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『十七年目の、夏』  作者: 小椋正雪
23/25

第23話『寮母さんがみてる』

「目標確認っ!」

「目標確認っ!」

 12月の澄み切った朝の空に、欲望にまみれた男子共の声が響く。

「各自、目標の優先順位を斉唱!」

「第一目標、パジャマ!」

「第二目標、着替え!」

「第三目標、朝シャン後の濡れ髪!」

「よろしい!」

 下心のはみ出た頭を包むのは、今時珍しい唐草模様の頬被り。地に落ちた枝をひとつも折らないように、下草を踏み付けないように匍匐前進する心掛けは立派だが、いかんせん声がでかいような気がする。

 女子寮前。校舎とも男子寮とも離れた場所に建つここは、周辺を緑で覆い、双眼鏡などによる覗きを自然の力で抑えてはいるのだが、稀に寮内へ侵入するという愚考を一部の男子共に抱かせるという、困った現象を引き起こす事で有名である。

 聞けば、元号が変わる前から延々と続いている割に成功した試しがないとかで、突撃を試みた或る男子生徒が当時の寮監に迎撃された揚句、生活指導室に箱詰めになって出荷されたという噂が残っていたりするのが、興味深いというか何というか。

「各自、最終確認終了っ」

「よしっ、諸君、偉大なる春原の言葉を思い出せ!」

「はっ、『ひとりで覗くならみんなで捕まれ!』 であります」

「よろしい!」

 ……流石春原のおじさま。頭に恥ずかしい修飾が付いている上に、ろくな言葉が残っていない。

「では――総員、匍匐状態解除! とぉつげぇき!」

 物音を立てずに体勢を変え、駆け出すことができるのは称賛しても良い。が、その能力を他に生かせないのだろうか……。

「いざ! パラダイスへ――」

 女子寮入口に殺到する男子共。しかし、その瞬間寮の扉がすさまじい勢いで開き、先頭にいた男子数人を吹き飛ばした。

「丸聞こえじゃーっ!」

「出た――っ! 美佐枝さんが出たぞ~!」

「撤退! 撤退~!」

 二人ほど取っ捕まるなか、統制の取れた動きで180度方向転換し、逃走する男子共。

 ――そろそろかな。そう思って、わたしはそれまで居た木陰から身を乗り出し、彼らの退路を塞いだ。

「はい、そこまで――」

「げえっ、『泣く子も黙って白旗』の岡崎汐!!」

「どんな通り名よ、それはっ!」

 寒さを織り込んだ12月の乾ききった空気を切り裂いて、わたしの回し蹴りが残りの男子を薙ぎ払う。


□ □ □


「いやー、助かったわ。本当」

 これは撤退ではない。名誉ある転進であるとか何とか言って、反省文2000字の提出を言い渡された男子共が、両手に水が満杯のバケツを下げて帰って行く。

「でも、あんたが此処にくるなんて珍しいわね。岡崎二世」

 そう言ってわたしを見つめたのは、女子寮の寮監(管理人。昔は寮母とも呼ばれていたらしい)、相良美佐枝さん。この学校一番の古株とかで、結構有名である。

「朝練の終わりに、書類を渡すよう顧問の先生に頼まれたんです」

 そう答えて、わたしはずっと胸に抱えていた書類入れ代わりの封筒を美佐枝さんに手渡した。

「はい、ありがと。始業まで時間があるでしょ、お茶でも飲んでいかない? この書類と、さっきのアレのお礼も兼ねて」

「いただきます」

 朝練とさっきの運動でだいぶ喉が渇いていたので、この申し出は嬉しい。

「どうぞどうぞ。ようこそ、禁断の花園へ」

「――わたし、女子ですけど」

「見りゃわかるわよ。でもね、女子寮住まいの子以外、なかなか来ないのよねぇ。男子は除いて」

「男子寮も一緒でしょう」

「そんなことないわよ。岡崎――あんたのお父さんなんて、平日休日お構い無しに入り浸っていたし」

 そんな会話を交わしながら、表に管理人室と書かれたままの部屋に入る。

 適当なところに座っていて、と言われて、わたしは炬燵の隅に座った。

「男子寮に、詳しいんですね」

「ん? ああ、昔は男子寮の寮母――寮監だったのよ。だけど前の女子寮の人が御齢になってね。かわりにあたしが入った訳」

「それで、今の男子寮の管理人さんが?」

「そう」

 と、お茶の入った湯飲みを置きながら美佐枝さん。

「なんか、あっちはあっちで大変みたいですよ」

「あー、若くて綺麗だもんねぇ。でもね?」

「?」

