自我
王都の侯爵邸に帰って来た翌日、私はお母様に呼び出された。
何故かお母様の自室ではなく、庭の方に。
なんとなく察しはつくのだが……。
「アグリ、ルシフェルを貸してくれないかしら?」
やっぱりね。
お母様は農家御用達自動二輪車を相当気に入ってるようだったし、すぐにまた乗りたくなるんじゃないかな?とは思ってましたよ。
あと私の自動二輪車に勝手に名前を付けないで欲しい。
まぁ魔力は既に充填してあるし、しょうがないから貸してあげますか。
「分かりました。出でよ『農家御用達自動二輪車』!」
……何故か私の声が空しく響き渡っただけだった。
あれ?何で召喚されないの?
『ご主人様。大変申し上げにくいのですが、どうもルシフェルという名を気に入ってしまったようで……』
ちょい待ち。
自動二輪車まで自我を持ち始めたんかい……。
「い、出でよ『ルシフェル』……」
光に包まれて、農家御用達自動二輪車が私達の目の前に現れる。
今度はちゃんと顕現しやがった……。
命名されて嬉しかったのかな?
これからは私もルシフェルって呼ばないといけないの?
などと考えていると、ルシフェルは私が触れてもいないのに、勝手にお母様の方へ移動して行った。
あれ?今のスキルちゃんが動かした?
『いいえ、私は何もしていません』
って事は、自律走行まで出来るようになったのか……。
マジで自我が目覚めてるやん。
まるで尻尾を振っている犬のように、ウィンカーが左右交互に点滅している。
え?まさか主人である私より、お母様の方に懐いてるの!?
『“他の農機に浮気するご主人様より、名前を付けて可愛がってくれる母君の方がいい”という思念が送られて来ました』
なんですとー!?
『あと、“制限速度無しで走りたい”とも……』
だって私はお兄様に制限速度を設けられてしまったから、馬より速く走っちゃダメなんだもん。
お母様はお兄様からの制約をはね除ける事が出来るんだから、そりゃそっちの方がいいよね……。
私は地面に両手を突いて項垂れた。
『私はずっとご主人様の味方ですよ』
うう、ありがとうスキルちゃん。
それにしても他の農機に乗るのを浮気扱いされるなんて、もしかして他の農機もいずれ反旗を翻すんじゃないでしょうね?
コンバインハーベスターに襲われるとか勘弁して欲しいわよ。
今後、誰かが私の農機に命名しようとしたら絶対阻止しないと!
お母様はルシフェルに夢中なので、私は侯爵邸の庭を掘り起こした畑に向かう事にした。
本当はもっと広大な土地を農機で耕したいんだけど、王都でのパーリィが終わるまでは庭の畑で我慢するしかない。
しかし、私が畑に向かおうとしたら、行く手を遮るようにルシフェルに乗ったお母様が走り込んで来た。
「アグリ。言い忘れてましたが、これからセヴァスと共に奴隷商館に行って来なさい」
何故奴隷商館なんかに行かないといけないのだろう?
我が侯爵邸でも、何人か奴隷はいる。
奴隷とは言っても、いくらでも無体なことをしていい訳ではない。
ちゃんと法律に守られていて、いわば自己都合では辞職出来ないだけの労働者といったところだ。
それでも前世のイメージがある私にとっては、ちょっと忌避感があるのだが……。
「お母様、何故奴隷商館へ行かねばならないのでしょうか?」
私は畑を耕すのに忙しいんですけど?
「あなたもスキルを得て、これからは一人前の女性として見られます。侯爵領でヴァンが護衛に付いてたけれど、やはり男性の護衛だけでは色々問題がありますからね。かと言って、侯爵家の私兵にはあなたの護衛を務められる程の女性騎士がいません。今後の事も考えると、強い元冒険者か元傭兵の奴隷を護衛に付けた方がいいでしょう」
それは私も感じてた事だけどね。
侯爵領の宿屋では、ヴァンは男性である事から別部屋を取ったけど、本来であれば同性の騎士が同じ部屋に宿泊する方が望ましい。
更に言えば、差し迫った王城でのパーリィのように、女性控え室が用意されるような場所へは男性の護衛が入れない事もある。
だから女性の護衛というのも必要なのである。
まぁ私は護衛なんていなくても、大抵一人で何とか出来るんだけど。
『ご主人様。奴隷はそのまま無条件に農奴に出来る筈です。有用なスキルを持つ奴隷を配下に置けば、ご主人様の使えるスキルも増えるのでは?』
おお、さすがスキルちゃん。
その手があったか。
それに畑を耕すだけじゃなくて種も植えたいし、ついでに市場も覗いて来よう。
「承知しました。ではセヴァスと共に行って参ります」
「奴隷商館はフェチゴヤ商会の系列へ連絡してあります。多少高くてもいいですから、セヴァスと良く相談して決めるように」
フェチゴヤ商会は侯爵家によく出入りしている商人で、色々手広くやってるところだ。
そこの商会長は、お父様から山吹色のお菓子を貰って嬉しそうにしてたのが印象的だった。
ちなみに山吹色のお菓子は、サツマイモベースの普通に甘いお菓子である。
そうだ、サツマイモの苗売ってたら買ってこよーっと。
連作障害が起きにくいから、侯爵邸の狭い畑でも育てられるだろうし。
そして奴隷の事を忘れて、軽トラでサツマイモの苗を見に行こうとしたら、セヴァスに怒られた。