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『十七年目の、夏』  作者: 小椋正雪
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第20話:父二人

 物音ひとつしなかった。

 今夜、風はない。

 窓の向こうでは満月が昇っており、煌々と光を投げかけていた。

 これ以上は無いと言って良いくらいの、理想的な秋の夜である。

 そんなお月見どきに、酒ビンひとつとコップふたつを乗せたちゃぶ台を挟んで、岡崎朋也とその父、直幸が座っていた。

 直幸の実家である。

 二人はかれこれ一時間近く、酒を酌み交わしていた。


「それにしても――」


 と、直幸は隣室を見やった。襖で区切られたその向こう側では、今年十七になる朋也の娘、汐が寝ているはずだ。


「いい子に、育ったな」

「ああ。俺の自慢の娘だ」

「うん。――ということは自慢の孫にもなるのかな?」

「当然だ」


 コップを傾けながら、朋也は頷く。


「どこに出しても恥ずかしくないっていうのは、あいつを指すようなもんだ」

「――親馬鹿だな」

「――俺の時も、そう思ったろ?」

「……ああ、その通りだ」


 自分のコップに酒を注ぐ直幸。ビンの口を朋也に向けると、彼は片手で感謝の念を示した後コップを差し出した。


「ところで朋也、あの子は人見知りする方かい?」

「小学校に上がる前まではな」


 と、朋也。


「今はむしろ、お節介焼きのレベルだな。人間だろーが動物だろーが、挙句の果てには機械にだって焼いちまう」

「いいことじゃないか」

「まぁな」

「だが朋也。今日俺を迎えに来た時、あの子はかちかちだったぞ」

「それは俺もびっくりした」


 朋也と汐が直幸のもとに到着したのは、午前、それも昼に近かった。

 その時直幸は彼の家庭菜園に出向いており、朋也は彼を迎えに、朋也は汐を遣わしたのである。


「あいつが何かをするのにためらうのを、久々に見たよ。でもまぁ、一緒に帰った時はいつも通りだったからな。安心した」


 心当たりはある。

 汐は恐らく、朋也と直幸の間に確執があったことを知っているのだ。

 だがその話を、朋也から切り出したことはない。

 好奇心旺盛な汐のことだから、どこかでソースを掴んだのだろう。

 だから朋也は、かつてあった確執を話のおくびにも出さないし、汐の態度にも気付かないふりをしている。

 無論、直幸はそのことを知らない。

 いまさら知らなくてもいいと、朋也は思っている。


「来る途中に花畑を通らなかったか? あそこからあの子はよくしゃべるようになったんだ」

「ああ、あそこか……なるほどな」

「?」

「あいつにとって、あそこは特別な場所なんだよ――なんていうべきかな……俺と汐が、仲直りした場所なんだ。ケンカしていた訳じゃ無いけどな」


 言いにくそうに、朋也。そして手短に、かつてあったことを直幸に伝える。


「そんなことが、あったのか……」

「まぁな……。でも、もう過ぎたことだ」


 何げなく、窓から月を見上げる朋也。

 ほぼ同時に直幸も月を見上げる。


「そうか……しかし、皮肉なものだな。お前には俺のような目に遭って欲しくないと思っていたのに」

「――仕方がないさ。それも過ぎたことだ」


 満月の向こう側を見るように目を細めて、朋也。


「ただ、あのとき……いや、それまでか……汐には、本当に酷いことをしたと思っている」

「――佳いじゃないか。もうわかりあえているのだから」

「ああ、そうだとは思う。でもな――辛い記憶って消えないだろ? 俺は今だって――」

「一緒だ、朋也。俺だって敦子のあの時のことは今でも夢に見る。だがな」


 月から目を離し、しっかりと朋也を見つめて直幸は言う。

 その視線に、目尻を拭いながらも朋也は同じように見つめ返した。


「朋也、男なら泣くな。そしてそれ以上に父親として泣くな」

「……ああ。そうだな」

「――汐さんはいい子だ。そして頭もいい。おそらく俺達のようにいつまでも辛い思い出に囚われることはないだろう。だから、後は俺達がそれを思い起こされるようなことをしてはいけない。そうだろう?」

「……そうだな、父さん。その通りだ」


 一回、袖で顔を拭う。それだけで、朋也はいつもの表情に戻っていた。


「悪かった。愚痴みたいになっちまって」

「それにつき合うのも、父親の勤めだからな……少し放任したきらいがあったが」

「そうだな」


 にっと笑って、朋也は空になっていた直幸のコップに、酒を注いだ。


「――改めて」

「……ああ」


 コップの縁を軽く打ち合わせる、二人。


「――そういえば、今度、古河さんのところに挨拶に行かないといけないな。朋也、案内してくれるかい?」

「ああ、もちろんだ。――吃驚するぞ、俺達とはありとあらゆる面で違う人たちだからな」

「それは楽しみだな」

「そう言ってられるのも今の内――?」


 ふと、朋也が一方向を向いた。

 続いて、直幸もそちらへと向く。一瞬だけ、二人は目を合わせた。


「ああ、そうだ。たしか取って置きのかあったんだっけな。飲むかい? 朋也」

「特上だっけか。喜んでつき合うぜ」


 それを聞いて、直幸はどっこいしょと立ち上がり、台所に向かって三歩だけ進んだ。そこでくるりと振り返り、


「汐さんもどうだい?」


 ゴトッと、襖に何かがぶつかる音がした。続いて、恐る恐るといった感じで襖が開いていく。


「……あの、いつから気付いていました?」

「「最初から」」


 朋也と直幸の声が重なった。


「お前こそ、いつから起きてたんだ?」


 と、ニヤニヤしながら朋也。


「――父親の勤めがどうとかってところから」


 照れくさそうに、汐は答える。


「肴と ……お茶か何か、用意しようかね」


 そういって笑う直幸。

 そんな夜更けの中、月は静かに天頂から離れはじめていた。


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