第10話 我社のトップであるCEOには逆らえませんよね?
CEOの食事会の付き添い当日、料亭に向かう車の中。
私と室長に後部座席を譲って下さり、運転手さん、助手席にCEO。後部座席に私と室長という、あり得ない並びだ。
(CEOありがとうございます)
後部座席からお礼の念を送る。そのCEOは気にした様子無く運転手さんと和気あいあいに話していた。
「戸塚はとにかく何も話すな。いいな」
「はい」
私は車内で室長から手解きを受ける。
「聞くことは守秘義務だ。いいな」
「はい」
「うっかりも許されないぞ」
「はい!」
室長はまたいつものように無表情で私を見つめている。
(…私は今日頑張って、室長に認めて貰うんだ!)
いざ、出陣!
✽✽✽
「戸塚さん、今日はありがとう。助かったよ」
「い、いえ…」
CEOから声をかけられ、はっとする。緊張している間に終わってしまった。何が起こったかすら分からない状態だ。
「黒崎くんもありがとう」
「ええ。本当に」
「後輩を育てるのも立派な仕事だよ」
ぶっきらぼうな室長にも変わらずにこやかにCEOは声をかける。
「僕は先方ともう一軒行くから、ここで」
「あ、はい!お疲れ様でした」
「これタクシーチケット。使ってね」
CEOからタクシーチケットを手渡される。
「あ、ありがとうございます」
「送れなくてごめんね」
「いえ、滅相もない」
「黒崎くん、女性を一人で帰すのは良くないよね。送ってくれる?」
「…は?」「えぇっ!?」
CEOの言葉に私と室長の声が重なる。
「…ここからタクシーで帰るのに何の問題も無いかと存じますが?」
「そ、そうですCEO!まだ電車も動いてますし…」
時刻は21時過ぎ。残業した日はこの位の時間に普通に電車で帰っている。
「ごめん、実はタクシーチケットそれが最後の一枚で新しいの持って来るの忘れたんだ」
CEOは私達の話を気にした風もなく…
(…あ、これって…もしかして…CEOが二人になるよう気にかけてくれて…る?)
「CEOのおっちょこちょいも大概にして頂けませんか?私は電車で帰ります」
室長はいつもの事といったように、動じていない。
「それじゃあ僕が黒崎くんに申し訳無いよ。ついて来てくれたのに更に電車で帰らせるって」
…確かにここは最寄り駅からかなり離れている隠れ家風の料亭だ。ここから歩いて駅というのは…
「し、室長!お家はどの辺りですか!?」
CEOのお膳立てかどうかは分からないけど、私も少し勇気を出さないと!由紀やCEOがバックアップしてくれてるだけでは駄目!
「方角が同じでしたら、一緒に乗れば宜しいかと思います!」
…言った。言えた、言ってやった…!あの、人と常に距離を取る室長相手に。
「そうだよね、じゃあ後は二人で話し合って貰ってもいいかな?ご苦労様、気をつけて帰ってね」
「「お疲れ様でした」」
去っていくCEOの背中を室長とお見送りして、CEOが見えなくなった所で私は室長を見る。
お酒も丁度良く回って来た。今の私はいける!
「では室長、一緒に帰りましょう!」
「…私もまだ野暮用がある。戸塚は先に帰りなさい」
「野暮用?」
「確か路線も違う。二人でタクシーは無意味だ」
「ええー!!」
冷徹に言い放った室長に思わず心の声が現実を舞う。
「せ、せっかく仲良くなれるチャンスだと…」
「どういう意味だ」
「…あ゛」
ここでようやく我にかえる。酔った勢いとは恐ろしい物がある。
「あ~、ほら!室長と親睦を深めたいな〜なんて…」
「職場は皆が目的を持って集まっている場だ。そこに馴れ合いは必要ない」
…寒い。室長の無機質な視線と冷酷な声が…私を凍りつかせる。
ぇえい!挫けてたまるか!
「コミュニケーションも大事だと、私達のトップであるCEOからのお言葉がございます!」
上司命令、これなら室長も従う他なかろう!
「お前とコミュニケーションを取って何になる」
「と、取りましょうよ!上司と部下ですし!」
「私は課全体の管轄をするのが役目だ。一人一人に付き合っている暇は私には無い」
冷たっ!だから皆に鬼って言われるのよ!
「私は室長ともう少し仲良くなりたいです!!」
〝〝好意持ってます〟くらいなら誰も何とも思わない!〟
酔った勢いと由紀の言葉が私の背中を押す。誰だって嫌われてるより好かれてるの方が嬉しい筈だ。
顔を真っ赤にし、ドキドキしながら室長を見つめる。
「…言いたい事はそれだけか?」
「え…?」
無機質ないつもと変わらない声と表情――
「帰るぞ。ここで言い合う位なら帰った方がいいからな」
「え?え?」
私に背を向けて歩き出す室長を慌てて追いかける。
「通りに出ればタクシー乗り場がある」
「あ、はい」
それは…私と一緒に帰るという事…?
「遅れるな。私がCEOから小言を言われる羽目になる」
「はい!」
怒っているような口ぶりだけど、その歩幅はいつもより小さい。
(私に合わせてくれてるんだ…)
トクトクと鼓動が速くなる。
(どうしよう、どうしよう、どうしよう…こんな優しさを知ったら…益々好きになっちゃう…)
「コミュニケーションですね、室長!」
へへへ、と顔が緩むのをそのままに室長に声をかける。
「…」
室長からの返事は無い。だけど、いつもの近寄りがたさがその背中から薄れている。
気持ちが高揚し、とても幸せな気分になる。
「室長、せっかくなんですから何かお話しましょうよ」
「話すことなど何もない」
「冷たっ!えーっと…あ、そうだ好きな食べ物は何ですか?」
「聞いてどうする」
「えー?会話ですよ、会話!」
ここぞとばかりに私は室長に質問する。普通に話せるこの距離感に緊張とフワフワとした夢心地と…
夢のような時間が今、ここにある。