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花繚(かりょう)の動乱  作者: 橋本ちかげ
第3章 花は嵐のさなか
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第九話 宴の果て

 節を伸ばして丈を長くした仕込み槍を帰蝶は、自在に操った。『槍の道三』と言われた男を父にもつ帰蝶だ。軽い仕込み槍とは言え、女だてらに振るう槍にも隙はない。

「やるなあ…」

 その槍先を突きつけられながら、承禎はため息をついた。

 首の皮を掻くのが小刀一本では、さすがの承禎も太刀打ちかなうまい。

「ああ、面倒になってきた。どうや。そろそろ今晩は、こんなもんにせんか。…お互い腕を見せて、痛み分けがええ落としどころやないか」

「急に所望が小さくなりましたね。ついさっき我が織田家をおびやかす算段をしていた方が。…別に、遠慮なんか要らないのよ」

 問答無用で帰蝶は槍をしごいて、突きを見舞う。寸刻みの早突きが、承禎を追い詰める。どんと胸板を突く豪槍ばかりが槍術ではない、とでも言いたげな巧みの槍さばきであった。

「こらっ、当たったらどうする。これでも名家の血筋やぞ」

 軽口をしながらも承禎はすかさず、後退する。これも、すでに退隠した老人とは思えない、滑らかな身のこなしだった。

「そもそもわしは別に、足利公方の引越(わたまし)に要らん横槍を入れようと思うてこの賤ケ岳に来たわけやない。そもそもあれは流浪の将軍や。信長が上洛の手伝いしようと言うなら一向に構わん。今の六角家ではどうも出来んしなあ」

「黙りなさい」

 帰蝶は、容赦なく承禎の咽喉首を狙う。そのまま仕留めようと言う勢いだが、承禎はそれをふらりとすり抜けた。

「待て。一回停まれ。はっ、話しながら動いてたら、息が切れそうや」

 すると、不思議なことに帰蝶はぴたりと槍先を止めた。偽装なのか、それとも、本当なのか承禎は苦しそうに息を切らしている。仕留めるならば、今が絶好の機会なのだ。しかるに、帰蝶は槍突きを止めた。陰で見ていて市は思わず、どうしてだと叫びそうになった。


「…何か仕掛けを待っていますね?」

 しかし、帰蝶の観察眼は鋭い。承禎があらゆる手段を尽くして時間稼ぎをしようとしているのを、今のやり取りで読み切ってしまっていたのだ。

「疲れたふりはやめなさい。…目障りよ」

「ふん、そうかい。…さすがは蝮の姫やなあ」

 その瞬間だ。帰蝶が看破した通り、承禎は疲労したふりをやめた。息も上がっていなければ、足ももつれてなどもいない。

「だましがいがない。つまらん。…せやから、さっさと終わりにしようと言うておるのやッ!」

 血相を変えた承禎が、なぜか右足を上げた。刹那、顔色を喪ったのは、帰蝶の方だった。持ち上げた承禎のその足に、泥縄が絡んでいた。土中から引き上げたのは、起爆線である。仕掛けは、これだった。承禎は帰蝶を誘い込み、土中の火薬を破裂させようとしていたのだ。


「地雷よッ、全員下がりなさいッ!」

 帰蝶が叫んだ時には、すでに遅い。


 砂利と火炎を巻き上げて、土中の炮烙玉が爆裂する。耳を(ろう)する爆音とともに、重たい土砂の雨が注ぎ込んできた。

 遮断されたのは、視界も同様だ。


「見えんッ!」

 それは外野で、様子をうかがっていた市も同様だった。五寸釘を耳にぶちこまれたような衝撃音の余波に顔をしかめつつも、砂埃の向こうをうかがったが、承禎はおろか帰蝶たちの姿も認めることが出来ない。

半弓(ゆみ)はどうしたでや!?」

 隣の人間の位置も確かならざるうちに、市はがなった。

「何を申されまするか!?この有り様では弓など役に立つわけがありますまい!」

 その火偸も市のいる場所がよく分からない。そのまま、大声で嘆いた瞬間だった。


 二人の間を、黒い大きな影が横切った。薄汚れた風を切って、駆けすぎていくのは明らかに馬体と思われた。

 今のは市と火偸のはるか後方から、つまり、山の斜面を駆け下りてきたから、味方の勢のはずはない。


 しかも不穏なのは、馬体の主が、火縄に点火して垂らしていたことだ。市は明智十兵衛から、火縄銃の操作法を教わったことがある。戦場で撃つときは確か、あらかじめ点火した火縄を垂らして歩くのだと言う。


「今のは…!?」

 ようやくお互いを確認し合えた市と火偸が顔を見合わせた時には、その馬は、砂埃の中に消えていた。だが、確かに見た。あれは恐らく、馬上鉄砲を構えた狙撃手だ。


(帰蝶さまが危うい…!)


