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終の人  作者: 百島圭子
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スキポール空港には同僚になるスティーブン・ホーフトが迎えに来てくれた。スティーブンは赤毛で髭を蓄え縦も横も巨大に見えた。絵里は見るからに優しそうなスティーブンに初対面から安心する。


「オランダへようこそ。」

「初めまして。お迎えありがとう。」

「車でここから三十分くらいだから。」


スティーブンのエスコートは自然で気負いがなく絵里は昔からの友人に久しぶりに会ったような心地がした。スティーブンは安心感を与えてくれる。車窓からは牧場のような光景が続く。「牧場のような」ではなく牧場なのだろう。牛や羊や馬が放牧されている。アムステルダムの近くなのに。新宿から十分で北海道があるようなものだ。空が広い。徐々に建物が増え始め車や人が多くなる。ビルも見えてくる。街のようだ。


「・・・だからまず販路を確立して、ロジを確保して全体のシステムを一回まわしてみないといけないんだ。」

「えっ、そうね、・・・一度回せば改善点も見えるし・・」


スティーブンの話は道中のBGMになっていた。絵里は聞き返すこともせず話を合わせる。


「もうすぐだよ。そこが駅だから。オフィスはアムステルダムに一応借りてあるけどみんな家で仕事してるんだ。会議はオンラインでできるしね。絵里も使いたかったらオフィス使ってもいいし、家でもいいし。」


オランダでは在宅で働く人が多い。オフィスにいなければできないこと以外は自宅で十分だ。まず一つ、会社員の縛りがほどけて絵里は爽快感を味わった。


「ここだよ。到着。荷物を降ろそう。」


 絵里の仮住まいはアムステルダムから電車で十五分、車で三十分ほどの郊外にあった。小さな町には要塞の跡も教会もある。店もたくさんあって観光客がくるほどかわいい街だ。運河が街の中を縦横無尽に走っている。一年でもここで暮らせることが絵里の心を弾ませる。


石畳の隙間から顔を出す紫の小さな花に歓迎される。名前も知らない黄色い花も家の壁と石畳の間から窮屈そうに光に向かって伸びている。誰が植えたのでもなく光のままに生きている花たちは寒さにも震えず凛としてある。


部屋に入ると絵里はハンスと同じ時間を生きているのだとふと思った。それだけで幸せを感じる。こんなことを思うとは想定していなかった。同じ時間の帯にいる。ハンスの朝は絵里の朝、絵里の夜はハンスの夜。


玄関のドアを開けるとすぐに五段の小さな子供用のような階段がある。レンガでできた階段は中央が少しへこんでいる。削れるほど人が通ったのだろうか。小さな階段で降りた先は右手にキッチンがしつらえてある。キッチンの突き当りは三枚の硝子が入った小窓になっている。半地下だから窓枠の下は地面と同じ高さで視線は外を通る人のひざ下くらいになる。自転車で通っていく人の顔は見えにくい。


それでも家の前の教会が通りの向こうに見えて洗い物が楽しくできそうだ。左手にはまた五段の階段があり、上がるとリビングだ。大きなエル字型のソファとダイニングテーブルがある。白いタイルの床、白い壁、白く高い天井。一人には広すぎる。


「荷物ここに置いておくよ。これからサッカーなんだ。なんかあったら電話して。明日昼頃にみんなでオンライン会議する予定だから、アドレス送っておくよ。」

「ありがとう。休みの日に付き合ってもらっちゃってごめんね。また明日。」


今日は日曜日。教会から鐘の音が響く。家の前には大きな教会がそびえたっている。十五世紀に建てられたゴシック様式の教会だと観光案内に書かれてあった。街のほぼ中心にある家の周りには小さな店が並んでいる。本屋、バー、カフェ、洋服屋、雑貨屋、図書館、花屋、レコード屋・・・石畳の中から出てきた店はレンガでできた古い入れ物にすっぽり入っている。木の窓枠の前には小さなテーブルと椅子が客を待っている。


絵里の家のお隣は骨董品屋のようだ。ガラス窓から中に置かれた古い農耕器具のような鉄器やら子供の人形に額縁、仏像まで見える。店は閉まっていて人はいない。日曜日は休みなのだろう。

一息すら新しい。絵里は肺いっぱいに辺りの空気を吸い込んでみる。絵本の住人になったようだ。ここに来てよかった。


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