③
褒めてくれないのなら、何も頑張らなくていいかと敦也は努力するのをやめた。唯一の取り柄だった、『真面目で勤勉な努力家』を捨てたのだ。けれども、敦也は勿体ないことをした、とは思わない。自分には価値がないと決めつけているから。
どうすれば良かったのだろう。
どうすれば、両親は満足してくれたのだろう。
芸能界に入って、自分の能力をお金に換えられたら、両親は自分の存在を認めてくれたのだろうか。ただの役立たずの穀潰しだと、思われなかったのだろうか。せめて金蔓くらいには、ランクアップしていたのだろうか。
性格が歪んでしまうほどに、この世界が大嫌いだった。
彼の能力そのものは非常に高く、重宝されるものの、社会不適合者であるために、責め苦を受けざるを得なかった。
それが、発達障碍。
発達障碍者として生まれてきたために、多くの人間に存在を否定され続けてきた。
だから、他人がどうなろうと、自分がどうなろうと、世界がどうなろうと、敦也にとっては些末なこと。自分がたとえこの世界から消えようとも、どうなったって構いやしない。寧ろ、現実の世界よりも死後の世界に興味があった。死んでみたら、どうなるのだろうかと。
現実世界じゃ、どんなことにも無関心。毎日のニュースで他人が殺されただの、他人が死んだだの、災害で誰かが苦しんでいるだのと、耳を澄まさなくても情報が入ってくる。
そんなに苦しんでいる人がいるのかと、現代の日本社会で普通に学校教育を受けて、普通に優しい人物に育ってきた人間ならば、同情の一つも抱くものなのだが。敦也はその感情すら欠落していた。
本当に、他人が死のうが、生きようが、どうでもいいのだ。同情もしなければ、共感もしない。苦しんでいる人々を助けたい、助けてやりたいとも思わない。自分が苦しんでいるときに、誰も助けてくれなかったから。スーパーマンは自分の前には現れなかったから、誰かに救いの手を差し伸べるという思考に至らない。幼い頃夢見ていたスーパーマンは、現実の世界にはいないのだ。スーパーマンはやっぱり、仮想の世界にしかいない。サンタにだって会ったことがない。
どんなに望んでも、自分を救ってくれるような存在は、どこにもいない。
神だって、本当はいないのではないかと敦也は悔しげに歯噛みした。
目の前で事故が起きたとしても、誰かが死んだとしても、だからなんだ? と切り捨てるような、冷酷な人間。そうなるように育てられて、なんでも他人事のように考えていた。自分の身の回りで起きたことにも興味を示さない。誰かに依存する気もないし、いつ死んだって、どうでもいい。この世に未練なんて何もない。生きているのか死んでいるのかもわからない、魂の抜けた抜け殻のように死んだ目をして、日々を過ごしていた。
何も面白くない、ただ惰性でダラダラと生きているだけで、生きる希望なんかありゃしない。
それらを陽太に気づかれないように、敦也は適当に話題を考えているのだった。
陽太は一瞬含みのある表情をしてから、明るい話をしようと身振り手振りをした。
「そういえばさ、知ってる?」
「何を?」