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『十七年目の、夏』  作者: 小椋正雪
9/25

第9話:鋼鉄の岡崎、倒れる ~校内新聞一面より~

「ハクション!」


 その、わたし、岡崎汐のクシャミに、クラス全体の視線が飛びかかってきた。

 授業中、しかもよりにもよって先生による説明中のことである。


「――どうした岡崎。風邪か?」


 おまけに先生にまで心配されてしまった。


「あー、はい。そうみたいです。すみません……」


 ポケットティッシュで小さく鼻をかみながら、わたし。

 そういえば、朝から鼻水が出やすいなーとは思っていたのだが。

 ざわざわと教室がどよめく。そりゃそうだろう。わたしが風邪をひくなんて、入学以来なかったことだ。


「大丈夫?」


 授業が終わると、早速クラスメイトが声をかけてくれた。


「とりあえず、今日の部活は休んだ方がいいと思うよ?」

「うん、そーする……」


 なんとなく、熱っぽい。




『鋼鉄の岡崎、倒れる ~校内新聞一面より~』




「それでも、一応欠席する旨は伝えよーと思いまして……」


 鼻をかみながら放課後まで乗り切ったわたしは、とりあえず演劇部部室まで足を運んで、事情を説明した。


「そうか……確かに調子が悪そうだからな。ゆっくり休め」


 と、部長。

 続いて副部長が、


「まあ、最近はなんでも市販薬でどうにかなるようにはなったが……気を付けろよ」

「はい……」

「本当に大丈夫か? 顔が赤いぞ……」

「恋に落ちたんですよ、きっと」


 そう軽口を放つわたしに対し、部長は肩をすくめて、


「こりゃ本格的な風邪だ。岡崎の冗談が面白くない」

「ですね」


 同意するように頷く副部長。どうも、わたしが自覚している以上に周囲には重症に見えるらしい。


「部員の誰かを付き添いに出した方がよくないか?」

「そんな、悪いですよ。このまま帰れますんで……それじゃ、失礼します」

「ああ……」

「待て、岡崎。美術の伊吹先生を呼べば――」

「余計悪化します」

「……だな」


 こっちが間違っていたと呟く、副部長。

 以前、美術の時間でわたしがカッターナイフを扱っていた時、ちょっとしたミスで指先を切ったことがある。それをみたふぅさんこと伊吹風子先生は、わたしの襟首をつかんで保健室に連行した後、保険の先生がいなかったため独自の治療を開始し……結果、わたしの手は22世紀の猫型ロボットのそれと同じくらい、包帯でぐるぐる巻きにされてしまったことがあった。

 これは、なにもわたしに限ったことではなく、美術で怪我をした生徒、さらにはふぅさんの目の前で怪我をしてしまった生徒も同じ目に遭っていることが確認されており、今や保健室には『伊吹先生は治療器具に触るべからず』と書かれた注意書きが、でかでかと貼ってあるほどである。


「というわけで……」

「わかった、気を付けてな」

「はい、失礼します」


 今度こそ、わたしは部室を後にした。

 ……少し、身体が気怠い。




 家に帰るころには、その気怠さが全身を覆っていた。さして暑くも無いのに、汗が止まらない。


「こりゃ、まずいなあ……」


 わたしは、のろのろと体温計を探す。


「うーむ……?」


 一回、手に持った体温計を取り落とした。本当に、まずいのかもしれない。

 体温計を耳に当て、スイッチを押す。

 ビッ。


「う……」


 平熱時のピッという軽い音ではなく、少し耳障りだった。ということは熱っぽいのではなく、実際に熱があるということになる。

 わたしは、体温計を外して表示を読んでみた。


「……あちゃー」


 ――38度5分。

 意外と、高い。

 これは、横になっていないといけない温度だ。


「寝よ……」


 思わずそう呟いて、わたしはのろのろと布団を敷き始めた。


「今日は、普通のパジャマに戻さないとだめか……」


 暑い日は、Tシャツとスパッツでしのいでいるのだが――お腹周りが少しきついため、本当はスパッツも無い方がいいのだが、それだとおとーさんの情操教育によろしくない――少し冷えた日でも同じ格好にしたのがまずかったのかもしれない。

