第五章 乳房 (三)
「ところで、長久手のことでござるが。」
弥三郎がやや威儀を正し、言葉を戻して尋ねた。
「結局、勝蔵殿も勝入入道も、そのまま三河兵に包囲され、討ち取られたのでござるな?」
「そう聞いちょる。まず、勝蔵が足元にずっと潜んじょった敵方の足軽に眉間を撃たれ、谷底で討ち取られた。何人かの生き残りの話じゃあ、なんでもその後、その谷底で敵味方くんずほぐれつ、どえりゃあ首の取り合いになったそうじゃが、結局、味方が取り戻してきた・・・勝入入道もそのすぐ後に討ち取られたが、遺骸はいまだ行方知れずじゃ。」
「なるほど。誠に惜しい方々を亡くしましたな。大御乳様も、さぞやお気落としのことでござろう。」
弥三郎は、どこか遠いところを視るような眼で言った。養徳院すなわち池田恒興の母親はこの当時まだ健在で、かつて生後まもない織田信長の乳母だったことがある。すなわち池田勝入恒興は、信長と乳兄弟だったのである。
「そうか、又助さんも弥三郎さんも、勝入入道とは昵懇だったにゃあも。」
秀吉は、思い返したように言った。
「儂にゃ、はじめの頃はお側にとても近づけんくらい偉いおひとじゃったけど、あんたたちは違ったよな。そういや、よう、話をしとった。」
「たいへんにさばけた、佳き心根の方でござった。」
又助が言った。
「武芸自慢ではあったものの、闇雲に功を誇らず、お館様の乳兄弟という地位を鼻にかけず、我ら軽輩にも分け隔てなく接してくださった。あの名うての乱暴者であった勝蔵殿も、勝入入道にだけは決して口ごたえ致さなかったそうでござる。」
「そうか。又助さんも真っ直ぐな武辺者だしな。気も合うたであろうの。」
秀吉が言った。だが、ふと気づいて、又助にこう尋ねた。
「入道のご母堂を、わしらは養徳院様とお呼びしておったが、古株の面々は大御乳様と呼んじょったのう。」
「さよう。大御乳様、または大乳人様とお呼びしてござった。」
又助は答えた。
「大御乳様が、萬松寺様 (織田信秀、信長の父)のご側室となられたのは、後になってからのこと。最初は乳母として上がられ、お館様に乳をお授けになられていたのでござる。そういえば・・・。」
「ぅん?」
「いや、面白き話がござってな。」
又助は、微笑みを浮かべながら言った。
「いかにも総見院信長様らしい逸話でござる。普通は、赤子というのはやわらかい乳に唇を寄せ、そのままひたと吸い付くものでござる。しかし総見院様は・・・まだ乳飲み子であった時分よりご気性激しく、癇強く。乳母の乳に吸い付くどころか、歯でぎりぎりと齧りつき、ときに乳首を噛み切ることもあったそうで。」
「なんと!」
秀吉も、なんともいえない苦笑いを浮かべた。
「いかにも。いかにもお館様らしい話だなも。」




