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終の人  作者: 百島圭子
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翌日早く東京に戻る新幹線に乗り込んだ。絵里はハンスの隣で金沢に来るときの新幹線にはなかった二人の間の引力の不思議に酔っていた。お互いの皮膚がお互いを弾かずに重なり受け入れて通してしまう。


分厚い本を読み始めたハンスは絵里がパソコンで仕事をする姿を視覚の隅に捉えている。タップダンスを踊る細い指先が疲れているように見える。トントンと自分の右肩を叩いて絵里に頭を預けるように合図する。


東京までの二時間半、ハンスは絵里の甘い香りに囲まれながら自分がまた人を好きになっていることに驚いた。もう当分誰も愛せないと思っていた。二年以上こんな感覚になったことはなかった。地球の端に自分だけが見つけられる宝石が落ちているとは想像もしていなかった。この宝石を見つけるためにここに来たのかもしれない。 



 残り時間を毎日カウントダウンする。明日のことは考えたくない。スタジオで大量の家具の撮影。ひとつひとつに拘るハンスの要望をアシスタントと一緒に叶えようと絵里は懸命になった。ハンスの望むようにしてあげたい。


 撮影以外は休みの日もいつもハンスのそばに絵里がいた。二人は互いに絶対に開かない台本を持ったまま、愛し合った。台本は読みたくない。お互いの結末に同じ台詞があるのかわからない。知りたくない。今、愛しているのに他に何がいるだろう。過去も未来もいらない。今、愛がある。


スタジオの近くにハンスのお気に入りの和食チェーン店がある。絵里には珍しくないが、写真の豊富に揃ったメニューにも、味と釣り合わない安い値段にも西洋人は感嘆する。スタッフも連れて度々ランチに訪れた。アシスタントの前では平静を装い毅然とした会社員を演じる絵里がハンスには可愛く面白く、民族の違いを楽しんだ。


交通量の多い道路は信号が長い。近所なので薄着で出掛けてきた絵里が互いの腕をこすりながら体を揺さぶっている。寒がりな小さい生き物をハンスは後ろから抱きしめる。そうせずにはいられない。温めてやりたいからか、逃げてしまいそうだからかわからない。もうすぐ消えてしまうことはわかっている。消さなくてはいけないことがわかっている。


絵里は臆せず人前で手を繋ぎ、抱きしめるハンスにもう驚かなくなっていた。背中から覆われる愛で心を潤わせ、その流れで溢れさせたい。その海の底に沈んで暮らしたい。静かに黙って砂に座り頭上の海面の光を眺めるだろう。ずっと。


でも今はもっと触れていたい。もうすぐ消滅する幻だから。幻だと信じない悲しみは絵里の喉を裂く。血まみれの絵里を海の底に引きずり下ろす。海面に藻掻き上がろうとする絵里の足首は海底に引き込まれる。潮に身をまかせて落ちていくしかないのだろうか。絵里にはまだ流す血が残っているのに。


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