スキル降ろし
秋の訪れ——未だに五月蝿い蝉の声がそれは遠いと告げている。
その騒音は、そこに居並ぶ人々の神経を逆なでしていた。
なかなか進まない列の中央で、侯爵令嬢アグリ・カルティアはやり場のない不満を吐き出した。
「まったく、何時までこの暑さは続くのかしら」
侯爵令嬢としての権力を振りかざせば容易く列の前に並べる筈の彼女は、平民に交じってジリジリと世界を焙る天に向かって悪態をつくのだった。
「お嬢様、お暑いのでしたら前へ行かれてはいかがでしょうか?」
執事の言葉にアグリは憤る。
「それは権力の濫用です。貴族としてそのような振る舞いをすべきではありません」
昨今では珍しい矜持を持ち合わせる貴族だと、周りに並んでいる人々は感心した。
幼いながらも聡明で、それでいて容姿もまるで天使が地上に舞い降りたかのように愛らしい。
男性達は憧憬の籠もった温かい瞳で彼女を見つめた。
程なくして行列も進み、アグリも漸く教会内へと足を踏み入れる事が出来た。
今日は『スキル降ろし』と呼ばれる行事がこの王都の教会で行われるのだ。
8歳になる子供達が揃って受けに来る。
「神の子達よ。貴方達にはそれぞれ相応しいギフトが与えられる事でしょう」
清楚な衣に身を包んだ神官が、子供達に語りかける。
いささか仰々しいようにも見えるが、そこに集う子供達はキラキラと瞳を輝かせて聞き入っていた。
ステンドグラスの窓から差し込む光が水晶に反射して、神からの祝福を感じさせる。
子供達は胸を躍らせ、今か今かと待ちわびた。
女性の神官が水晶球を持って壇上へと上り、台座に置いてから子供達の方へと振り返る。
「では、順番に壇上に上がり、祝福を受けてください」
前列から呼ばれた順に子供達が登壇していく。
本来であれば、侯爵令嬢であるアグリ・カルティアが真っ先に祝福を受けるべきなのであろうが、当の本人が全く気にしておらず、また周りも逆に気を使っては気に触るのではと提言できなかった。
自分の番がくるのを、他の子供達と一緒に待つアグリは特に退屈しているでもなく、じっと水晶を見つめている。
祝福を授かっても公表されるということはなく、自ら告白しなければ何のギフトを得られたのか誰にも分からない。
しかし、一喜一憂する子供達の姿から、おおよそ望んだものが得られたかどうかは分かってしまう。
残念そうにする子、喜びに涙する子、戸惑いで表情が千変万化する子等、様々である。
自分の番が近づくにつれ、アグリも年相応に緊張してきていた。
「あと3人ね」
期待と不安に心揺さぶられながら、自分の番を待つ。
「それでは、次の人」
ようやくアグリの番となった。
水晶の置かれた壇上へと登上し、両手を台座の水晶に向けてかざす。
一瞬目の前が真っ白になり、何かの衝撃が自分を貫いたような感覚を覚えた。
その瞬間、自身が祝福されたのがわかり、同時に現在の自分ではない誰かの記憶が頭に流れ込んできた。
8歳の自分とは違う成人した誰かの記憶。
それが前世の自分の記憶だと気づくまで数秒を要した。
しばらく動かなくなったアグリを心配して神官が話しかける。
「どうかされましたか?」
一応相手が侯爵令嬢ということもあって、神官はやや気後れした感じで様子を伺う。
一拍置いて、アグリは再起動した。
「ええ、少し驚いただけです」
年相応とは思えない優雅な口調で応える。
もともと淑女としての教育を受けているだけあって、振る舞いは大人びたものだが、それとは別の何かが今のアグリからは感じられた。
そして流れるように踵を返し、アグリは壇を下りる。
周りに残っていた子供たちは、窓からの光を浴びながら降りてくるアグリを、天の使いではないかと錯覚していた。
そして、誰もが思わなかった。
それほどに神々しい姿の少女が授かったギフトが『農業』であるとは。