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華闘記  作者: 早川隆
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第十二章  暗殺者  (二)

もともと上総介信長と弥三郎に、源六を排除する考えは無かった。丹羽氏には引き続き岩崎を安堵し、さらに尾張東端に版図を広げることを許す考えを持っていた。


そしてもちろん、信頼できる乳兄弟であり、上総介にとって数少ない身内ともいえる勝三郎には、尾張一統の暁にはさらに重要な役割を与える積りですらあった。


丹羽兵蔵なる、丹羽勢に対する親和感をあからさまに演出した名乗りとともに守山へずかずかと乗り込んできた弥三郎は、まず、そのことをはっきりと源六氏勝に伝えた。そして毎夜、膝を付き合わせて周辺の情勢をかき口説き、その場から上総介に使いを出して何枚もの起請文(きしょうもん)を書かせ、つどそれを示し落ち着かせた。


結果、複雑な源六の精神は平静を取り戻し、新たな火種は自然に鎮火したが、弥三郎は彼の口から、思わぬ敵陣営の思惑を知ることとなった。


そのとき美濃勢は、織田上総介信長を、直接亡き者にせんとする手筈を整えていたのである。




永禄二年二月、岩倉城の陥落がほぼ確定的となり、尾張一統が現実になったのを見計らい、上総介は、信頼できる近臣や馬廻りなど側近八十名ばかりを連れて京の都へと向かった。時の将軍足利義輝に拝謁し、尾張一統を報告、尾張守護への任官を促すためである。


これにより、かつて麻の如く乱れた尾張は名実とも正式に統一政体として認められ、織田上総介信長を唯一の国主として(いただ)くことになる。ただ名を得るためだけの伺候ではあるが、これは一統のための最後の重要な手続きというべきであった。


もちろん、任官のため公方や公家にばら撒く金子(きんす)は、一隊が大量に携行して行く。




栄を受けるに相応しい、華やかな扮装をした彼ら一行は、冬枯れの尾張平野を西に進み、津島よりまず伊勢へと渉った。そこから山道に入り、峻険な八風峠(はっぷうとうげ)を越えて琵琶湖を目指した。敵対領域を避け、美濃勢の監視から行動を隠匿するためである。


しかし、上総介のこの動きを、あらかじめ丹羽源六を通し事前に報知されていた美濃側は、周到に準備を進めていた。室町公方に近い人脈を動かし、都の辻での撃殺について、将軍の黙許を得た。次いで小池吉内、平美作、近松田面、宮川八右衛門、野木次左衛門などといった手練(てだ)れの暗殺者どもに精鋭三十名ばかりを率いさせ、彼らは日々鍛錬に鍛錬を重ねた。


上総介の出立(しゅったつ)が急だったため、彼らは一日ばかり遅れて、北廻りの関ヶ原越えで後を追った。遅れはしたが、移動すべき距離は上総介一行よりも短く、道もはるかに平坦である。目立たぬ装いで騎乗した彼らは迅速に行動し、琵琶湖岸を南下して志那渡(しなのわたし)へと至り、そこで馬を捨て、船で対岸の坂本へ湖水を渡った。




彼らの他に、数名の同船者がいた。雑多ななりをした商人や旅芸人、叡山の代僧などの平民どもである。彼らはみな湖水を越えて北から吹き付ける寒風に身を固くし、笠を深く被って一様に(うつむ)いていた。


うち一人の男が、美濃の暗殺者一行のひとりに話しかけた。

「どちらから来なさった?」

「美濃でござる。」

話しかけられた男は、嫌がることなく丁寧に答えた。


地味な身なりとはいえ、腰には太刀を指し、弓矢や鉄砲を入れた長持までも携行する彼ら三十名もの武者崩れどもは、さして大きいともいえぬ船中にて、相応に目立つ。


ゆえに、誰かに誰何(すいか)された場合の受け答えの仕方については、下手な疑惑を招いて騒ぎとならぬよう、ここまでの道中で遺漏なく申し合わせがなされている。男は、教えられたその手順通り、にこやかに答えた。


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