「旦那さんいるのよ、あの人」

「あ、だから男子は『失楽園~!』とか叫んでいるんですか」

「そ。まったく、普通は諦めるわよねぇ」

 何考えてんだか、と続けながらお茶を飲む美佐枝さん。

 そして湯飲みを置いて、ふ、と小さくため息をついた後、今気付いたというようにわたしを見て、

「それにしても、こうやってちゃんと話すの、初めてじゃない?」

「そうですね」

「入学名簿見た時、あの岡崎の子供だって言うんだから、びっくりしたわよ」

「学校に残っていた人は、みんなそう言いますね」

 落ち着き払って、わたし。なにせ、もう数えるほどしかいないとは言え、入学当初からずっと言われてきたことなのだから、いい加減慣れている。

「それで、お母さんは古河さん――渚ちゃんなんだってね……」

 湯飲みを口元に持って行こうとしたわたしの手が、途中で止まった。

「――知っているんですか?」

「まぁね。この前のお墓参りの時に、あたしも居たんだけど、気付かなかった?」

 ……正直、気付かなかった。あの時は色々あって、周囲に意識が回っていなかったというのもある。言い訳じみた――いや、言い訳にしかならないんだけど。

「あー、気にしないで。あの時あたしは岡崎達の居たところよりずっと離れていたし、その後の飲み会だっけ? それにも参加していないから」

 沈黙をそのように解釈したらしい。美佐枝さんは手を左右に振りながらそう言った。

「あの、美佐枝さんは男子寮の寮監だったんですよね?」

「ええ、そうよ」

「お母さんとは、一体どこで?」

「そりゃ男子寮よ。って、ああ、そうね、先に話しておけばよかったわね」

 炬燵に肘を乗せて両手を組み、昔のことを思い出すように、美佐枝さんは続ける。

「昔はね、男子女子問わず相談事を聞くことがよくあったのよ。最近はめっきり減っちゃったけど」

「そうだったんですか」

「ええ。代わりに、向こうの寮監が引き受けてくれているみたいだけどね。ま、こっちは女子寮だから男子が入れないし、丁度良いと思っているんだけど――」

 あ、前置き長くしちゃってごめんね。ここからだから。そう断って、美佐枝さんはお茶を一口飲むと、

「ある日、渚ちゃんが来てね」

 自然、わたしの背筋に力が入る。

「ドアをノックされたから、どうぞって言ったのよ。そうしたら、ものすごくおっかなびっくりって感じで部屋の中に入って来てね。

『すみません、悩み事の相談ってこちらでしょうか』

 って。

 そうよ、座ってって言ったら、万年炬燵の隅にちょこんと座って――あー、そうそう。丁度あんたが座っているところね」

「え」

 一瞬飛び上がりそうになってしまった。もっともここは女子寮。お母さんの座っていた場所じゃない。

「びっくりした? でも今のは本当のことよ」

 わたしの反応を微笑みながら見つめて、美佐枝さん。

「それでね、まあ、あたしも相談を受けるからにはって、全生徒の顔と名前は一致させておく訳。ついでになにかトピックがあればそれも覚えておくんだけど、まぁ大抵は表彰されたとかか、何か問題起こした程度なのよ。で、渚ちゃんは――」

「一度留年している」

「――そうなのよね」

 正確には、当時は、と言うことになる。お母さんは度重なる事情で、もう一度留年することになったから。

「だから、相談事はそれだと思っていたのよ。それでこっちは待ち構えているんだけど、渚ちゃんは一向に切り出さないで、視線を落としたり、窓から外を見たりしている訳。最初に話しかけてきた時にも思ったんだけど、あたしに顔を合わせようとしないのよね」

 ……微かな違和感を覚えた。わたしの知っているお母さんとは、何か少しずつ異なっている。

「で、こりゃよっぽど悩んでいるのねって思った時、渚ちゃん、なんて言ったと思う?」

「わからないです」

 わたしの知らないお母さんが、一体なんと訊いたのか。

「こう言ったのよ。

『恋愛のことも聞いてくれるって本当でしょうかっ』

 って。真っ赤になって目をつぶって、ぐっと拳を握ってね。思わず目が丸くなっちゃったわよ。でもまあそういう相談にも乗っていたから、もちろんよって答えると、

『あの……ある人と話していると――いえ、見ているだけで、胸がドキドキするんです。話しかけられると、いっぱい喋ってしまったり、何処か――わたしがわたしじゃなくなるみたいで……』

