そうだ
殿下を見送った後、メイドのミーネから思いっきり溜息をつかれた。
いや、もはや溜息を通り越してダメ息ぐらいに。
何なのよもう、具合が悪そうな殿下を帰らせたのがそんなにダメだったの?
そしていつの間にか執事のセヴァスも何処かへ行ってしまっていた。
たぶん状況からして、お父様へ報告に行ったのだろう。
お父様に確認を取らずに勝手に判断したのは拙かったかも知れないけど、貴族として当然の義務を果たしただけだし。
何も問題は無い……よね?
それにしても殿下のスキルはヤバいわね。
今は私の方が魔力が多いからいいけど、努力次第で殿下が私を上回ったら、スキルを看破されてしまうかも知れない。
暫くは殿下に会わないようにした方がいいだろう。
でも体調が回復したら、またすぐに会いに来てしまうわよね?
あーもう、殿下にまでスキルがバレないようにしないとなんて、スキルの検証もろくに出来てないのに……。
なんとかスキルについて深く掘り下げて、たとえバレても有用なスキルであるとアピール出来るぐらいにはしておきたい。
でも侯爵邸の庭で迂闊にスキルを使えば、いちいちその行動について誤魔化さなければいけないし。
出来る事なら、なるべく人目が無い場所でスキル検証したいのよね。
そしてついでに農業もしたい。
うーん、そんな都合の良い場所が何処にあるって……いや、あるじゃない!
私が足を運んでも不自然ではなく、且つ農業をするのに適している場所が!
「そうだ、侯爵領に行こう!」
「は?お嬢様、また何訳分からない事言い出してるんですか?」
我がカルティア侯爵家が治める侯爵領は、王都から東方向へ向かった先にある。
肥沃な大地を抱えており、農業も盛んで多くの農作物を作っている。
王都南側の三大公爵家がそれぞれ治める国の台所とも呼ばれる穀倉地帯と比べても、遜色無いぐらいである。
あの広大な大地を耕したら、どれだけ気持ちいいだろう。
これはもう行くしかない!
農地が私を呼んでいるのよ!!
「じゃあ私はお父様に話してくるわね」
「たぶん今は行かない方がいいと思いますよ……?」
何よミーネ、不安になるような事言わないでよね。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ハーベスト・カルティア侯爵は執務室の椅子に腰掛け、上機嫌に笑っている。
「殿下は前々からうちのアグリちゃんに想いを寄せていたからな。正式に婚約となればお祝いせねばなるまい」
しかし対照的に侯爵夫人であるファム・カルティアの顔色は優れない。
「どうしたのだファム?殿下との婚約に何か不満でも?」
「いえ、殿下との婚約はとてもおめでたい事と思いますが、アグリの事が気になって……。本当にこのまま殿下との婚約を進めてもいいのでしょうか?」
「何を言ってるのだ。あれだけ強力なスキルを得たのだから、何も問題ないだろう?昨日も魔導師団の副団長ばりの搭乗型ゴーレムを錬成したと聞いたが」
「ええ、その……スキルの能力的には問題無いと思うのですが、どうもスキルを得てからの言動や行動がおかしいのです」
「そうか?ちゃん付けを止めろと言われた時は少し寂しさも感じたが、大人ぶりたい年頃なのだろうとしか思わなかったがな」
「昨日もゴーレムに搭乗した際に奇声を発していました。更に、ミーネからの報告では朝部屋へ行く度に寝間着を捲り上げておかしな格好をしていたらしいのです。スキル降ろしの時に何かあったのではないでしょうか?」
深刻な顔をする夫人を少しでも元気づけようと、侯爵は努めて笑顔で話す。
「まだ子供なのだ。スキルを得たばかりで気持ちが高ぶっているだけだろう。自分のスキルに慣れてくれば徐々に落ち着いていくさ」
「そうでしょうか……?」
残念ながらその楽観は直ぐに打ち砕かれる。
間もなく悲報を持つ者が執務室の扉を叩いた。
「旦那様、よろしいでしょうか?」
「うん?セヴァスか、入っていいぞ」
殿下の婚約申し込みの場に親が居ては居心地悪いだろうと、執事とメイドだけを残して退散して来ていた。
その執事のセヴァスがこんなに早く執務室に来るとは、何かあったのだろうか?と侯爵は少々気を張った。
「どうした?嫌に早いな。もう殿下の話は終わったのか?」
「それが……」
言いたくないが言わなければならない。
その葛藤にセヴァスは少し間を開けてしまった。
暫し執務室に沈黙が訪れる。
「何だ?早く言いなさい」
侯爵はふいに渇きを感じ、喉を潤す為に紅茶を口に含んだ。
「申し訳ありません。私もあまりの出来事に理解が追いつかず、お嬢様をお止めする事が出来ませんでした。どうやら殿下は今日の日に想いを馳せ過ぎて寝不足だったようで、それを体調不良と思い込んだお嬢様が護衛騎士を叱り飛ばして、帰って休ませるよう指示したのです。あれよあれよと言う間に殿下を馬車に押し込んで、帰らせてしまいました」
「ぶふぅっ!!」
侯爵は口の中の紅茶を全て吐き出して、向かいに座る妻の顔に盛大に掛けてしまった。
滴り落ちる滴の影からギロリと侯爵を睨む夫人。
混沌!
そしてその混沌の源が勢いよく執務室の扉を開けた。
「お父様っ!私、侯爵領へ行きますわっ!!」