘘ではない。愛しているかと聞かないでほしい。愛にも種類があるのならスティーブンを愛していると言える。愛が一つしかないのなら、ハンスにしかあげられない。