 どんどん尻すぼみになって、そこから先は聞こえなかったんだけど、渚ちゃんもそれに気が付いたみたいでね、最後に一息吸うと、

『これが……恋なんでしょうか』

 って。――あんたはどう思う?」

「恋ですね」

 経験はないけど、即答する。

「まぁ、そうよね。あたしもそう思って、それは恋ね。ってはっきり言ったの。そうしたら、

『やっぱり恋ですかっ』

 って。もう、真っ赤っ赤な顔でね。そこまで聞くと相手が気になるじゃない。だからあたしは訊いたのよ。お相手は誰? って。

 こう言うタイプの子だと、恥ずかしがって話してくれないじゃない。だからあたしはさして返答に期待していなかったんだけど、

『岡崎……朋也さんです』

 って答えが返ってくるわ、しかも相手の名前が名前だから二重に吃驚しちゃったわ。でもまぁ、顔に出すのもなんだから、ああ、岡崎ねって答えると、

『岡崎さんのこと、何か知っているんですかっ』

 さっきまでのまごつきっぷりが嘘みたいにそう訊くのよ。だから、いつもは斜に構えているけど、基本的には良いやつよ。って言うと、

『わたしも、そう思います』

 って。

 で、ほとんど冷えちゃったお茶を半分飲んだ後、

『色々聞いていただき、ありがとうございました』

 そう言って頭を下げるから、あたしは頑張んなさいって言ったの。そうしたら、あたしの方を真っすぐ見てね、

『はいっ、頑張ります!』

 ってね。

 これならやっていける、そう思ったわ。だからあたしはもう一度頑張ってね、ってそれだけ言って、渚ちゃんを見送ったの。それでこの話はおしまい」

 そう締め括って、美佐枝さんは今回も冷めてしまったお茶を、当時のお母さんのように半分だけ飲んだ。

「それで……その後どうなりました?」

「そうね――あの後、相談に来なかったから少し心配していたんだけど、あの岡崎と付き合い出したって聞いてね。よかったなって思ったのよ。――思っていたんだけどね」

 どこか遠くを見るように、美佐枝さん。おそらく、お母さんがその後どうなったかを、思い起こしているのだろう。

「結局最後に会ったのは、卒業式の時。――吃驚しちゃったわよ。前に会った時よりずっと強くなっていたんだもの。雰囲気だけでわかったわ」

 それは、わたしの知っているお母さんだ。では、弱々しかったお母さんとは――、

「あの、美佐枝さん」

「うん、なに?」

「相談を受けた時って、いつ頃の話なんです?」

「そうねえ、正確な日付はもう覚えていないけど……4月だったわ。まだ桜が散る前のころ」

 ようやく合点がいった。

 それは、わたしの知らない、おとーさんに出会ったばかりのお母さん。

 おとーさんと出会って、変わる前のお母さんだ。

「――嬉しそうじゃない。岡崎二世」

「嬉しいですよ。だってわたしは、美佐枝さんしか知らないお母さんの思い出を知ることができたんですから」

「そういうことになるわね。自慢にもなんにもなんないけど、あんたのお父さんも知らないことだものね――渚ちゃんが話してなければ、だけど」

「こう言うことって、女の子は秘密にしません?」

 わたしがそう訊くと、

「まぁ――するわね。いっくら渚ちゃんでも」

 お互い、微笑みあう。

「さて、そろそろ予鈴がなるわ。急ぎなさい」

 その言葉に、わたしは帰り支度を始めた。

「それと――」

 ん?

「それと、なんです?」

「――それと、恋をしなさい、岡崎二世。あんたのお母さんみたいに」

「この前、幼稚園の先生にも言われましたよ。それ」

「でしょうね」

「でも、美佐枝さんは?」

「え、あたし? あたしは――」

 そのとき、小さく相手いた窓から、一匹の猫が入ってきた。毛の色がほとんど抜けていて、一目で老猫とわかったが、その割りには動作に衰えがない。

「美佐枝さんの飼い猫ですか?」

「ええ、そうよ」

 短く答えて、お帰りと言うように小さく手を振る。すると猫はそれがわかっているかのように尻尾を一振りすると炬燵のわたしが座っている反対側へ身体を預けた。

「人に慣れているんですね。わたしがいるのに全然驚いてませんでした」

「男子寮に居たのころから一緒だからね……。ほら、早く行きなさい」

「あ、はい――」

 体よくはぐらかされた。そう思って美佐枝さんに問い直そうとしたとき――、

 猫を見つめる、美佐枝さんの様々な感情が織り込まれた視線を見て、

 わたしは、何も言わずに女子寮を後にしたのだった。


 言葉にして聞く必要はない。

 あの猫と美佐枝さんの間に、何かが見えたから。それで十分だった。




Fin.

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