 そう思った市は、気がつけばまごつく火偸に代わって半弓を取り上げていた。弓は苦手ではない。真鍮製の仕込み矢は扱いが特殊だが、いざと言うときは何とかなるだろう。


「あっ、こら弓を!?どこへ行かれるのです市さまッ!」

「火偸ッ、市を守りたくば続けッ!」


 結婚しても土壇場の無鉄砲は変わらない市であった。


 そして打って変わってその頃の帰蝶である。

 間近で爆音と爆風を浴びた帰蝶だったが、すでに活動していた。自ら仕込み槍を駆って、手勢を立て直す。まずいのは、あの地雷を合図に、わっ、と伏勢が、主の承禎を守るべく湧いてきたところだ。敵味方定かではない乱戦になったにも関わらず、味方の風体をすべて覚えている帰蝶は、的確にすれ違う敵勢を槍で突き伏せていく。

「味方の分からぬ者は合言葉を叫びなさい!あらかじめ、決めてあるでしょうッ!?」


 敵の血で黒く濡れた槍を駆りつつ、帰蝶はまだ、承禎の首を諦めていなかった。何しろ神出鬼没の南近江のヌシだ。こんな辺鄙な山中で仕留められれば、それこそ織田家にとって得難い僥倖(ぎょうこう)と言わざるを得ない。


(まだ、逃げてはいないはず)


 伏兵の動きは統率が取れている。恐らくは帰蝶と同じく、承禎もこの乱戦の中で味方をまとめているはずだ。その上で、効果的な撤兵を粛々と行おうとしているに違いない。


 偽の合言葉を叫んで襲いかかってきた相手を突き伏せてから、帰蝶は、その先に、承禎らしき僧俗の影を認めた。その男は帰蝶に気付いていない。やはり、この視界の悪いいくさを手じまいにしようと、指揮をしていた。影のように音もなく、帰蝶は忍び寄る。相手を確かめるまでもない。味方ではないと言う時点で、殺していいのだ。背後から頸の後ろの盆の窪を突き破って、喉笛まで田楽刺しにしてやろうと思った。

 しかし、だ。

 帰蝶がそのしなやかな肢体をしならせて、無慈悲な穂先を叩き込もうとしたその刹那。


 さらなる爆音が帰蝶の背をおびやかした。続いて重たい火箭の残像が、頬を掠めて火傷の跡を引いた瞬間、柄のもろい仕込み槍のけら首がけたたましい音を立てて弾けた。

 衝撃で帰蝶は、つんのめった。だが、地に伏しても槍の柄を放さなかったのは、さすがと言わざるを得ない。背後から蹄の音が近づいていることに、帰蝶はそこで気づいた。お陰で頭上を襲う何者かに辛くも、反応することが出来たのである。


「何者です」

 言いかけた帰蝶の双眸(ひとみ)が、思わず強張った。馬上、銃弾を放っておいてから、剣で追い打ちをかけてきたのは、帰蝶が目指すべき不倶戴天の相手であった。帰蝶は思わず身震いをした。まさか今この局面で、出くわすとは思わなかった。

「斎藤右京大夫…!」

 忘れようはずがない。あの稲葉山が落ちてから、探し求めてきた仇である。父、道三を長良川に散らせた義龍はすでに病に倒れた。しかしその衣鉢を継いで美濃に居座ってきた斎藤右京大夫龍興その人を討ち取ることが、帰蝶の生きる目標(しるべ)であった。


「お久しゅうございまするなあ、伯母上」


 流浪の龍興は言った。大胆にも狙撃に使った馬上鉄砲を打ち捨て、打刀を引き抜いている。蓬髪に頬髯(ほおひげ)、兜はしていないが、繕いの跡が生々しい古風な馬鎧だ。潜伏生活に気品は埋もれているが、美濃の蝮の血を継ぐ眼差しは衰えようはずがない。憎き同族の眼差しが、冷たく帰蝶を射ていた。


「殺す」


 (かつ)えたような声で帰蝶は言った。そのまま喉笛に喰らいつく勢いであった。しかし、得物はすでにない。こちらも噛みつきそうな勢いで、龍興は(わら)った。


 この血縁上の伯母は今や、最も執拗な織田家の追っ手なのである。その業を断ち切るのがこことなれば、好都合だ。

 龍興は馬を逸らせた。すれ違いざま、首を刎ねる気である。殺気ばかりは上等だが、帰蝶には反撃の術はない。このまま稲穂を刈るように、業ばかり強いこの蝮の姫の命を奪い去ってやろう。無言で龍興は決断したのだった。


(死ねッ!)


 帰蝶の白い頸に、龍興が剣を叩き込もうとしたそのときだ。背後から飛んできた矢が、龍興の肩当に突き刺さった。金属の冷たい痛みを感じ、辛くも龍興は馬首を翻した。

「誰だッ!」


「当たった…!」

 言うまでもなく今の一瞬、火偸の半弓を使って真鍮の矢を射たのは、急いで持ち場を降りてきた市であった。




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