 箪笥から、無地青色のパジャマを取り出す。

 隣には黄色地にだんごのパジャマもあるが、それはお母さんのものだ。これでも中学の時までは着ていたのだが、今は着ることが無い。

 理由はその……胸が押さえられるよーになってしまうからだ(お母さん、ゴメン)。

 パジャマに着替えて薬を飲み、洗面器に氷と水を張って、最後にハンドタオルを用意する。


「ふぅ……」


 ……なんでも自分でできるのは、本来好ましいと思っていることだが、今日ばかりは少し寂しい。

 氷水に浸したハンドタオルをきつく絞って額に乗せ、わたしは布団の中で天井を仰いだ。

 全身の力を抜くと、同時にどっと疲れのようなものが押し寄せてくる。

 そのまま、ゆっくりと重い時間が流れた。

 ……どうも、このままというのは性に合わない。何もできないことが、すごくもどかしく感じる。

 ――聞いた話になるが、

 お母さんも、この天井を眺めていた時期があったという。

 それは、わたしの比ではない。ずっとずっと長い間だったそうだ。

 わたしは、想像する。もし、このまま1年も2年も起き上がれなかったら。


「嫌だろうな……」


 でも、わたしの知っている限り、お母さんは泣き言も恨み言も言わなかった。

 強い人というのは、そういった人を指すこともある。

 でも、このもどかしい気持ちを、お母さんは持たなかったのだろうか――いや、きっとそんなことを少しもみせずに頑張っていたはずだ。

 お母さんがずっと頑張っていたことを、たった数時間だというのにわたしが頑張れなくてどうする。

 ——そんなことを思っていると。


「ただいま」


 おとーさんが帰ってきた。


「いやー、すまんな、遅くなって。キノコの特売が閉店間際になって――」


 最後まで言い終わらないうちに、おとーさんはスーパーの袋を取り落とした。

「どうした、汐っ!」

「んー、ちょっと熱っぽいだけ……」

「熱って、お前……!」


 へたりと、座り込む。でもすぐに立ち上がって、


「待ってろ、すぐ早苗さんに電話するから――」

「まって、ただの――」

「あ、あと……藤林……そう、藤林だ。待ってろよ汐、今病院に――お前だけは、絶対に――!」

「まってってば!」


 思わず、起き上がりがてらに怒鳴ってしまった。おとーさんは、そのまま凍りついて再び座り込む。

 げほっ。

 今になって、やっと咳が出た。


「ほら、ただの風邪だから……ね?」

「あ、ああ……」


 じっと目を見て、ゆっくりと話すわたしに対し、ぎこちなく頷くおとーさん。


「そ、そうか……風邪か……」


 安心したかのように、息を吐く。


「良かった……」


 普通の家庭で風邪を引いて良かったなんてありえないが、わたし達の場合は、そうはいかない。

 普通の人にとってはただの熱が、わたしからはお母さんを奪い、おとーさんからは最愛の人を奪ったろくでもないものなのだ。

 ――ろくでもない、じゃ足りないかもしれない。

 そこで頭に血が昇り、すぐさま全身の不調と連動して、視界がふらふらと揺れた。でも、調子が悪いようには、見せない。絶対に見せない。

 わたしは奥歯を噛んで、できるだけふらつかないように横になった。


「安心した?」

「あぁ……」

「怒鳴って、ごめんね」

「気にするな。取り乱していた俺が悪い」


 そう言っておとーさんは再び――先程より、ずっとしっかりと――立ち上がった。そして、戸棚から体温計を取り出すと、わたしの横髪を静かに払って、耳に体温計を当てた。

 ビッ。


「――どう?」

「38と2。高いな」

「寝る前は38の5だったから、少し下がったね」

「そうか……食欲は?」

「んー、あまり無いけど、食べておく」

「その心意気だ」


 そう言って、おとーさんはタオルを氷水に浸し、わたしの額に載せてくれた。そして脱ぎ捨てた靴を履き直し始める。


「ちょっと出掛けてくる。すぐ帰ってくるから、おとなしく寝ていろよ」

「どこいくの?」

「コンビニ」

「今から?」

「あぁ」

「何を買ってくるの?」


 わたしの問いに、おとーさんは少しだけ笑って、


「風邪には、桃缶が良く効くんだ」


 そう言って、出掛けていった。




 桃缶は思った以上に効果があって――そして、それ以上におとーさんの看病のかいあって――、翌日わたしはけろっとした顔で登校できた。

 で、昇降口掲示板に貼ってある校内新聞号外の一面記事を読み……呆れて肩をすくめた。

 誰が鋼鉄かと。まったくもう。


「おはよー、うっしー。……何で朝っぱらから拳を握りしめているの?」

「んー、ちょっと新聞部に物言い付けてこようかなって」

「……昨日はあんなに調子悪そうだったのに、元気だね」


 呆れるクラスメイトに、わたしはウィンクして応えてみせた。

 熱が完全に下がるまで、おとーさんがずっと手を握ってくれたのだ。

 いつも以上に元気でなきゃ、申し訳ない。


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