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『十七年目の、夏』  作者: 小椋正雪
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第2話:坂の下の、君

 校門まで残り200メートル。そこで一度立ち止まる。

 わたしは、ここからの坂が好きだ。

 理由?

 特にない。

 ちょっと前まではおとーさん――父の知り合いが必死になって維持したものだからだと思っていたが、最近になって、そういうことは関係ないと思うようになっていた。

 要するに、お気に入りの場所なのである。

 辺りに登校する生徒はいない。これはわたしが遅刻した訳じゃ無くて、演劇部の朝練に出るため、他の生徒よりずっと早く登校しているから。

 だから、この時間帯はわたしひとりだ。


「さぁて……」


 早めに登校といっても、実のところ今日はいつもより少し遅れ気味。その格差を埋めようと、一気に駆け登ることを決意した時……。


「はぁ……」


 聞くだけで気が滅入りそうなため息が、背後で聞こえた。

 わたしは振り返る。

 いつの間にか、ひとりの女生徒がいた。

 制服についているエンブレムは、ひとつ上の三年。

 だけど、わたしより少し背が低くて、なんだか年下に見えた。

 で、その生徒は『むー』と『うー』の中間でうなっている。

 何やら悩んでいるらしい。

 あまりに真剣に悩んでいるためか、視線は下向きのままで、わたしがすぐ側にいることに気付いていないようだった。


「どうしたの?」


 思わず、声をかけてしまう。すると、女生徒は依然地面を見つめたまま、


「いえその……やっぱり、こういうのってルール違反かと思いまして……」

「ルール違反?」

「はい。だってわたしが……え――?」


 やっと話しかけられていることに気付いたらしい。パッと顔をあげる。

 そして、


「あ! ああ、あああ……」


 なんというか、思いっきりみつかっちゃったって顔でわたしを指さした。


「なに?」

「あああああ、あのその」

「落ち着いて。まずは息吸って」

「はいっ」

「ちょっと止めて」

「はいっ」


 すごい。その状態で返事ができている。


「はい吐いて」

「はいっ」

「もう一回。今度は思いっきり息吸って――」

「はいいっ」

「ちょっと止めて」


 今度は肺がいっぱいいっぱいなせいか、返事はこなかった。


「さらに吸う」

「む、無理ですっ」


 少しでも息を漏らさないようにするためか、裏返った声で彼女は抗議する。


「じゃ、吐いて」

「はぁ~~~~~~~~~~~~~~~~……」


 よっぽど力いっぱい吸い込んでいたのだろう、彼女は長く長く息を吐いた。


「落ち着いた?」

「はい。おかげさまで……」

「で、わたしがどうかした?」

「――え。あ、いえ、あの、その」


 再び混乱。

 なんだか良くわからないけれども、パニックに弱いようである。

 そんな取り乱した女生徒を見ながら、わたしはひとつのことに思い当たった。


「そっか、制服が旧いままなのね」


 もう一度深呼吸させた後、わたしはそう言った。

 うちの制服は、数年前にリニューアルしている。その旧い制服をわたしは着ることがなかったが、三年生の方では、新旧の制服が混在していた。


「そういった感じです……」


 額に浮いた汗を拭き拭き、肯定する女生徒。今はもう夏に近くて、わたし自身、制服の中は薄く汗で湿っている。正直、そろそろ衣替えをしたい。


「でもま、いいじゃない。ちょっとデザイン変わっただけなんだから」


 短くて(女子には)不評だった(男子の意見なんて知らない)スカートが少し長くなって、襟のデザインが微妙に変わったくらいだ。


「そ、そうですけど……そうですよね」


 自分で納得している。立ち直りは早いみたいだ。

 って、なんでわたし、この人を分析しているんだろう……。


「とりあえず行きましょ。ここで立ち話していると折角早く来たのに意味なくなっちゃう」

「あ、はい――」


 わたし達は、坂を上り始めた。


「あの、お名前伺っていいですか?」

「岡崎、汐」


 と答えると、彼女は間髪入れずに、


「しおちゃんって、呼んでいいですかっ?」

「……ま、いいけど。でもちゃん付けはやめない?」


 普段からウッシーだの獣の槍だの(髪が長いので余計そう言われるのだが、大きなお世話だ)綾波型十番艦だのと呼ばれているから、たいして気にはしないが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。

