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華闘記  作者: 早川隆
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第十章  使嗾  (五)

「尾張を束ねるための仕事は、その最終局面に立ち至っておりました。」

弥三郎は言った。

「美濃からの切り崩し・調略という音なき攻撃は続き、やがて総見院様の腹違いの兄・信広様が反旗を翻され、清洲に反抗する動きを見せ始めました。勘十郎様はいまや完全に隣国美濃に取り込まれ、その王の命ずるがまま岩倉と組み、東と北から兄君を挟み撃ちにせんと図っておられます。」


ここでひとつ、にこりと笑って、

「しかしその膝下には拙者が居り、もうひとりの重臣・柴田権六殿とともに清洲と通じておりました。さらに末盛の味方であるはずの守山城中にも丹羽が居り、美濃との通信の内容をいち早く、密かに知らせて参ります。つまり我らは、勘十郎様よりも少しばかり早く相手の意図を知り、一歩先に手を打つことができました。」


「どういう手を、打ったんだよ?」

又助が聞くと、

「まず、ここを。」

弥三郎は言い、いま自分たちの居る広壮な屋敷を眺め渡すような仕草をした。

「この犬山を、取り込みました。当時はまだ、こんな立派な座敷ではなく無骨な板張りの床でございましたが、まさにこの場に密使を送り込み、織田諸家のなかでどこにも属さず独立と沈黙を守り続けていた織田信清様に実の姉君を(めあわ)せ、莫大な利得をお約束された上で、お味方になさったのでございます。」


「うまい手じゃな。この犬山の大切さは、いま狸と対峙している儂としては、身にしみてようわかる。内戦を繰り返す尾張の野を見渡し、背後から牽制するには、まず絶好の場所じゃ。」

秀吉は言った。すかさず、又助も続けた。

「そして、末盛と美濃との密使の連絡を、妨害することもできますな。」


「うん、そうじゃい。ここを抑えられれば、末盛は、もはや尾張の東にぷかりと孤立する浮島みたいなもんじゃ。又助さんの言うとおり、岩倉との通交も思うようにはいくまい。それにしても、互いにやったりやられたり。いままさにここで儂が日々、狸 (家康)としている駆け引きに劣らぬ、凄まじい調略合戦じゃな。」


「斎藤義龍は、強敵でございました。あの折はまだ彼も美濃国内を安定させることで手一杯、こちらに攻め寄せる気配までは示しませんでしたが、彼にとっては、尾張がいつまでも混沌とし、内乱状態で居続けてくれることが自国の安全を図る上で大切なことだったのでしょう。」


「まさに、隣国としては理想の状態じゃな。息のかかった誰かをちょっと支援し、焚きつけるだけで、自らは傷つくことなく、何年も燃え続ける特上の火種をばら()くことができる。そして高みの見物としゃれこんでいる間に、宿敵は二つに割れて殺し合い、やがて勝手に疲弊してくれる。」


「そしてともに疲れ果て、力を失ったところで悠々、国をまるごと()りに・・・。」

又助が引き取り、次代の天下人はニヤリと笑って頷いた。しかし、弥三郎は悠然と笑いながら軽く手を振り、二人の先走りを抑えた。

「美濃もそうですが。しかし、わが尾張には、東に、より強力で危険な敵がおりました。」


「三河、いや駿河。今川か。」

秀吉が言い、弥三郎は頷いた。

「まさに。実はそちらのほうが差し迫った大きな脅威でした。美濃はただ、尾張が内訌状態を続けておればそれで良しとするだけのいわば消極的な脅威でしたが、今川は違いました。特に、鳴海(なるみ)沓掛(くつかけ)・大高の三城を核とする東尾張の一帯を調略で切り崩したあと、彼らは軍を起こし、さらに西進してくる気配を示し始めました。」


「そうか、その頃はすでに三国会盟が成り、今川には西方以外に敵はいない。」

秀吉は言った。


いわゆる三国会盟による北条、武田、今川の手打ちにより、東方と北方の脅威が無くなった今川氏は、その麾下(きか)の大軍を集中して、いつでも西進できる態勢にあった。延々と内訌を繰り返し、国が弱った印象を周囲に与えていると、織田の各派閥は、まとめて隣国からの巨大な波に呑まれてしまう可能性がある。弥三郎は、そのことを言った。


「もう、あまり余裕は残されておりませなんだ。」

弥三郎は、とつぜん伏しがちだった顔を上げると、決然とした面持ちで言った。

「尾張は、早々とひとつに(まと)まり、これらの外寇(がいこう)に備えなければなりませんでした。諸人一致してただ一人だけの強力な王を(いただ)き、彼の振る(さい)のもと、団結して動かねばなりませんでした。」


とつぜんの弥三郎の気勢に呑まれ、又助と秀吉は、たじろいだ。

「もはや内訌に身をやつしている場合ではありません。尾張国の中での自分の地位などに拘泥し、小さな名や地位を得ることに惑溺している織田勘十郎ごときの飯事(ままごと)に、つき合うとる余裕はございませんでした。いや、あろうことか勘十郎は、よりにもよって外敵と手を組み、その意のままに動いて国事を邪魔し、尾張を引っ掻き回すのです。これは、万死に値する重罪と申すべきでありました。」


又助と秀吉は、まだなにも言うことができない。

弥三郎は全く気にせず、ただ決然と己の言葉を継いだ。

「そこで、決めたのです。総見院様と。いや、拙者が。末盛の御城で日々勘十郎様に御仕えする振りをしていたこの津々木蔵人が、総見院様に決断を迫り、弟御への処置を決定したのです。」


もちろん、二人はその処置のことを知っている。だが、聞かずには居れなかった。又助が言いかけたが、先に秀吉が言った。

「弟御を、誅殺すること。だな?」


弥三郎は、間髪を入れず頷いた。

「誅殺すること。そしてそれだけではない。その首を、早贄(はやにえ)として枳殻(からたち)の枝に突き刺すこと。」




もはや完全に血の気の戻った艶やかな肌を紅潮させ、目を輝かせ、白い歯を見せ、そしてありし日の若人のように、津々木蔵人は爽やかに笑った。

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