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華闘記  作者: 早川隆
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第三章  鬼  (二)

勝蔵は、これまでの華やかな戦士としての人生において、敗北らしい敗北というものを経験したことがない。


父は、元亀年間、四面楚歌だった織田家により見捨てられる格好で、少しの援兵も受けること無くむざむざと討ち取られた。勝蔵は、その残酷な運命と理不尽に対する怒りを心のうちに溜め込み、対面する敵にその鬱憤をすべてぶつけ、情け容赦無く叩き潰し、ただ殺戮と勝利を重ねた。


その後の織田家という巨大軍事勢力の急速な勃興と同期して活動したため、彼自身がもとから(そな)える勇気や知略に、時流の海練(うねり)や勢いまでもが加わって、妨げとなる敵勢を残らず吹き飛ばし、刃向かう者を(ことごと)く死骸に変えてきた。百戦百勝。完全無欠の阿修羅(あしゅら)神である。


並の武将の何生分もの合戦や虐殺に明け暮れ、ただ(たけ)り、吼え、飛び散る血飛沫(ちしぶき)を全身に浴びて他の人間を(あや)めるだけの歳月を重ねてきたが、しかし、最近はひとかどの武将として認められ、妻子を持ち、たまには落ち着いて茶を喫し、花や名馬を愛で詩を吟じるような余裕も出てきた。もはや若武者ではなく、一門をまとめ、織田家を支えて行くべき三十歳前の青年武将である。怒りに任せてただ、獣のように闘い続けておればよいという立場ではない。


安らぎを覚えてしまった(けだもの)。彼は、みずからが森勝蔵であることに、ようやく疲れを覚え始めていた。




そんな彼にとって、さきの羽黒陣における惨めな敗北は、生まれてはじめての恥辱であった。彼は、()けることに慣れていない。顔が火照り、流れるはずのない汗が流れ落ち、眼の前がくらくらとして、あの忌々しい三河勢に追い立てられ突き伏せられ、そして逃げる彼の背後で獲物のように次々と狩られていった部下たちの断末魔の叫びが、いつまでも耳の奥から響いてきた。


そんな彼の内面の変化と、はじめて味わう敗北の苦味。そして次にどうしたらわからないという戸惑いが、過去の戦歴において彼が常に示した動物的な嗅覚を、ここにきて、わずかばかり鈍らせた。彼は、意味もなく焦りを覚え、明日起こることに、ただ言いしれぬ恐怖を感じていた。


だから、(しゅうと)・勝三郎恒興が目を輝かせながら示してきたこの大胆な中入り策に、そのまま無批判に乗っかったのである。彼の心の奥底から、あるいは身体の芯から、なにかが必死に彼の脳髄に囁いた。これは破滅への道だとしきりに説いた。しかし、彼の思考は、彼の生存本能から来るその必死の警告を、無視した。




なぜなら、彼は、森勝蔵であることに疲れていたのだ。


このときの森勝蔵は、自分を喪い、怒りに裏打ちされたあの荒ぶる魂を欠いていた。つまり彼は、ただ(うつ)ろな木彫りの人形と同じになってしまっていたのである。

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