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終の人  作者: 百島圭子
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スケジュール通りに最後の夜がくる。帰りの飛行機に変更はない。ハンスも絵里も台本通りの結末を予想している。二冊の違うシナリオを手に二人は地下のバーに降りていく。


週末の人込みはバーの中にまで押し寄せ、話し声から笑いから怒鳴り声まで頭から浴びなければならない。もっと静かな場所を最後の舞台に選ぶべきだったかもしれない。でもハンスには喧噪が二人の間を綯い交ぜにしてくれてよかった。絵里を傷つけたくはない。それだけはしたくない。


 「どこでも行くよ。私を必要としてくれるなら喜んでついていく。北極でもどこでも。」


ハンスの恐れている言葉を絵里は真っ直ぐに投げてくる。


「駄目だよ。今は誰かのパートナーにはなれない。仕事が山積みだし、昔の傷がまだ癒えていないと思うんだ。絵里にはピッタリの人がいるよ。僕じゃない。」

「・・・」


ハンスの前で扉は閉ざされた。それは扉の意思ではない。ハンスが閉めたのだ。自分は絵里を幸せにする人間ではない。何万キロも離れて続くわけがない。求めても離れても辛いなら、ゼロにする。そして決めた心は溶岩が冷めて岩になるように固く固く硬直していく。それでいい。もう溶けることはない。それが絵里のため、二人のため。仕事がある。


 ビルや店の明かりが人いきれと混ざって絵里を囲う。地面を踏む感触もなく足は帰途につく。涙を流すべきなのか。


明日の朝早くハンスは帰国する。その後も世界中を飛び回るのだろう。平行線なら同じ間隔でどこまでも続くけれど、傾きの異なる関数なら交わるのは一点だけだ。もう永久に交わることも近づくこともない。離れるだけ。


でもなぜか絵里は必ずまた会えると信じ切っている。なんの裏付けもない自信が涙を堰き止める。自分の愛の深さだけは真実だから。ハンスの愛が偽物だとはどうしても思えない。きっと結ばれている、どこかで。この人生で最後の人なのだから。


静かな海の底に沈んだほうが楽になれるのかもしれない。それでも絵里は海面に顔だけを出して何とか息をしようとする。海はもう赤く、青の美しさも透明もない。藻掻けば藻掻くほど痛みが襲い、塩辛い海水は苦痛を増すだけだ。血が尽きるまで絵里は沈めない。


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