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花繚(かりょう)の動乱  作者: 橋本ちかげ
第2章 浅井市
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第七話 長太刀の絶技

 いくさ場では、長太刀(ながだち)を縦に振り下ろすことはまずすべきことではない、そう言われる。


 その刃渡りの長さは、左右に活かす。

 太刀を担ぎ、前進しつつ、敵を薙ぎ払うのが定石である。


(それでも、あんな風に人は斬れない…)


 大凡(おおよそ)の場合、左右に払っていくのは敵を寄せ付けないで済ませるのが、関の山なのだ。


 しかるに長政の大太刀は、常人離れに冴えている。埋火も思わず、我を忘れてしまった。例えはずみを喰ったとは言え、玄人者の忍び働き二人を、一瞬で即死に至らしめる剣腕は、並大抵ではない。


「何を見ている」

 残心の姿勢を取ったまま長政は、厳しい声で言った。

「言ったろう。…君は主君を追え。ここは、一人で十分だ」

「でも、長政さまッ…!」

 と、埋火が何か言いかけた瞬間だ。

 死骸を踏み越えて、三人の忍び者が長政を取り囲んだ。


 一人が、鉄鉤(てつかぎ)つきの縄を持っている。さっき暴れ馬を捕り抑えるためのものだろうが、今度はこれで長政の大太刀を封じて殺そうと言うのだろう。


「早く行くんだ。ここは五人でも、まだ仲間が残っているかも知れない。…だろ?」

 埋火が、はっ、と息を呑んだそのときだ。


 息を合わせたように三人、同時に長政に迫った。鉄鉤が、長政の利き腕側から狙い、太刀を絡め取ろうとする。


 また逆手の左側から、そしてさらにその死角の背中側から、刺刀(さすが)を持った手練たちが間合いを詰めてくる。あらかじめ、練り上げられた連携技だ。初見でこの囲みを外すのは、どんな武芸者であろうと至難である。


 長政は悠々と大きく股立ちをとって腰を沈めた。その太刀筋は、ゆるい。(はや)い、と言うものには見えなかった。この死地に見せる余裕などはないはずだ。


(間に合わない)

 埋火は今度こそ、長政の死を覚悟した。


 しかしその刹那。

 ピュン、と釣り竿を振るうような、しなる太刀風が起こった。

 間髪入れず音を立てて、血飛沫が立ち上がるのが見えた。一人、やられた。


 悲鳴を上げる間もない。人肉を断つのは、張りつめたものが弾けたような不気味な破裂音だ。剣先は、鉤縄を絡め取っている。


 しかしそれもろとも、人を斬ったのだ。余りを巻いたままの縄手が、天高く飛び上がった。肘から先が見事に両断されている。腕を飛ばされ、歯止めを喪った縄は刀勢を押しとどめる力もなく、だらしなく長政の左足の裾に落ちた。


 次に刃圏を侵した相手は、左後方から迫っていた刺客だ。これは長政の、左手(ゆんで)の裏側から入り込んで、抱きつくように脾臓(ひぞう)を刺し貫こうとしていたのだ。


 が、算段が外れた。それよりも速く、左へ振り抜いた剣は、燕返しに戻ってきていたのだ。


 長政はまた、大きく太刀を右へ振り抜いた。敵はそれにすくい上げるようにして斬りつけられ、身体ごと巻き込まれて吹き飛んだ。ざっくりと脇の下から肩までを深く斬り裂かれている。埋火は胴体を両断されたかと思った。しかも、ぶつけられたのは最後にもう一人、迫っていた男だ。


 長政の隙を狙うはずが、重たい仲間の死骸を丸ごとぶつけられたのだ。刺刀程度では、防ぎきれない。相手は無様に尻餅を突いた。


「くっ」


 それでも這い出して死体の下敷きから抜け出すと、そこには長政がいた。血刀を真っ向大きく振り上げて、容赦なく拝み撃ちにするところだったのだ。


「ぐわッ」


 大太刀は本来、戦場では甲冑ごと敵を叩き潰す武器だ。唐竹に斬り下げられたその男は濁った断末魔を残すと、まるで踏みつけにされた(かに)のように、頭蓋を炸裂させた。


「まだいたのかッ!行けと言ったらさッさと行けッ!」


 殺気を帯びた長政の叱咤に、埋火は思わず、自分が斬りつけられたかのように身が縮まってしまった。

「ひッ」


「…すまぬ」


 吼えるように言ってからしまったと思ったのか、長政は(つや)やかな唇を()んだ。女性と見まがう美丈夫でありながら、その心根には荒武者の肝をもひしぐ激情があるのだろう。


