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魔香の誘い

 私が担当する授業の学生が教室に立て籠り、最後は集団自殺したと聞いたときは驚愕した。だが、正直に言えば微かな可能性はあった。いつかこうなるのではと。彼らは少しずつ最悪な結果へと転がり落ちようとしていた節が以前から見受けられていた。こうなったことの原因はやはり私が短大で文芸創作Cの授業を受け持ったことからであろう。実のところ私は理系の人間で大学では物理学を学生に享受している。だから文学というものに造詣があるわけなく正直中学の頃からの苦手分野である。そんな私があることがきっかけで短大の一般自由選択科目文芸創作Cの担当となってしまったのだ。

 文芸創作Cは詩の創作を講義としている。ではなぜ大学で物理学の講師を勤めている私が短大の客員講師として文学の授業を請け負うことになったのかというと、それは昨年の剣崎大学創立100周年記念として上梓した剣崎文芸集が起因である。創立者、はた政信は文壇にこそ登り詰めなかったが趣味で私設の文芸倶楽部を持ち、さらにはまだ芽の出てない作家を養っていたという。そういったことから100周年記念として教職員全員が文芸作品を創作しなくてはならなくなった。ほとんどの教職員はエッセイか短編の私小説であったが私は詩を提供した。なぜ詩なのかというと私はまずエッセイが何かを知らなかったし小説なんてものは無理であった。私の人生においての文芸活動はせいぜい国語の授業で書かされた日記のような作文か韻を知らない詩であった。作文はさすがに幼稚のような気がしたので詩を書くことにした。この詩がOBである著名な批評家の目に留まり評価されてしまった。そこまではまだ良かった。ただ短大の文芸創作Cの授業を請け負っている講師が産休に入ったことで事態は思いもよらぬ方向に転がってしまったのだ。それは産休に入った講師の代理として私に白羽の矢が立ったのだ。当初、私はたかだか記念の詩歌集のためにでたらめに書いただけの詩が評価されたからといって講師を勤めるのはおかしいと辞退を申し出た。だが事務局長でなく学長自らが私に頭を下げにきたのだ。さすがにこれは無下には断れない。そしてとうとう私はまあ1科目だけなら問題ないだろうと折れてしまった。

 だが、ここに意外な問題が二つあった。一つは短大が県境にあり大学から離れているということ。そしてもう一つが文芸創作Cの授業が半期制でなく通年制であったということ。つまり、私はたった一つの専門外の授業のために一年間電車2本乗り換えて、通勤に一時間以上かける羽目になったのだ。勿論、授業内容と私が選出された理由しか気に止めていなかったのが悪いのだが大学側に上手く省かされたのではないかとも思われる。本当は私の前に他の文系教員から袖を振られたので最終的に私に回ってきたのではないだろうか。さすがに引き受けてしまった後に辞退を申し出ることはできないので私は受け入れることにした。


 短大といえば一昔前までは女性が通う学び舎であったが今では共学が増え始めていて、さらに卒業後に大学への三年次編入を謳ったものが多い。剣崎短期大学でも男女比が半々で卒業後の進路の4割弱が大学への編入である。

 私は授業開始前に病院で前任者に会い、授業のレクチャーを伺っていた。まず一人の詩人について半生、その詩人が作った詩を解説をする。それが終われば学生に詩を作らせる。そして添削し、その後に発表というのが基本的な授業の流れであった。そのときに前任者は詩には個性が出るというのを語った。どういうものかと思ったが授業を始め、学生に詩を作らせ、添削して気づいた。程よく遊んでいる女子学生は愛、嘘、性、陰口に関するものが多く、地味目な女子学生は自然を詠ったものが多い。そして男子学生の多くは無難に書いた結果具体的のようだが尾は抽象的になっていてテーマの見えない詩が多い。オタクっぽい男子学生は混沌だの深淵、逆光などの単語を散りばめた中二病的なものが多い。本人が自作した詩を朗読するのは気恥ずかしさがあるのか皆、顔を赤らめたり、声をもごもごと発したりと緊張していた。しかし、その中で堂々と自作した詩を発表する学生がいた。名はエウリオン・ザッカーバーグ。白人の学生である。爽やかな金髪で澄みきった碧眼で微笑んださいの柔和な顔つきが人に親近感や安心感を与えた。彼は海外留学生とかではなく幼少期に父の仕事で日本に来日してきたのである。それゆえ日本語が堪能。彼が席を立ち、背を伸ばし朗読する姿は男女問わず目を引きつかせる。彼が作った詩は宗教的かつ幻想的でどこか物語風であった。履修届け締切後も受講生の増減変動がないのは彼のおかげであろう。

