第三章 鬼 (五)
彼らの進路上に、やがて相次いで二本の河が現れる。矢田川と香流川。そして、その流れを渉った先に、二つの山稜を分かつ、首狭間と呼ばれる不気味な谷が伸びていた。そして、その奥の斜面に、岩崎城という名の織田・徳川方の城砦が在った。
岩崎城は、東尾張の重要拠点として、古くから三河方面への押さえとして重要視されてきた歴史ある城砦である。しかし、今回は主陣地線から遠く離れ、味方領域からも離れた孤立拠点に過ぎない。城に詰める兵も、合計して二百四十名ほど。万を越える羽柴軍の怒涛の進撃を止める力など無論なく、ただ目前を通過する大軍の行動を、味方へ急ぎ急報する程度の対応しか取りようがない。
ところが、わずか十六歳の守将、丹羽次郎氏重は、果敢にも城外へ討って出て、突如現れたこの雲霞の如き大軍に対しまさに蟷螂の斧ともいえる絶望的な抗戦を試みた。
敵地撹乱を主任務とする池田勝入斎恒興が、ほんらい採るべき方策はひとつ。この、ちっぽけな挑戦を黙殺して通過し、あとに彼らの行動を拘束するための警戒兵力を少数、残しておく。これのみである。
ところがこの歴戦の名将は、ここで、まるで理解不能な愚かしい選択をした。この十六歳の子供の挑戦を正面から受け、単なる通過点に過ぎないこの小城を陥とすのに全軍を投じ、敵の懐深くであたら貴重な刻を空費してしまったのである。
空費した、といっても、二百四十名の孤軍が全滅するまで、一刻半 (三時間)ほどしか掛かっていない。岩崎城兵は果敢に抗戦し、甲州流の馬出を備えた城郭の縄張を巧みに利用して小勢を効率的に進退させ、この大軍の攻撃を二度までも撃退したが、攻めあぐむ舅の軍に「鬼武蔵」勝蔵が加勢すると、一気に崩れた。
勝蔵は、傘下の鉄砲隊による一斉射撃を繰り返しながら突撃し、「人間無骨」の十文字槍を振るって、軍の先頭に立った。やがてこの勇敢な小城は、文字通りの屍血山河と化した。勝蔵にとっては、いつもの、見慣れた光景である。城兵は、守将丹羽氏重以下、ひとりも生き残らなかった。
数年前までの勝蔵なら、特にどうとも思わなかったであろう。彼の赫々たる戦歴に付け加えられた、小さな勝利のひとつに過ぎない。しかし、今の勝蔵は、昔の鬼武蔵ではない。彼は、この意味もない攻城戦を断行した舅の馬印のほうを見やり、ため息をついて、ただうんざりしたように首を振った。そして、大成功を収めるはずのこの「中入り」なる壮挙に、もくもくと黒雲のような凶運がまとわりついてきていることを、その膚でもって感じた。
彼のその予感は、正しかった。思わぬ道草を喰った彼らのあとを、敵の主力軍が、密かに、そして迅速に追従して来ていたのである。