「埋火…と言ったか。ともかくすぐに行ってくれ。まだ終わっちゃいない。市が危ないんだ。お前の他に、人手もあれば呼べるだけ呼んでくれ」

「はッはい…!」


 埋火は覚えず、走り出した。初めに腕を斬り飛ばされた男が、まだ生きている。長政はその男から、話を聞き、それから追いすがるつもりでいるのだろう。


(まだ終わっていない、と長政さまは仰せになった…)

 息せき切って走りながら、埋火の胸中には黒雲のようにある疑念がさしている。

(なぜ終わっていないと分かるんだろう…長政さまは何を知っているのか…)

 やはり長政にはまだ、明かしていないことがある。


「とっ、止まらにゃあッ!」


 さて、その頃のお市である。暴れ馬はまだ、止まらない。さしもの甲斐駒とて、すでに泡を吹きかけている。だが長政の剣にいきなり尻をひっぱたかれたのが、よっぽど驚いたのか、このままでは足を折るか、何かにぶつかるまで走り続けることだろう。

 どちらにしてもそうなれば、馬首にしがみついている市も、無事では済まない。


(もッ、もしかして…もうすぐ岐阜の口だわ…)

 刻々変わる風景に、市は、身を震わせた。


 このままだと、人だかりの中へ突っ込んでしまうだろう。一か八か、自分だけ飛び降りることも考えていた市だが、万が一、暴れ馬がそこへ突っ込んだとなれば、そのあるまじき大失態の報は、岐阜の主である兄、信長の元へ届いてしまうだろう。


(そうなったら兄上に殺される…!)


 確実に手討ち案件である。信長が怒り狂う姿が、目に浮かぶようだ。


「あっ、危にゃあ!暴れ馬だでや!」


 そのとき、誰かがが市と暴走馬の接近に気づいた。

 見ると、泥と垢に汚れた野卑な集団が、街道を歩いている。指をさして声を上げているのはなんと。市が目の敵にしている藤吉郎ではないか。


「おっおおおおっ、誰か乗っておる!えええ!?ああっ、お市さまあっ!!いったい何をなさるおつもりでえ!?」

「やかましッ!黙れこおおのしわッ猿ぅッ!見るなッ!叫ぶなッ!さっさと()ねええッ!」

 市は狂ったように、叫び散らす。

「あっ!あっぶなあッ!」

 藤吉郎たちは一斉に悲鳴を上げて、道を譲った。


(死にたい…)


 一番見られたくない奴に、一番見られたくないところを見られてしまった。醜態の極みである。しかし、藤吉郎たちの間を通り抜けてから、市は思った。なぜ今わたしは、助けを求めなかったのか。藤吉郎の薄汚い仲間たちでも、みんなで抑えてくれれば、大惨事は防げたはずなのである。


(もッ…もう遅いでかんわッ)


 後悔先に立たずである。


(終わった)


 市が信長の成敗を覚悟したそのときだ。

 端にいた何者かが馬体に走り寄ってきて、地を蹴って飛び上がった。

 一瞬、何が何だか、市には分からなかった。

 しかしその背に、何者かがいつの間にか居座っている。まるで忍者がするような軽業だった。


「合図したら飛べ」

 耳元で(ささや)いたのは、若い男の声だ。

「無理ッ!」

 市は即座に答えた。が、相手はもう、市が答えるのを待ってはいなかった。

「力を抜け」

 言われた途端、市は両脇を抱え上げられて馬から離された。


(また…殿方!?)


 両腕でがっしりと(いだ)きしめられて、草深い土手を転がった時、市は男の身体から香を焚きしめた匂いがすることに気づいた。着ているのは、清げに洗いざらした墨染めの衣である。


「危のうござったな」

 武家言葉で話す男の声音には、かすかな美濃訛りがにじんでいる。




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