 GWの後、エウリオンの隣に女子学生が座ることになっていた。その席は元はオタクっぽい男子学生が座っていた席だ。その女子学生は程よく遊んでいるステレオタイプの女子学生で名前は杉崎天海。口にはしないが彼女がエウリオンの恋人というのが私や受講生の共通の認識だった。

 だが夏期休暇前には二人は別れることになった。それは恋愛によるものではなく生死による別れであった。杉崎の死は事故によるものだった。短大には知人の講師や事務局員、学生がいるわけではないのであくまで耳に入った程度だが、どうも深夜一人で赤信号なのに交差点を渡ってた時、車に轢かれたらしい。受講生が亡くなるという経験は初めてで私は授業の最初に彼女のために黙祷を設ける程度のことを努めた。その時、エウリオンの顔を窺うと彼は平然としていた。それがふりなのか本当なのかは判別のしようがなかった。この日の授業が前期での最後の授業で、変な形で夏期休暇が始まった。

 私は夏期休暇中は短大には一度も寄らなかった。しかし、エウリオンとは一度大学の方で顔を合わせた。その日はオープンキャンパスの日であった。彼は白人なので大勢の中ですぐに目につく。説明会の後、彼が挨拶にきた。そして私は彼を教員部屋に連れ、話をした。

 彼は私が大学で物理学の講師を勤めているのに驚く素振りはなかった。ただ、部屋の棚に詩集や文芸雑誌がないことには驚いていた。彼は私にどのようにしてインスピレーションを得て詩を作っているかを尋ねた。正直に話すかどうか躊躇われた。彼の目には尊敬の眼差しが表れていた。私はそんなに大した人間ではないのだがどうしてこうも評価されるのかわからなかった。インスピレーションというよりも頭に浮かんだイメージを出鱈目に描き出しているだけである。何かに触発されたわけではない。私はそれを素直に話すわけにはいかないので何かをためになるものを言わないといけないと感じ焦った。そこで目に留まったのが土産で貰った香木であった。それは知人が研究の所用である地域に向かっときの土産である。その香木は国内のある地域で使用されているもので、それを私の土産として贈られた。そして私は記念詩集前に知人から土産として貰った香をアロマの替わりに使い心をリフレッシュさせたと彼に嘯いた。ただ香を使用したのは事実で実際、私は詩を作る前に使用したのだ。だがそれはたまたま土産を頂いて試してみただけである。そこから何かしらのインスピレーションを得たわけではない。しかし、見事に彼の興味を惹き付けたので私は彼に香を削り、分けてあげることにした。使い方の説明と過度の吸引の注意をした。まあ、1回分程度なので過度の吸引はないだろう。なぜか彼は香を恭しく受け取りリュックに閉まった。後日彼から香を焚き、瞑想して良い詩が生まれたと連絡がきた。彼は香をもう少し譲っては貰えないだろうかと懇願してきた。特段私には香に対して思い入れもなかったので全て譲ることにした。私は1度使ってから手をつけていないので香を沢山譲ったことになる。弁明させてもらうが私は彼に香を譲った際、口酸っぱく注意した。彼も私の注意を真剣に受け止めてくれていたと思う。

 夏期休暇も終わり、後期日程が開始され私の短大での週に1度の文芸創作Cの後期授業も始まった。文芸創作Cの授業はテストがなく授業は詩の創作のみである。前任の講師はそろそろネタが切れ始めるかもしれないけど学生を強く非難してはいけないと私に告げた。しかし、学生たちの詩への情熱は下がることなく、むしろおかしなことに上がっていた。おかしなこたはそれだけでなく彼らが作る詩や授業への態度も変わっていた。作者の性格や日常が滲み出るような詩からエウリオンと同じような幻想的な詩に変わっていた。そして授業態度は真面目に取り組むようになっていた。決して今までが不真面目であったわけではない。きちんと授業は受けていた。だが今は感情が消え、私語が減り、姿勢よく授業に取り組むのだ。不気味さが教室に満ちていた。彼ら皆、同じ個体のように感じた。外見こそ違えど思想や思考が同位しているような。

