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「おはようございます。すみません、お待たせしました。」
「いや、大丈夫。今度のカタログの企画が昨夜通ったんで、朝一で呼んだんだ。」
奥さんの発布する法令の下、会社という小さな土俵から落ちないように毎日生きるってどんな感じだろう。河田の右袖のボタンが一つ緩くなっている。絵里は見ないように書類に視線を落とす。
「今度のカタログはこの前の会議の企画でいくことになったから、去年とそんなに変わりはないんだ・・・でも新人カメラマンを起用することになって、むこうではちょっと知られてるらしいんだけど、日本じゃ誰も知らないよな・・」
河田は不満げな様子で眉を上げて絵里を見る。同調してほしそうな視線を感じながら、絵里は、
「まあ、いい写真を撮ってくれればいいんじゃないですか。カメラマンを売るんじゃなくて家具を売るんですから。」とそっけなくかわす。
「そりゃそうだけど、フランスはいちいちうるさいんだよ。なんでも口出したがって。日本のことなんか何にも知らないくせに。」
いつものこの種の愚痴にはもう慣れた。変わらぬ河田を許容できる自分に成長すら感じる。いや男というものに全く期待を持たなくなっただけかもしれない。それとも自分こそ変わっていないと気づいたら打ちのめされてしまうから、読んでもいない資料をめくるのかもしれない。
「それにもう向こうで勝手にスケジュール決めててさあ、来週末にそのカメラマンが来るんだよ。なんかそこしか時間押さえられなかったとかで、急なんだけど三週間マネージしてくれる?現場は任せるから。」
「はい、わかりました。スタジオとアシスタントも三週間分押さえておきます。イメージとかも企画書どおりでいいんですよね。」
「そうそう、この前の企画書で進めて。日本の風景をいれるから、新幹線とかホテルとかの手配も頼むよ。全部込みでスケジューリングして俺んとこ送っといて。」
「わかりました。明日までに送ります。」
「カメラマンの滞在中のホテルとかもろもろも頼むよ。往復の飛行機しか決まってないから。じゃあ、そういうことで進めて。来月の取締役会の報告まとめなきゃならないから、こっちは任せるよ。あとで詳細送っとくから。」
結局、何でも屋なのだ。デザインダイレクターなんて恰好いい肩書だけどヴォーグの編集長じゃない。フランスの本社ほど人がいないから、日本では一人でなんでもこなさないと仕事が回らない。器用な絵里にはそれが苦痛ではなく、かえっていろいろできることが気晴らしになった。そのせいかヘッドハンティングがあっても、もう十年以上続けてこられた。
会議室から戻ると、机に青いマカロンが一つ、外界と同調するのを拒んでいる。青い色の食べ物が主張している。自然には存在しえない青が居心地悪そうに見えない。それどころか堂々とこちらを見ている。絵里はいつものように自分の席に座ると、離婚しようと思った。もういい。