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『十七年目の、夏』  作者: 小椋正雪
19/25

第19話:『秋桜の畑を抜けて』

 土の具合は、非常に良い。

 指でそれを摘みながら、男は満足気に頷いた。

 今年の夏は大変暑く、その終わりには大きな台風が一回だけ通り過ぎたが、その後はすべてが良好と言えた。

 秋、収穫の季節である。

 TVの画面からは、都会の彩りが秋のものへと改装されて行く様を映していたが、ここでは、人は何もせずとも装いは改められて行く。

 あえていうのなら、田畑だけが人の手を借りるということになるだろうか。例えば、男が今居る小さな菜園とか。

 本当に、小さな菜園である。

 近所の農家から分けてもらった2~3坪のその土地は、彼の家庭菜園だった。

 園丁鋏を持って、パチ、パチと収穫し、傍らに置いたザルに盛っていく。


「あの……」


 ふと、背中の方から声がした。男は手を休め、ゆっくりと振り向く。

 そこには、可愛らしい服装の少女がいた。

 白いレースのフリルがついたワンピースに、淡い桃色のカーディガン、そして紅葉色のベレー帽を身につけている。

 そしていまは、長いスカートの裾が伸びた雑草にからまらないよう、注意しながらこちらに歩み寄っていた。


「やあ」


 男は、片手を上げて挨拶をした。見覚えのある顔であったからだ。


「久しぶりだね。汐さん」

「あ、はい。お久しぶりです。ええと……」

「お祖父さん、でいいよ」


 と、男――岡崎直幸は言った。首にかけたタオルで、汗を拭く。


「――朋也も来ているのかい?」

「はい。家の方にいます」

「迎えに来てくれたんだね。ありがとう」

「い、いえ」


 少し、強ばった声だった。

 直幸は微かに眉根を寄せて、汐を見上げる。


「どうしたんだい?」


 屈み込んだまま、そう問う。すると汐は少し迷った後、


「――すみません、少し緊張しています」


 素直にそう言って、少し俯いてしまった。


「……そうか、それは仕方ないね」


 おそらくは自分の言動が、彼女を緊張させている。

 薄々気付いていはいるのだが、かと言ってどう改めれば良いのか直幸にはわからない。

 代わりに、彼は収穫を手早く済ませると、ザルを持って立ち上がることにした。


「さぁ、行こうか」

「あ、わたし持ちます」


 すかさずそう言った汐に、直幸はやんわりと手を振って断った。


「こういうのも、楽しみのひとつでね」



 一面の花畑を通る。

 今は秋桜――コスモスが旬で、その淡い桃色の絨毯に汐のカーディガンが良く映えた。

 直幸は知る由もないが、此処は朋也と汐が和解した場所でもある。


「――変りませんね」


 と、歩きながら汐が呟いた。


「……ああ。ここだけは変らないね」


 直幸が頷く。


「ところで、汐さん」

「あ、はい」

「その服を選んだのは、朋也かい?」

「え――わかるんですか?」

「あぁ、わかるとも」


 昔、俺も朋也に似合わない服を着せたからね。と、直幸は続けた。

 当時は、それが似合うと思っていたのだが。


「親子だね。こういうところは――」

「そうかもしれないです」


 と、汐。少しだけ、声が和らいでいる。


「それで、君はどのようにしてその服を着ることに承諾したんだい?」

「――え?」


 不思議そうに聞き返されて、却って直幸の目が丸くなってしまった。


「何か、交換条件を出したんじゃないのかい?」

「いえ、特には。――たまには、こういう服も良いかなって」


 そういうことを、考えてもみなかったといった表情で、汐。 

 穏やかな風が、秋桜の花畑をひと撫でしていった。

 

 ――ああ、この子は朋也とは違うのだな。と、直幸は思った。

 同時に、朋也の娘としてしか見ていなかった自分を恥じる。


「――君は見た目、朋也そっくりだね」


 一瞬、汐の足が止まった。


「……そう言われたの、初めてです。今までは、母に似ているとしか――」

「そうかい?」


 不思議そうに、直幸。

「朋也にそっくりだよ、君は。でも、中身が違う。君は――君自身だ」

「それも、初めて聞くような気がします」


 隣に並んでいる直幸を見ながら、汐は言う。

 その貌には嬉しそうな微笑みを浮かべていた。


「汐さんは、いい子だね」

「え?」

「ちゃんと朋也と話し合っている。……俺とは違ってね」

「でも、今はちゃんとわかりあえていると思います」

「うん、そうだね。でもね、汐さん」


 今度は直幸が足を止めた。汐もそれに合わせて立ち止まる。


「それでも言わせてくれ。――どうか、どうか朋也と仲良くやって欲しい。朋也のように、辛い目に遭わないで欲しい。今仲が良いのなら、これからも、ずっと――」


 決して、俺のようにはならないで欲しい。そう続けたかったが、言葉が出なかった。すると汐は、


「任せてください。此処のお花畑に誓って、ずっとずっと好きでいます」


 そういって、笑ってみせたのである。

 その声は、先ほどまであった固さは微塵もない。どこまでも柔らかい声だった。

 そしてその答えに、直幸は満足した。何も言わず、ただ大きく頭を下げる。


「行きましょう。父が――おとーさんが待っています」

「……ああ、そうだね」


 こうして、祖父と孫は花畑を後にした。

 再び穏やかな風が、秋桜の花畑をひと撫でしていく。

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