第三章 鬼 (一)
三河中入り部隊の先鋒に立った「鬼武蔵」こと森勝蔵長可は、おそらく織田家中においても、もっとも凄まじい戦歴に彩られた武勇の士であったろう。雄偉な美丈夫で、野陣にて鍛えられた筋骨があちこち隆々と盛り上がっており、鎧兜で完全武装しても、なおそのはち切れんばかりの生身の体格をうかがい知ることができるほどである。
彼が戦場において常に手放さぬ大身の上鎌十文字槍は、名工・二代目和泉守兼定に鍛えさせたという業物で、塩首の面と裏にそれぞれ「人間」「無骨」と銘が刻んである。彼の抜群の膂力で突けば槍、払えば薙刀となり、そしてぐいと引けば鎌の如く自在に敵兵を殺傷することができ、哀れな標的はふかふかとした骨のない肉袋のように、ただずたずたに千切れ飛ぶ。事実、この槍の初陣となった伊勢長島の一向一揆衆との接近戦では、わずかの間に二十七もの人体を、物言わぬただの肉塊にした。
その後の戦歴も、赫々たるものである。設楽ヶ原、越中攻め、三木城攻め、甲州攻め、美濃攻めなどで軍の先頭に立ち、次々と功名を上げ、まさに無敵の魔将として織田軍団による数多くの鏖殺、虐殺に関与した。
視野が狭く我儘であり、自己陶酔癖があり、敵はもちろん、味方でも目下の人間に対しては残忍粗暴そのもの。しかし独特の美意識を持つ一面があり、見目の良いもの、わけても美麗な武具や名馬、茶道具の収集などに目がない。また意外なことに能筆であり、計数の才があり、占領地や所領の統治や経済政策などにおいてもきわめて有能であった。
彼の感性、彼の才能は、どこか主である織田右府信長と相通ずるところがある。事実、彼は信長による度を越えた偏愛を享けた。彼が前線で幾度も犯した過剰な残虐行為が、主より咎められたことは一度もない。度重なる自己中心的な軍記違反にも、味方軍の和を乱した場合にのみ、ただ形ばかりの叱咤はあるが、公式に責任を問われるような大事に至ったことはない。
彼の父親は、軍内最古参の猛将・森三左衛門可成である。八幡太郎義家の嫡流を自称し、「攻めの三左」と呼ばれ各地の戦で活躍したが、元亀年間の危機の際、浅井・朝倉の大軍と寡勢にて戦い討死を遂げた。その大功に報いるため、主の信長は家督を継いだばかりの勝蔵を若年より優遇したが、彼は、おそらくは人間としての倫理をのぞくすべての面で、主の期待に十二分に応えてみせたといって良いであろう。
そして重鎮・池田勝三郎恒興の娘を妻とし、齢わずか二十七にして、独自に数千の軍を率い、舅の軍を先導してこの野心的な撹乱機動作戦の鋒となっている。