 授業の後、皆は会話もなく席を立ち、部屋を出る。最後に残ったエウリオンが夏期休暇中に皆で香を焚いたことを話した。香の効果は素晴らしく、自分達はより高みへと文学的表現を越えた先にある世界に対する発露を見いだせたと蕩々に語る。それついて私は恐ろしさを感じた。かつて彼は人を惹き付けるものを持っていたが、今も魅了は備わっているがそのベクトルが違う方に向かっていた。陽から陰へと。私は彼に用法用量について問い質した。彼は一度も足りとも過度な吸引はなかったと私に告げた。一度目の吸引から次の吸引まで三日の日を跨いでいると。

 それからというもの授業は常にどんよりとして、そして重く、酸素が薄く感じるほど息苦しいものだった。だが何よりも私を苦しめさせたのは彼らが紡ぐ詩であった。感情もなく淡々と語る姿勢は巫女の予言を聴衆に語るそれのようでもあった。さらに詩は連作ではないはずなのにまるで同じようなイメージを与えてくる。言葉も単語も長さも違うのにどうしてか。学生の発表を聞くたびに目眩と頭痛が襲ってくる。時には時間と空間がゆっくりと伸ばされている感じがするし、意識が離れていることもあった。その時は発表を終えた学生から名を呼ばれ、重力のある現実に戻ってきた。もう授業はすでに私の手を離れていた。この異変は学内には周知のものとなっていて大学の方にも事務局長の耳に入るほどになっていた。

 事務局長は優しく、そして遠回してで授業の風評を語った。それを聞き私はなるべく彼の私に対する評価を下げぬように授業を正しき方向へと進むことを誓った。彼もまた授業というより受講生の異変の方に注視していた。

 私は授業方針を自由テーマの作詩からお題による作詩に変更した。お題は彼らの幻想的な詩から離れた家族愛や小動物、料理に絞った。少しメルヘンチックな少女然とした作風になるかもしれないが、こうすれば問題は回避されるのだろうと結論付けた。だが、残念ながら、それらも無駄に終わった。彼らはどのようなお題に対しても自分達の文学的表現の一つに取り込もうとする技巧を持ち合わせていたのだ。もう私としては為す術はないのかという時に事件が起こった。

 エウリオンはさらに自分達と同じ感性を抱く支持者を得ようとパーティーを開いたのだ。そのパーティーで大勢の学生に香を嗅がせ、自分達の作品を発表しようとした。そのパーティーは人が集まったものの香に対して少なからず抵抗があるものたちがいて彼らの通報により、このパーティーは警察の世話なる運びになった。私もまた警察に説明を問われることになるも、あくまでも彼らの普段の授業態度のことであり香木についての問いはなかった。なぜかと不思議に思ったが、どうやらエウリオンは香木を自分が手に入れたものと主張したらしい。警察は香木について調べようとするも香木は全て使用されていたらしく成分を調べることはできなかった。ただ、彼らの血液から違法な成分は検出されなかったのであの香木は違法なものではなかったということに結論付けられた。

 しかし、この事件により周りからエウリオンたちや私の授業が奇異の目で見られるようになった。大学の事務局長は私を責めるようなことはなかったが、どこかに私に非を認めさせようとしていたり、私から隠していることを探ろうとする節が見受けられた。勿論、私に非はあるのだろうがそれだけで全てを押し付けるには弱い。だからこそ事務局長はもっと私自身から非を詫びる姿勢をどこか求めていた。私としてはそれ以上の詫びはここでの仕事に支障をきたすので認めるわけにはいかなかった。見えぬ攻防の後、事務局長は授業を休講に処する方針を検討していると言う。私としては願ったり叶ったりである。元々、私は理系の人間。物理学専攻であって、文学とは無縁の身である。そして12月になってすぐに文芸創作Cの授業が休講になる旨が短大の掲示板に貼られることになった。私は肩の荷が落ちた心地であった。だが、それは束の間の安寧だったのだ。授業に対する処遇は悲しくもあの不幸な事件が発生させた。

