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華闘記  作者: 早川隆
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第四章  罠  (六)

あの晩、羽黒の陣にやってきた使者の一言。


あの余計な一言に乗せられて、歴戦の勝蔵は、むざむざ策を誤った。迅速な敵軍の反撃を全く予期せず、危険きわまりない突出地にただ孤軍で野陣を張るという自殺行為をしてしまった。


そしてあまたの部下を死なせ、常勝の森一族に、いまだかつてない敗北をもたらして、耐え難き恥辱を味わわせた。


羽黒からほうほうのていで犬山に退却し、恒興に抱きかかえられるようにして介抱されながら、勝蔵はただ、その場であらん限りの怒声と呪詛を吐き散らかした。周囲は、それを恥辱に塗れた猪武者がただ逆上しているだけと捉えていた。




(とど)まるも退()がるもご随意に。


あの余計な一言で!


怒りの焰が、胸の奥深くに立ち上がり、勝蔵の臓腑(ぞうふ)と精神とを()いた。次いで、大きな波のような後悔の念が押し寄せてきて、勝蔵はそれに呑み込まれそうに感じた。


しかし、羽黒に留まるという選択をしたのは、あくまで勝蔵である。確かに(わし)は、敗北の責めを負わねばならぬ。勝蔵は思った。この儂は、人生はじめての敗北に戸惑い、適切な指揮を執れず、死なないでもよい部下を大勢死なせた。その(ゆる)されざる慢心と油断。


やがて周囲より人が払われ、二人きりになり、彼を慰める舅の腕に取りすがって、はじめて勝蔵は泣いた。悔しさと情けなさと、自分自身に対する怒りとで、涙がただ、とめどなく溢れ出てきた。




そしてその数日後、そんな勝蔵の失地回復のため、舅が持ち込んだこの野心的な中入り策。勝蔵は、そうした身内の気遣いをありがたく思った。そして、冷静に考えればさまざまな危険と無理とがあるこの策に、無批判に乗った。


翌日、本営となった犬山城にようやく着陣した総指揮官・羽柴秀吉も、敵味方の陣地構築合戦で早くも膠着しかかり、長期戦の様相を呈し始めた前線の模様を憂慮して、戦役の短期決着のためこの策を裁可した。




そして今、勝蔵はここ、首狭間に立っている。


勝蔵は、ふっ、と笑った。すべてが、この儂の失策のせいだ。この鬼武蔵の至らなさで。あの余計な一言に乗ってしまった所為(せい)で・・・八千に及ぶ大軍がこの陰鬱な谷底に押し込められ、蓋を閉じられて、今にも丸ごと()られようとしている。


せめて、丘上への突撃の先頭には、儂が立たねば。勝蔵は強く思った。この「人間無骨」の十文字槍を振るって、丘の斜面を駆け上がり、敵の銃火を(かわ)して、丘をまるごと占拠するのだ。低地からなのでよくは視認できないが、前面に展開しているのは、おそらく敵の領袖、三河の徳川家康の本陣であろう。この堅陣を突き破り、敵将を追い落として、せめて舅の軍勢の退路だけでも啓開しよう。


そしてそれが、鬼武蔵のなすべき、この世で最後の大仕事だ。

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