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華闘記  作者: 早川隆
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第九章  鷹匠  (三)

津々木蔵人を得た織田勘十郎信行は、はっきりと実の兄、織田上総介信長に敵対する意思を固めた。


そして、そんな彼にほどなく木曽川の向こう岸より心強い追い風が吹いてきた。弘治二年四月、美濃国で前国主の斎藤道三が息子・新九郎義龍に攻められ、敗死したのである。


道三は成り上がり者ながら、美濃を奪って後は茶事や(みやび)ごとに耽溺し、かつて持っていた緊迫感や鋭さを失っていた。このざまを見た美濃国人衆は、むしろ彼の息子を担いで道三に敵対し、数年に亘る内訌は悲劇的な結末を迎えた。そして同時にそれは、道三の好意と内々の支援を得て尾張における自らの立場の根拠としていた織田上総介信長にとって、隣国の強力な後ろ盾を失うことを意味した。


美濃の新国主・斎藤新九郎義龍は、父親以上に有能な男で、自国を強力に統治しただけでなく、隣国へもそろりと手を伸ばしてきた。これまで上総介に押され通しであった尾張守護代家や岩倉織田家などの旧勢力を積極的に支援し、勘十郎信行にも急接近した。内からは津々木蔵人から夜毎に焚きつけられ、その気になった勘十郎は積極的に手を打って実の兄を追い詰めて行く。


津々木に申し含められたそのやり方は巧妙だった。まるで百舌が他の鳥の鳴き真似をして餌を誘い出すかのように、表向きはこれまで通り清洲の兄との協調路線を崩さず、微笑みとともにその指示には必ず忠実に従った。また清洲や那古野に居ては危険が大きいと説き、実母の土田御前を自らの末盛城に引き取って保護した。


その裏で、いまだ盤石とはいえない清洲の家臣団に手をまわした。特に古より尾張に根を張った土豪たちに利をちらつかせてこれを取り込み、信長の筆頭重臣・林佐渡守秀貞をまず内々に味方とした。また比良(ひら)の城に()佐々(さっさ)氏も誘い、兄を支える両翼をまずもぎ取ることに成功した。同じ頃、兄が守山に送り込んだ織田信時が城内の醜聞がらみで角田新吾に討ち取られたが、もちろんこの裏には南に隣接する末盛城の勘十郎と津々木蔵人の手の者たちによる暗躍があったのである。


兄は、知らぬ間に実の弟の手で丸裸にさせられていた。隣国の思惑も入り、上総介信長はこのまま、本性を隠した愛くるしい姿形の百舌の(くちばし)に突かれ、噛みちぎられるのを待つばかりとなっているかのように見えた。




だが、織田勘十郎信行の見た夢は、たまゆらの(はかな)いものであった。


これら一連の動きは、なぜか兄によりいちいち察知され、数多く計画された暗殺作戦はその直前になってことごとく回避され未遂に終わった。苛立った勘十郎は、津々木に促されるまま清洲の重要な直轄領であった篠木郷(しのきごう)を力づくで横領するという挙に出てしまい、いまや百舌ははっきりとその獰猛な本性をあらわにして、みずからの兄に鋭い嘴の(きっさき)を向けた。


尾張を割った兄弟骨肉の戦いは、しかしほんの数日だけで決着することとなる。両勢それぞれ千単位の大軍を向け稲生原で対峙したが、清洲側のねばり強い戦闘力に押された末盛勢は、ついに敗れて四散した。


信行が調略した林勢は末盛方に参じたが、佐々は清洲側につき奮戦した。佐々一族の次兄・孫介は、先に織田信光を殺害した坂井孫八郎を誅した武士であるが、この戦いの序盤、信行方の先鋒となった柴田権六勢の圧倒的な攻撃に立ち向かい討死した。


柴田勢の怒涛の勢いに、次々と戦闘部隊を引き剥がされ危機に陥った信長勢であったが、ここで本陣を守っていた一門の織田造酒丞(みきのじょう)信房や織田勝左衛門が奮戦した。さらに新参の森三左衛門可成(さんざえもんよしなり)の働きは目覚ましく、息切れした柴田勢をやがて撃退し、ひいては勝敗を逆転させることになる。森は隣国・美濃にて旧守護の土岐氏に仕える武士であったが、義龍の統治を嫌って尾張に流れ、信長に拾われたのである。彼はこの戦闘で大いに名をなし、以降、織田家の軍事の中核となって最前線を駆けることになる。


いっぽう、柴田勢をのぞく信行麾下の末盛勢は、全体に意気が上がらず、その戦いぶりも鈍かった。兵数では信長を凌駕していたものの、長年、信行の附家老(つきがろう)として薫育に当たっていた佐久間大学丞(だいがくのじょう)盛重が、ここにきて信行を見切り、信長方に参じたという事実が彼らの脳裏に重くのしかかっていた。


盛重は家中でも有数の人望ある知恵者だったが、(ねや)で津々木蔵人の甘言にのみ耳を傾けるようになった信行に愛想をつかし、あろうことか稲生原の戦場近くに名塚砦を築き立て籠もった。信行の大軍は、まずそこで気勢を削がれ鋭鋒(えいほう)が鈍り、これが後々の戦局へ大いに(たた)ったのである。




数十名の馬廻や小姓衆、一門衆らの奮戦により敵の攻撃をしのぎ、清洲勢がいったん体勢を整えて逆襲に転じるや、結束の(もろ)い末盛勢は大いに崩れ立った。清洲股肱の重臣でありながら末盛方に投じた林一族の美作守(みまさかのかみ)通具(みちよし)は、黒田半平という武士と一騎討ちし相手の左手を斬り落としたが、織田勝左衛門の配下の雑兵に組討ちを挑まれ、疲弊しきったところを、敵将上総介信長に突き伏せられ、あえなく首級を挙げられた。


信長は自ら脇差を押し付けて美作守の(くび)を掻き切り、まだドロドロとした黒い血を吐き出し続けるそれを高く掲げて振り回し、高く澄んだ大音声で勝利の雄叫びを上げた。意気揚がる全軍がそれに唱和し、もはや戦勢は決定的となった。


士気沮喪し、ばらばらに逃げ散り始めた敵を、背中から狩る残忍な追撃戦が始まった。翌日に行われた首実検では、末盛方の錚々(そうそう)たる武士たちの変わり果てた姿が認められたが、数百も積まれた首の中には、末盛城からの使嗾(しそう)によって守山城内を引っかき廻した、あの角田新五のそれも含まれていた。

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