第九章 鷹匠 (四)
「もうわかったよ、もうわかったよ、ちっくしょう!」
秀吉が、いきなり素っ頓狂な大声を上げた。
「梁田弥次右衛門が清洲のお城から姿を消すのと同時に、末盛に津々木蔵人なる鷹匠が現れたんじゃ。清洲が片付き、次は末盛。ぜんぶ、総見院様とおみゃあさんの目論見だったんじゃろ?」
秀吉は言い、くやしそうな顔をしながら、閉じた扇でまっすぐ弥三郎の胸板のあたりを差した。
「わしゃ、なんも聞かされていなかったでよ。今の今まで。総見院様も、なんも教えてくりゃあせん!」
言い終わり、苛立たしげにその扇を開いて、せわしなく自分の首筋に風を送り込みはじめた。
「つまりよ。武衛様 (斯波氏)への謀叛からはじまる、この尾張のすさまじい内訌の最初っから最後まで、常にあんたが影で関わっていた、いうことかい?」
横から又助が、唖然としたままの顔で尋ねた。弥三郎は、目を瞑りながらゆっくりと頷いた。
又助は、納得がいかぬかのように質問を続けた。
「いや、おみゃあさんがそげに凄い細作だとしてもよ、同じ尾張国内で、同じ面さげてあちこちのお城を、別々の名を名乗って気ままに出入りするなぞ、できるものかい?おかしいと気づく奴は、必ず居るじゃろう?」
「実はそれも、細作としての腕のうち。」
弥三郎は答え、その秘訣について幾つかを口にした。すなわち、平素より目立たぬように振舞うこと。人の印象に残らぬよう、静かに抑揚なく話すこと。目標とする貴人に取り入ることに成功したら、あとは必要以上に人前に出ぬこと。友は一切作らぬこと。そして、誰かの恨みを買わぬこと。
「これらのことを心がけるだけで、随分と人の覚えの裡からは消え申す。人は、自らが気にすることしか、月日を跨いでまで覚え続けることはありません。皆々、ただ自らが生き残るため、日々をなんとかやり過ごすのに精一杯なのでございます。」
「そげなもんかいよ。あんた、若ぇ頃はそりゃ見場の佳い顔じゃったから、人はいつまでも覚えていそうなものじゃがな。」
言って、又助は思った。そういえば、昔からこの弥三郎が身に纏っている儚げな雰囲気は何だ?ふっ、と息を吹きかけると、まるですべてが消えて無くなってしまいそうな。常に、その存在そのものに幽かな靄のようなものがかかっており、そこに当たる光を弱め、拡散させて、くっきりとした影を作らずにその輪郭をぼかし続けている。
まるで、この世に在りながら、この世のものでないような、そんな雰囲気を弥三郎は身に纏い続けている。どこか不思議な男だった。美しいかたちの顔を持ちながら、しかしそれは誰の印象にも記憶にも残らない。
祝弥三郎重正は、まるで顔のない男のようだった。
上座から、弥三郎とは好対照といっていい、その醜さゆえ誰の記憶にも残り続ける容貌の小男が、悔しそうな顔をして二人を眺めていた。彼はまるで、弥三郎のした話に自らの優れた才覚と洞察力による解説を加え、過去の出来事の真相を解き明かし続けなければ、我身の置き所がなくなるかのように言った。
「そうじゃ・・・そうじゃ!稲生原の戦でも、それに先立つ一連の綱引きでも、あんたは常に、勘十郎様に従うふりをして、単にこれを煽っていたんじゃ。まるで、敵から誰かを裏切らせたようなそぶりをして、実は自らが総見院様の走狗だったんじゃ!全て、事前に申し合わせたとおり。あんたは、総見院様の得になるように勘十郎様を操り、傀儡のように踊らせて・・・傀儡の胸いっぱいに大っきな夢を見させて。そしてさいごに、指先でピンと突いて、ぱたりと倒したんじゃ。」
「そうして・・・尾張は。」
又助が言いかけたが、そのあとはせわしなげに秀吉が引き取った。
「ぜんぶ、織田上総介のもんになっちまった!」




