第一章 犬山へ (五)
犬山城の主郭に入り込んだ彼らは、門内の広場でしばらく待たされ、やがて城側から案内が来て、馬上の老人ひとりが奥へ通された。ここまで隊を警衛してきた武装兵たちはひとまずお役御免、老人に随行してきた従者たちは、脇にある小屋掛けにて待機である。
老人は、口取りの手を借りてひらりと馬から降り立ち、先ほどの他国者の隊長に目礼だけしてから、案内人のあとについて歩き出した。そしてそのまま、眼の前いっぱいを塞ぐようにして建てられている、大きな御殿へと入った。さいきん造作された急造施設の筈だが、杮葺に唐破風の、最前線の戦闘施設にはおよそ不釣り合いと言って良い程、豪奢なつくりの寄せ (入口)であった。
そこで、いきなり声を掛けられた。
「弥三郎!弥三郎ではないか!」
老人は驚いて声の主を見た。そして、彼も思わず声を漏らした。
「おお!」
歩み寄ってきたのは、老人と同年輩の恰幅の良い武士。華美ではないが小綺麗な服装で、まるで朽木のように痩せて生気のない老人に較べると、血色がよく、ほどよく日焼けして健康そうである。
「又助どの。これはこれは、お久しく。」
老人は、笑顔を浮かべてこう答えた。
声を掛けてきたのは、太田又助という男である。諱は牛一。「うしかず」とも「ぎゅういち」とも呼ばれる。かつて織田上総介信長のお側近くに仕え、豪腕無双の弓の名手として鳴らし、その後は織田家宿老、惟住 (丹羽)長秀の与力となって齢を重ねている。二人が会うのは、もう十数年ぶりになるであろうか。お互い、風貌はずいぶんと変わったものの、こうやって互いに歩み寄り肩を叩きあう様には、かつての朋輩特有の親しみに満ちていた。
又助は、この弥三郎という老人に尋ねた。
「貴公も、筑前殿に招ばれてやって来たのか?」
「まさに。夜明けの急なお召にて、まずは、取るものも取りあえず。」
弥三郎は、少し困ったような顔をして笑った。
身分にほとんど差はないが、又助は、弥三郎よりいくつか歳が上である。織田家中にて仕え始めたのも数年早く、よって弥三郎は昔からの習慣として彼に対しては敬語を使う。この御殿の周囲に居る武士、すなわち筑前守秀吉に使える者たちは皆若く、知らぬ顔ばかりで、年老いた彼らはやや、身の置きどころがない。
そのまま、気のおけない二人で昔語りでもしたい気がしたが、今は、この国における実質的な最高権力者からの出頭要請を受けている身の上。まずは、その用向きを済ませてからだ。二人は並んで、案内されるまま御殿の奥へと入っていった。