殿下
その日、第一王子グレインは歓喜に満ちた。
今年8歳となった彼には既に複数の婚約者候補がいる。
公爵家令嬢が2人、侯爵家令嬢が3人、伯爵家令嬢が6人。
いずれもまだ候補でしかないが、辞退さえしなければこの中から数人が正式な婚約者に選抜される。
その選抜された中でも更に優劣があり、当然の如く第一夫人となれた者が最高位となる。
候補者の誰もがその座を掴もうと日々精進していた——一人を除いては。
それを彼が知らなかったのが不幸の始まりだったのかも知れない。
「じい!それは本当かっ!?」
「はい、カルティア侯爵からの手紙に間違い無く記されております。娘が強力なスキルを得たと」
自室で直属の執事である老人から、王子は報告を受けていた。
「これで正式に婚約を申し込みに行けるな!」
「左様でございますね」
貴族のパーティに顔を出すようになった頃、出会った令嬢アグリ・カルティア。
美しく聡明で、その姿が視界に飛び込んだ瞬間、天使が降臨したのかと錯覚した。
その日から一途に想い、早々に婚約したいと申し出たが、この国の——いやこの世界の仕組みがそれを許さなかった。
爵位については問題無いのであるが、この世界にはスキルという別の判断基準がある。
王家はより強い血筋を残す事を義務付けられており、その為に王位につく者には伴侶の強さも求められる。
故に、強力なスキルの取得が重要視されるのだ。
王族が最前線へ赴く事など稀だが、他国への抑止にも繋がるので、生産系の戦闘向きでないスキルでは重鎮達も納得しない。
そこへ朗報となる、意中の相手の強力なスキル取得。
もはや二人の間に障壁は無くなった……と王子は思った。
直接想いを伝えたい王子は、早速先触れを出す事に。
貴族の先触れとしてはいささか性急すぎる翌日の訪問として出したが、それすらも王子には千秋の思いであった。
その夜も興奮してよく眠れず、しかし寝不足のせいで妙にテンションが上がってしまっていた。
今日は人生の岐路である。
わずか8歳でそれほど人生に影響がある場へ赴く事になるのも、全てはこの世界にスキルがある故だろう。
だが、そこに躊躇う心は生まれなかった。
これからの明るい人生を夢見て、王子は侯爵家へ向かう馬車に乗り込んだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
お母様からの説教の翌日。
正座で4時間は私の幼い体には無理があり過ぎた。
今日の湿布は足に装着。
起きてすぐに足がつったからである。
「今日も湿布がしみるわ〜」
「お嬢様、起きてますか……って、またそんな格好でっ!!」
だからミーネ、部屋入る時はノックぐらいしなさいよ。
湿布貼る為に寝間着を捲って足を露出させてたので、メイドのミーネに朝からブチブチ言われてしまった。
「お嬢様、今日はそんなにのんびりしてられませんよ」
「え?どうして?」
「殿下がお見えになるからですよ」
聞いてませんが?
報・連・相は大事なんだからちゃんとしてくれないと困るわね。
あ、ほうれん草植えたくなってきた。
この辺でも育つかな?
じゃなくて……、
「グレイン殿下がいらっしゃるの?」
「はい。ですから早く着替えて朝食をとってください」
一体何の用があるというのだろう?
昨日お父様が『殿下』という言葉を口にしたのは聞いてたけど、それにしても昨日の今日とは早すぎる。
普通貴族が訪問する場合は急であっても2〜3日前には先触れを出すものだ。
明らかに何かがおかしい……。
ひょっとして私のスキルに関係する事では?
第一王子グレイン殿下は好奇心旺盛であり、洞察力も高い。
お父様が何をおっしゃったのか分からないけど、殿下が私のスキル隠蔽に関する何かに気付いたのかも知れない。
王族としても弱いスキルを持つ者を上位貴族に置いておけないだろうし、まさかとは思うけど直々に引導を渡しに来るのかしら?
ぞくりと背筋を冷たいものが走った。
そして足下は湿布でひんやりしていた。