 短大が冬期休校に入ってすぐにエウリオンたちは教室を中心に一部校舎内に立て籠ったのだ。中心となった教室は文芸創作Cで使われる教室で、エウリオンたちは教室近くの廊下に机や椅子を並べてバリケードを作り、それ以上は入れないようにした。他の講師や、事務員長らが説得にあたるも効果は得ず。一時間経った後、短大側は警察を呼んだ。私が訪れたのは丁度その頃であった。メガホンを渡された私は彼らに抵抗を止める旨、学校側もこれ以上は大事おおごとにしないと約束していることを告げた。しかし、彼らは授業の再開を要求をし、その要求が認められぬ間はここを出ないと告げる。私は短大の学長、事務局長に彼らの要求を話した。だが、学長たちはすぐに首を横に振った。私には学長たちの不安も分からなくはない。ただ問題はパーティーだったのだからそれを厳しく注意すれば問題はないのではと私は再度進言した。それでも学長たちは認めることはなかった。もう私としてはやるべきことはやった。これ以上、私にできることはなかった。手がないのならば突入が普通である。しかし、短大側としてはなるべくそれは避けたかったらしく膠着状態が続いた。夕方の頃には校舎の外にマスコミが大勢、校舎を囲っていた。そして保護者たちが現れ、説得に向かった。しかし、それでも彼らは聞く耳を持たず止めようとはしなかった。説得に失敗した彼らは学長たちや私を責めた。特に私に対しては辛辣に責めてきた。ヒステリックに喚き、自分の子供ではなく大人である私たちに非があると。そしてその中には的を外れた言葉もあった。物理学だから彼らが満足いく授業を受けていないのではと。

 夜の7時頃に睡眠導入剤が入った食事を彼らに差し向けられた。けれど不思議と彼らは眠りに落ちいることはなかった。次に睡眠導入剤入りのジュースを使った。それでも彼らは眠りに落ちなかった。9時になり最終手段として突入することになった。事務室にて保護者たちは祈りながら報告を待つ。頭上から大勢の足音、叩くような打撃音、窓ガラスが割れるような破裂音、そして怒号。音が止み、しばらくしても事務室の方に警察からの報告はない。さすがに異変を感じたのか保護者の一人が立つと他の保護者も釣られるように立ち上がり事務室を出ようと動く。それを事務室にいる警察が押し止め、外へ出るのを禁ずる。保護者たちは不満や子供たちの安否を尋ねるも、警察は何も言わずに保護者たちに座るよう促す。 仕方なく保護者たちは戻って椅子に座ろうとした時、サイレンの音を聞き、窓の方へと足を向ける。私も窓へと目を向けると赤いランプを輝かせる救急車が視界に入った。救急車は一台だけでなく何台も後ろに続いていた。保護者たちだけでなく学長たちや私も最悪の事態を感じ取り扉へと向かった。その我々を再度警察がバリケードのように防ぎ、部屋の外へ出ないよう押し返す。

 窓から見える救急車に運ばれていく学生たち。母親たちは泣き崩れ、父親たちは私たちに掴み掛かろうとする。籠城した彼ら全員が運び込まれた後、突入隊の隊長からエウリオンたちが突入前に集団自殺をはかったことを知らされた。


 その後、審査会が設けられ私個人に対する責任はないとくだされた。此度の件は全て不道徳的パーティーを催した学生たちに落ち度があるということになった。ただ、文芸創作Cの授業は今後短大で開講されることはなかった。


 事件から3ヶ月が経ったある日、フィールドワーク帰りの友人から土産を受け取った。今度の土産は茶菓子で香木ではなかった。私はあの香木について尋ねた。彼は肩を竦め、あれは土産屋で買ったのではなくフィールドワークで会った風変わりな女性から譲り受けたのだと告げた。次に私は効能について尋ねると彼は知らないと言う。私は彼の分のコーヒーも用意してあげ、貰った茶菓子を開封した。香りの強い茶菓子で開封するとテーブルから離れていた彼にも届くほどであった。彼は香りで思い出したのか女からは香木の効果は人によっては数日後と聞いたと言う。では私も数日後に効果が現れ、あの詩を書き上げることになったのだろうか。