 わたしがそう言うと、彼女はブンブンと首を振って、


「そんなことないです。しおちゃんって呼び方、とてもかわいいですっ」


 と、反論になっていない反論をしてくれた。


「じゃあいいけど……そういえば、名前は?」

「え……?」


 なんでそんな聞かれたくないことを聞かれたって顔するんだろう、この人。


「い、磯貝……です」


 しかも、自分の名前なのにどもっていた。


「磯貝さんね……磯貝?」


 はて? と首を傾げてしまう。

 何処かで聞いたことがある名字だったからだ。

 ええと――、


「ま、いいか」

「え?」

「あ、こっちの話。それより、この時間帯に登校ってことは、朝練か何かがあるんでしょ?」

「は、はい。でも、どちらかというと部活動ではなくて待ち合わせ――みたいなものです」

「そうなんだ」


 部活動と待ち合わせがもはや別物になっていることは、とりあえず黙っておく。


「あの、しおちゃん」

「うん?」

「この学校は、好きですか?」

「うん」

「この街は、好きですか?」

「うん」

「お父さんは、好きですか?」

「うん」

「なんでも好きなんですねっ」

「……そんな、人を単細胞みたいに言わないでよ」

「いえ、そういうつもりではなく」


 困ったように眉根を寄せていたが、


「なんでも好きということは、とても良いことだと思いますっ」


 と、無理やりまとめてくれた。


「ところで磯貝さん、わたしからもいい?」

「はい、なんでしょう?」

「待ち合わせってことは、朝練に出ている友達でも待っているんでしょ?」

「あ、はい」

「何部なの? その子」


 もし演劇部なら、面白いのに。そう思いながら私はそう訊いたのだが、


「すみません、わからないんです」


 帰って来た返答そのものが、良くわからなかった。


「……どういうこと?」

「……わたし、長い間、来れなかったんです」

「――え?」

「長い間、此処に来ることができなくて、それでやっと来れたと思ったら、これでした」


 そう言って立ち止まる、磯貝さん。一歩オーバーランした後、わたしも立ち止まった。


「見てください」


 そう言って振り返る。


「ここはもう、なにもかもが変わり過ぎています……」


 と言って、坂を見下ろした。


「かもね……」


 わたしも隣に立って坂を見下ろす。

 そう遠くないところに、高層マンションが林立しているのが見える。

 時々キラッと光るのは、陰になったところに陽光を送るリフレクタから漏れた光だ。

 さらに高空には、通信回線用の飛行船が数隻、静かに浮かんでいる。


「わたしも、待ち合わせ相手の人も、変わってしまいました」


 わたしより短い――せいぜい肩辺りの――髪が風に流される。


「ちょっと待って。それじゃあ待ち合わせって」

「はい」


 微かに笑って、磯貝さんは答えた。


「わたしが、勝手に決めたことです」

「……相手が居なかったら、どうするの?」


 わたしの髪にも、風が静かに梳っていく。


「その時は、しおちゃんとお話できたことを喜びます」


 なんでもないように言う。

 つまり、この人は。

 この人は、長い間学校に来られなくて、誰かと会うことだけを楽しみにして朝も早くから登校し、そして。


 もし待ち人がいなかったら、わたしなんかと話せたことで満足してしまうと言うのだ。


「——それじゃあ、駄目よ」

「え?」


「新しいもの、見つけなくちゃ」


「……新しい、もの……」

 驚いたように、わたしを見る磯貝さん。


「どんなにかけがえのないものだって、すべて最初からあったものじゃないんだから。どんなものだって途中で見つけたものでしょ? なら、それを失っても、また新しい何かを見つければいいじゃない」


 磯貝さんは、答えない。ただただ、わたしの言葉を惚けたように聞いている。


「……違う?」

「い、いいえ! その通りだと思いますっ」


 そう叫ぶように言って、

 磯貝さんは、わたしに抱きついてきた。


「びっくりしました――」


 私より少し背が低いから、髪が邪魔になってどんな顔をしているのかわからない。


「前にも同じ意味のことを、言われたことがあるんです。とても嬉しいです」


 でも、肩が微かに震えていて、わたしは、彼女がどんな顔をしているのか大体わかってしまった。


「――その言葉で、今のわたしが居るくらいなんですから」

「磯貝……さん」


 ぎゅっっと、強く抱きしめられて、


「行きましょう」


 彼女は、急に離れた。


「もしかしたら、本当に逢えるかもしれません」

「あ――、うん。そうね……」


 何故かわからないが、少しぼうっとしてしまった。

 わたしは少し慌ててしまって、つい自分のペースで歩いてしまう。

 おかげで、すぐさま磯貝さんを追い抜いてしまった。それに気付いて、速度を落とす。


「……しおちゃん」


 後ろから、磯貝さんの声。大分速度を落としたはずなのに、なぜかわたしの横に戻ってこない。


「なんだか、すごく安心しました」

「そう?」

「はい。しおちゃん、とても強い子です」

「そうかな」

「これからも、その強さを持っていてください。そして、なんでも好きなままで居てください」

「あ、うん」


 返事をしても、答えは無かった。次いで背中に感じていた気配が消える。


「——磯貝さん?」


 わたしは振り返る。

 ……誰も、いない。

 磯貝さんの姿は、何処にも無かった。


「……あれ」


 一際強い風が一迅、わたしの髪をかき回す。


「……忘れ物でもしたのかな――」


 の、割には坂の下には人影がない。

 いや、正確にはひとつだけあったが、それはこちらに向かっていて、なおかつわたしのクラスメイトのものだった。


「おはよ、うっしー。どうしたの、こわい顔で坂見下ろしちゃって」

「おはよ。――いま、だれか坂を下って行かなかった? 旧タイプの制服を着た三年生なんだけど」

「さあ? いなかったと思うけど?」


 寝不足でぼうっとしてたから、ゴメン。

 そうクラスメイトは続けていたが、わたしは正直半分も聞いていなかった。


「どうしたの? うっしー」

「ん? んーん。なんでもない」


 わたしは、もう一度坂を見下ろした。最初に磯貝さんが立って居た辺りに視線を向ける。――もちろん、誰もいないのだけれど。


「……また会えるかしらね、磯貝さん」


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