来客
学園の入学式を翌日に迎えた日。
教授であるホーディエの研究室のドアが、俄にノックされた。
来るであろうと予測はしていた来客である。
しかし、誰が来たのかまではホーディエにも分からない。
来る事が分かっているのに、誰が来るのか分からないというのも妙な話ではあるが……。
そして、その来客は予想を大きく外れた人物だった。
「ホーディエ教授、お伺いしたい事があります。今、よろしいでしょうか?」
その声には聞き覚えがあった。
まさか彼程の人物が来るとは思っておらず、ホーディエの顔が僅かに引き攣る。
しかし考えてみれば、その可能性はあったのかも知れない。
あの2人は彼の婚約者候補なのだから。
呼吸を調えて、入室を促す。
「どうぞ」
「失礼します」
入室して来たのは、この王国の第一王子グレインだった。
意外にもグレインは一人で来ていた。
学園内は護衛の入場を固く禁じられている。
実際は寄子の貴族で同年代の者を入学させ、護衛につけているのが普通だが、彼はそういった者すらも連れずにホーディエの研究室を訪れていた。
他人に聞かれては拙い話であると、グレイン自身も分かっているのだろう。
研究室内に設置されている小さなテーブルを挟むようにお互い座る。
「お茶をご用意した方がよろしいですか? 研究室なので高級なものはご用意出来ませんが」
「いえ、結構です。直ぐに終わる話ですので」
真剣な眼差しでグレインは続けた。
「貴方は先日魔法系の入学試験を担当しましたよね? 何故、アグリ・カルティア嬢とフラン・キリク嬢に試験を受けさせなかったのですか?」
予想通りの問いだったので、ホーディエは微塵も動揺する事は無かった。
「それについて殿下にお話する事は出来ません。守秘義務がありますので」
ホーディエの答えを予測していたのか、グレインにも動揺は無かった。
そして懐から一枚の書状を取り出す。
「今回は王命を持って来訪しています。ホーディエ教授には、全てを詳らかにしていただきます」
グレインを所詮立太子していない子供だと侮っていたホーディエは、刮目せざるを得なかった。
自分の権限だけでは話にすらならないと踏んで、先手を打って王命を取り付けて来たのだろう。
ならば正しく敵として相対せねばなるまいと、ホーディエも札を切る事にした。
「王命であれば従いましょう。何故試験を受けさせなかったかですね?」
「そうです。貴方が彼女達に試験も受けさせずに退場させたのを多くの者が見ています。その真意を伺いたい」
まさかメリアナ・アルビオス公爵令嬢に命令された等とは口が裂けても言えない。
メリアナの浅はかな戦略を当日の朝に聞かされた時は、さすがにホーディエも、もはやここまでかと腹を括った。
その後なんとか知恵を振り絞り、例えキリク公爵家からの抗議があったとしても切り返せる手札は用意していた。
まさかそれを王族相手に使う事になろうとは。
「彼女達のスキルに問題があったからです」
「スキルですか……? 少なくともアグリ・カルティア嬢のスキルは問題無く強力なものだった筈です」
ホーディエは、スキルの強さを引き合いに出された事で、掛かったとほくそ笑む。
「強弱が問題では無いのです。情報元は言えませんが、彼女達のスキルは生産系スキルであると報告がありましたので、試験を受けさせる意味が無いと判断致しました」
「どこからその情報を?」
「私の身に危険が及ぶので、例え王命であってもお答え出来ません」
暫しグレインは考えるも、それについては諦めたようだ。
「生産系であるとしても、彼女のスキルは戦闘系に匹敵する、いや、それ以上に強力なものでしたよ」
「殿下、先程申し上げた通り、強弱は問題ではありません。生産系スキルである事が問題なのです」
「スキルによる差別的な判断であれば、強く抗議致します」
「差別ではありません。我が学園では生産系スキルを持つ教師の数が圧倒的に少ないのです。一学年に一人を割り振るのが精一杯の現状です。なので、生産系のスキルであると分かっている子は、どうしても同じクラスに集まって貰わなければ指導が出来ないのです」
もっともらしい言い分に、グレインは当然反論する。
「生産系でも強力なスキルであれば、戦闘系スキルの者と一緒に指導して貰っても良いと思いますが?」
「強力なスキルであれば尚更なのですよ。申し上げた通り生産系スキルを持つ教師が少なく、しかもその生産系スキルを戦闘に用いる事が出来る者などおりません。つまり、その強力なスキルを制御する術を教える事が出来ないのです。他の生徒の安全性に配慮すれば、そんな危険な生徒と一緒に授業を受けさせる訳にはいかないではありませんか。ですので生産系スキルを持つ子には、Fクラスに於いて本来の使い方である生産について学んで貰うしか無いのです。才能を潰す訳では無く、本来の使い方をしていただくだけですよ」
他の生徒の安全性まで持ち出されては、一生徒だけを贔屓させるような抗議は出来ない。
今回は引かざるを得ないとグレインは敗北を受け入れた。
さすがに平民から学園の教授にまで成り上がったホーディエの老獪さには、まだ幼い王子は太刀打ち出来なかった。
「……事情は分かりました。お時間いただきありがとうございました」
「ご理解いただけたようで何よりです」
グレインは少し悔しさを瞳に滲ませるが、それでも王族として毅然と振る舞い席を立った。
話が終わり、ホーディエはつい癖で眼鏡を指先で持ち上げる。
その瞬間——ビクリと肩を震わせてしまった。
「では、失礼します」
王子が扉を閉めて出て行くまで、ホーディエは表情を崩さないように精一杯努めた。
口元を押さえて笑いを堪えるが、足音が遠ざかったのを確認すると、口の端から僅かにそれが漏れ出てしまう。
「ぐっ、くふふふ……まさか殿下がそうだったなんて考えもしなかったわ」
魔導具である『精霊の眼鏡』に映し出された魂の形は、正に理想そのものだった。
長年求めていたものを遂に見つけたのだ。
先程まで試験の不正を正当化する事に尽力していたホーディエは、もうそれを忘れてしまったかのように愉快な気持ちに満たされていた。
「私の研究題材である『賢者の石』。その材料たる『賢者の魂』を持つ器」
瞳が怪しく輝き、恍惚の表情を浮かべるホーディエ。
「ああ、でも彼を殺すのは骨が折れるわね。王族相手となれば、やはりアルビオス侯爵家に動いて貰わなければならないか。最悪他国を巻き込んだ大乱戦になると思うけど、賢者の石の為ならば些事と言えるでしょう。最終的に永遠の命さえ手に入れれば、後の事なんてどうにでもなるわ」
この時の彼女には、全く予測が出来なかった。
その狂気の前に、農業魔法少女という訳分からないものが立ちはだかるという事を。
ここまでで第二部となります。
引き続き第三部をお楽しみください。
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