第十三章 威圧 (四)
内蔵助こと佐々陸奥守成政は、総見院信長の死後、柴田勝家に与して秀吉に敵対した。北ノ庄落城後はいったん大人しく降伏したものの、目下のところはまた越中で敵方として活動し、その執拗な戦闘力で秀吉の盟友、前田利家を大いに苦戦させている。
敵味方の主力軍同士は、この犬山を北限とする長大な城砦線にただ籠もってじりじりと睨み合いを続け、日々の戦況に大きな動きはない。むしろ遠く離れた北方戦線における成政の活発な活動のほうが、秀吉にとっては心奪われる主要な関心事である。
弥三郎の奇妙な昔語りに、いきなりその名がぽっ、と出てきて、秀吉は大いに驚いた。
「内蔵助も、総見院様に謀叛しゃあがったのか?」
「正確には、兄の隼人正政次どのが叛心をお持ちだったようでござる。おそらくまだお若かった内蔵助様は、兄上の意向に従い、いわば佐々一族の総意のもと、流れで加わっただけでござろう。ところが、謀叛は事前に露見し申した。」
「・・・どうせ、あんたが気づいたんじゃ。そうじゃろ?」
弥三郎はただにっこりと笑い答えなかった。そしてむしろこう反問した。
「比良城下における、蛇替の話をご存知で?」
「ジャガエ?なんの話じゃ、わしゃ知らんぞ。」
秀吉は言ったが、又助が反応を示した。
「覚えておる・・・知っておるぞ、その話。たしか、比良の御堀に大蛇がでた、と。」
「さよう。正しくは、比良城の南東にあった大池での話でございます。ここは長大な堤の内側で、堤の外はいちめんの葦原が続いてござった。大小数知れぬ川が注ぎ込み、水気が多く、いつもじめじめと湿っているところでございます。そしてある夜、ここを南北に貫く唯一の通り道であった堰堤を歩いていた又左衛門なる者が、堤をまたぐように転がる大蛇と行きおうたというのです。」
「ふむ。それで?」
「その又左衛門、実は拙者の手の者でござる。庄内川南岸の安食村から小舟で川を渡り、謀叛の噂の流れる比良城を、それとなく偵察しておっただけなのですが。」
弥三郎は、面白そうに笑った。
「その帰り、大蛇がでたという噂を、付近の村々あちこちに撒きました。」
秀吉が、とつぜん身を乗り出した。
「比良のあたりは知っておる。確かにじめじめとした・・・攻むるには至難な土地じゃ。」
「ご明察!さすがでござる。さすが城攻めの上手。この弥三郎、感服仕った。」
そう言って頭を下げた。察しの悪い又助がきょとんとすると、弥三郎は朋友に優しく言添えた。
「これも、さきの火起請同様の、威圧でござるよ。誰も死なない、芝居気たっぷりの楽しい見せ物でござる。」
「付近の村々総出で、桶や鍬、鋤を持って集まり、大池の水をばしゃばしゃと掻い出したそうな。」
又助が、昔の記憶を頼りにそう言うと、弥三郎は大きく頷いた。
「掻い出せるわけがござらぬ。ただ、その振りをしておっただけ。皆で太鼓を叩き、鼓など打ち、笑いさざめきながら泥だらけとなり騒いでおっただけのことでござる。しかし、遠目には別の見え方がしたのではないでしょうか。そう・・・総見院様自ら音頭をとって、いわば城攻め、堀埋めの鍛錬であるかのように。おわかりでござろう。そのさまを、ほんの三町 (300メートル)先の佐々一族に、大いに見せつけたのでござるよ。」
「なるほど。」
「あからさまな叱責や、糾問使の派遣などより遥かに効果的な威圧でござる。もちろん、近在の民百姓を集めるのには、大いに財を散じました。その財力を見せつけることも目的のひとつです。もとより居もせぬ大蛇はついに見つけられませんでしたが、このあと、本物の毒蛇、すなわち佐々一族はそ知らぬ顔で総見院様に降り、内蔵助様の兄君おふたりは、その後、軍の先頭に立って勇敢に戦いお討死されました。」
「みずからの命を擲ち、一族の罪を濯いだわけか。」
「さよう。その後の内蔵助様ならびに佐々一族の急速な出頭は、いわば兄君お二人の、尊い命の対価でもあったのです。」