 その日、家に帰った私は真っ先に棚へ向かい、棚に差し込んでいる剣崎文芸集を取りページを捲る。そして自分の詩に目を通す。幻想的でどこか物語風。改めてみるとどうしてこのような作品が生まれたのか不思議なものだ。詩の内容をイメージしてみると額の奥が疼く。きちんと読んでみるとエウリオンたちの詩と繋がりがあるように見受けられる。彼らの詩は私の詩の続きなのではないか。彼らに提出された詩はチェック後コピーされ彼らに返している。私はファインダーからコピー用紙を取り出す。そして私はコピーした彼らの詩を出来上がった順に並べ、読み解く。額の疼きを堪えてイメージする。次第に脳がこれ以上のイメージを拒絶し始める。それでも私は額に汗をかきながら詩を読み解く。絶対に読み解かねばならないのだ。エウリオンたちがどのような境地を目指したのかそれを私は知らないといけない。そこまでするのはなぜか。それは責務、後悔、懺悔、はたまた探求心か。それとも憐憫か。負の感情が流れ込む。流れては渦を巻き、私の意識は削られあぶくとなる。


 私は赤い大地の上にいる。乾燥した風が私を叩く。

 体が軽い。それもそうだ。肉体がないのだから。私は詩の中にいる。でも実感がある。

 見上げた黒い空にはオーロラが。私はそれを恋しく思う。

 いつの間にか私は飛んでいた。驚きはしない。当然のこと。

 眼下には川が蛇のように動いている。

 星の光が瞬いたと知った時、光が降り注いだ。大地を割り、大地を震わす。

 光は怒っていた。

 何に?

 それは私が知るよしのないこと。

 誰かが近くにいる。見えることはないが確かいる。近くにいると感じたら、急に遠くにいると感じる。でもそれは確かに私を見ている。

 敵か味方か分からない。

 赤い大地が溶けゆく。マグマのように。そして川を汚す。汚された川は黒くなる。塞き止められ川は死ぬ。

 私は悲しい。私の目から滴り落ちた涙は大地に落ち、そこから蔦が伸びる。天への伸びる蔦はすぐに力なくしなびれる。

 どんどん私の体は浮上し、体は四散する。腕は割れ落ち、脚は千切れ落ちる。首にヒビが走り、とうとう体が大地へと引っ張られた。

 私の頭はどこに向かう?

 声がする。見せてやると。

 目蓋を閉じる。

 目蓋を開ける。

 その度に映る景色は違う。

 ピラミッドの中にいる。どうしてそこにいるのか。どうしてピラミッドの中にいると分かるのか。猫が私を見ている。

 大西洋を漂っている。視界の端には燃える船が。

 鎧を身に纏った男が馬に乗っている。男の手には槍が。槍は何を貫くのか。

 少女が花を売っていた。今日のパンのために。

 男が泣きたいのを我慢しながら見送る家族に敬礼する。男は知っている赤紙は血の色だと。

 つまらなそうな顔の女の子がじょうろを傾け、朝顔に水を掛けている。朝顔は泣いている。花ではなく土に水をと懇願する。

 国も時代もしゅも違う。


 コピー用紙から目を反らすと全身汗でびっしょりだった。長い間読み耽っていた気がする。時計を確認すると三時間経っていた。いくらなんでもおかしいと思った。そして時計の針が動いてないのと考えた私はスマホで時間を確認するとやはり時計と同じ時刻だった。なら三時間というのは事実なのだろう。私は驚愕した。エウリオンたちはよく詩の朗読や研究で集まっていたという。なら彼らも体験したのだろうか。彼らの場合は香を焚いていた。ならばどれほどトリップをしていたのか。今、分かることは全ては私から始まっていたということ。私はコピー用紙を全てをシュレッダーにかけた。これで幻想世界に虜になる者は現れないだろう。ただ剣崎文芸集は私以外の教職員、OB、そして学生たちに渡っているのでそればかりはどうしようもない。だが剣崎文芸集だけではトリップは起こらないはず。

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