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華闘記  作者: 早川隆
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第八章  椿事  (二)

又助の言う大事とは、六月二十二日に起こった事故のことである。叛乱成功後、織田信光より守山城を与えられた弟・織田信次が、城下を流れる庄内川の竜泉寺近くにある渡渉点の近くで川狩(かわがり)を行った。前年の七月に清洲で守護の嫡子が行なった私的な川漁とは違い、ある日、川に出現した珍しい緋鯉(ひごい)瑞祥(ずいしょう)と信じた新城主・信友が、明るい話題で慰安を与え民心を落ち着かせようと図って行なった大掛かりなものだった。


信友のお側近くに仕える武士たちが、袖をまくって川に入り、流れを()き止め、網を打って鯉がやって来るのを待った。その美しい鯉を捕らえ、城内の池に移して訪問客に見せるのが目的だったが、すでに噂は守山城下を廻り、多くの民草(たみくさ)や町雀どもがわいわいと川の両岸に見物にやって来ていた。信友は、思わぬ大行事となってしまったこの川狩を指揮し、河原にて美麗な狩装束(かりしょうぞく)に身を包み馬上に()った。馬廻りや武者どもが互いに数(けん)の間を置いて物々しく周囲を固め、いまだ情勢不穏な尾張において、野晒しの主人に不審な者が接近するのを防いでいる。


そんな折、向こう側の土手に、一騎の騎馬武者が現れた。


遠くて顔は見えないが、立烏帽子を被った立派ななりの若武者で、信友に負けず劣らずの美麗な装束に身を包み、弓を小脇に挟んで、ぴんと背を張り、静々と馬を進めて来る。まっすぐ、河原の織田信次の方へ向けて。周囲の護衛どもは、皆緊張した。その謎の武者の乗馬は土手を降りる際に自らの重みで少し勢いがつき、やや怯えた護衛どもには、まるで彼がまっしぐらにこちらへ向けて駆けて来るように思えた。


いずれにせよ、そのなりにふさわしい貴人が、自ら名乗りもせず、馬の口取(くちとり)ひとりも付けずに単独で騎行して来るのは不審である。まずは護衛の誰かが大音声でこの武者に注意を促し、馬を停めさせ誰何(すいか)すべきであったが、まさにちょうどそのとき、川の両岸で大歓声が上がった。


川の流れに(すね)まで浸した男の一人が、問題の緋鯉を抱き抱え、得意満面で皆にかざして見せていた。だが、次の瞬間に手を滑らせ、鯉は派手に水しぶきを上げて逃げてしまった。周囲の何名もの男が慌てて手にした棍棒で水を叩き、大きな円形を作って再び鯉を追い込み捕らえようとした。


その騒ぎのなか、問題の騎馬武者は馬を進め、いや、歓声の上がった原因を見きわめようと自分も鞍から立ち上がり、なお歩速を速めてずんずんと近づいて来る。護衛たちはつい、誰何の機会を逸した。


洲賀才蔵(すがさいぞう)という名の腕自慢の弓術師範が、無言で手早く矢を放ち威嚇した。その矢は狙った訳ではなく、騎馬武者の予想進路上の数歩前に落ちるように計算して射掛けられたのだが、不幸なことに、馬の歩速が上がっていた。なお重い馬体による勢いもついて、武者はみずから引き寄せられるように矢の到達点に向け進んだ。上空に弧を描いて落下した矢は、その胸にまっすぐ突き立ち、彼は無言のまま河原へ転げ落ちた。


川岸のあちこちで悲鳴が上がり、戦闘が始まったと早合点した群衆の一部が、何やら叫びながらほうぼうを駆け回り始めた。恐怖が伝染して人の壁が崩れ立ち、何名かが蹴落とされて土手を落下した。川の中に入った臨時の勢子たちは、小高くなった河原の状況がまったくわからず、流れの中でただ茫然としていた。緋鯉は静止した包囲網をすり抜け、無事に下流に逃げおおせた。

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