第二章 猿 (二)
祝弥三郎と太田又助は、ただ「話したかった。」とだけ言う秀吉の真意を測りかね、互いに眼を見交わした。しかし、秀吉はまったく頓着せず、続けて又助に尋ねた。
「惟住越前殿のお具合は如何かい?お悪いと聞くが。」
惟住、すなわちもと織田家宿老の丹羽長秀は、信長死後の織田家中の壮絶な後継争いの決着を待たずして病に倒れ、このところずっと臥せってしまっている。
この愚直で忠良な古参家老について、世の噂では、そう長くはないとのことであった。一説には、織田家簒奪を図る羽柴秀吉に毒を盛られただの、秀吉の義の無さに独り悶々とし今にも憤死せんとしているなどという、穏やかならぬ話にすら、なっている。
又助は少し眼を伏せ、秀吉の顔が視界に入らないようにしながら、言った。
「ご快癒とは言い難き仕儀にて。されど、家内一丸となり養生にあい努めておりまする。」
「そうかい。そりゃ、なによりじゃい。わしは、本当に世話になったからのう。 (織田)家中にて小身だった頃からなにかと目をかけてくださり、なんか不首尾があったときにいろいろ総見院様にお口添えくださり、さきの弔合戦 (山崎合戦)の時にも、たんとお力をお貸しくだされた。もちろん、その後も。」
こう言って、やや濡れたようにも見える眼を上げ、それが外の陽光に反射してきらりと光るのを計算していたかのように、小壁のほうを見上げた。ひとつ洟をすすり、扇を口元にあてて、小さく咳をした。そして、続けた。
「だからよ。ぜひからだ直して、また筑前めをお導きくだされ。こう言っていたと、あとできちんと、伝えてちょうよ。又助さん。」
「もちろん!承知仕った。」
又助が、感謝に堪えないといった面持ちで頭を下げると、秀吉は安心したように頷き、
「たいへんなときに、済まんのう。」と詫びた。
そして、今度は弥三郎のほうを向き、とつぜんニヤリと笑った。
「で・・・弥三郎さんよ!いろいろ大儀でござった。ひょっとして、危ねぇ目に遭わせたんじゃねぇか、心配しちょった。でえじょうぶだったがよ?」
眼を伏せていた又助が顔を上げ、きょとんとした顔で隣の朋輩を見遣った。秀吉は、笑いを浮かべながら彼に説明した。
「いやよ、おみゃあさんは知らねぇだろうけども。実は弥三郎さんにゃ、これまでもいろいろ文など差し上げてよ、あれこれ藤吉郎のため馳走してもろてたのよ。会うのは久しぶりだが。そりゃ、もう、どえりゃあ働きじゃったわい!」
「さほどの事では、ござらぬ。」
弥三郎は、穏やかに言った。
「筑前殿からお預かりした文を、封も開けずに、そのまま人の手を借りあちこちに届けた。ただ、それだけの事。拙者の預かる稲葉宿は、常に人の行き交う要地ゆえ、いと易き事でござる。」




