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華闘記  作者: 早川隆
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第七章  舞人  (五)

筑前守秀吉は言った。

「その、相手の誘いに応ずる振りをして清洲の城を奪うという策略。おそらくそれは、信光殿の考えではあるまい。」

弥三郎が眉を上げ、少し驚いたように秀吉を眺めた。秀吉は言葉を続けた。

「それも・・・その策略も、おそらくは梁田弥次右衛門なる細作の発案であろう。梁田が那古野弥五郎を動かし、弱り切った老臣の大膳に知恵を授け、必要なお膳立ては全て行って、そのうえで信光殿に発議させたんじゃ。」


「すなわち、清洲の城を巡って起こりし事ども、はじめっから仕舞いまで、すベて城内に潜入した梁田弥次右衛門の書いた筋書どおり、という訳ですかな?」

又助が、そう言って唸った。


「まさにその通り!たぶんそのあと那古野で密通の挙句に信光殿を(しい)させるところまでが、弥次右衛門のあつらえた一連の流れじゃい。敵対する因幡守家を潰し、その策略に利用した弾正忠家の内の競合者も、そのついでに消してしまう・・・情け容赦のない、しかし、完璧な流れぞ!その弥次右衛門なる細作、かなりの手練れじゃ。総見院様がそげに早くから、こうまで知恵の廻る凄腕の細作を飼い慣らしておられたとはの。まさに、驚きじゃい。」

秀吉も、いままさに自分が凌駕せんとしつつあるはずの先主の実力に、改めて戦慄を覚えたように頷いた。


「して?」

又助は、不思議そうに弥三郎に尋ねる。

「その弥次右衛門なる細作は、その後どうなったのじゃ?儂は、そんな男のことなど、まるで聞いたことがないぞ。」


「又助さんは、当時まだ家内で出頭をはじめたばかりの若武者。御城の奥向深くのことなど、知らず当然。」

弥三郎は、顔色も変えずに答えた。

「しかし、噂を聞いたことくらいはござろう。当時の、清洲に限らぬ尾張じゅうの城や屋敷における風紀の乱れ、不義、密通、姦通、あまたの紊乱(びんらん)ぶり。男子(おのこ)女子(おなご)も関係なく、互いに明日をも知れぬ身の者どもが、いま生きているという実感を確かめるためだけに肉と血の匂いを求める、あの狂乱を。」


又助は顔をしかめ、やがて苦しそうに頷いた。

「たしかに・・・あちこちで、そうした下世話な噂が廻っていたのう。あの頃の尾張は、本当に国じゅうが(いびつ)で、とにかく奇妙でおかしかったわい。秩序というものが、まるで無かった。」


「総見院様が、国を(まと)められるまでは。」

弥三郎は続けた。又助も頷いた。

「そして、そのために必要な男でござったのじゃ、梁田弥次右衛門は。彼は、秩序なく乱れ腐り、ただ美濃や駿河に狙われるばかりであった惰弱な尾張を、さらに限界まで()き乱し、あちこちにこびりついた汚泥をいったん全部浮き上がらせてから、一気にこれを大掃除したのです。そしてその仕事を()えると、なにも言わずに清洲の城を立ち去りました。」


「弥次右衛門は、那古野弥五郎に仕えていたのじゃろ?少なくとも形式は。」

秀吉が確かめた。

「その主にもなにも告げず、いきなり姿を消しちまったのかよ?」


「さよう・・・いつの頃かいまひとつ不分明(なが)ら。彼の姿は、混乱を極める清洲の城中から、すっと消えてしまいました。」

「いまでも生きてんのかよ?それとも、国外の細作だったのか?儂はご存知のとおり、当時は奥向になんか入れねぇ、ただのしがない土民に過ぎねえ。そんな話、いまのいままでまるで知らなかったでよ!そんな凄え細作、まだ生きてんのなら会ってみてえもんじゃ。そいつの、その後の行方はわからねえのか、弥三郎さんよ?」


秀吉がいきおいこんで弥三郎に尋ねた。

まるで、お気に入りの新たな家臣を物色するような目つきである。




祝弥三郎は、少し困ったようにふっと笑い、その切れ長の涼やかな目を上げた。


秀吉と又助は、その仕草に、思わずハッとした。


目の前にいるのは、身体中から水気の引いたような、朽木のように痩せこけた老人に過ぎないのに。しかしいま見せた仕草は妙に(なまめ)かしく、人の心を、男女問わずざわざわとそよがせる。それは祝弥三郎が、生まれ落ちるとともに身につけていた能力であった。彼は、かすかな笑みを湛えたまま、ゆっくりと、柔らかい声でこう言った。


「かつて梁田弥次右衛門と名乗っていた男、年老いてもいまだ健在でござる。細作から身を引き早や幾年(いくとせ)。悠々と退隠し、小さな宿場町の領主として(よわい)を重ね・・・そしていま、ご両所と共に犬山城の御殿に座り、楽しく昔語りなどしてござる。」

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