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『十七年目の、夏』  作者: 小椋正雪
14/25

第14話:初秋の日差しとコーヒーの香り

 新学期になってから一週間経ったその日、わたし、岡崎汐がカフェ『ゆきね』のドアをくぐると、珍しいことに店長以外の客がいなかった。


「いらっしゃいませー」


 と、店長こと宮沢有紀寧さんが挨拶をする。

 以前、ふぅさん――美術講師の伊吹風子先生――と一緒に入ってから、わたしは良くここを利用するようになっていた。


「今日は伊吹さんと一緒じゃないんですね」

「一緒に帰ろうと思って迎えに行ったらテストの採点やってて。『こんなにあるんですかっ、気合をいれて問題数を増やしすぎましたっ!』って叫びながら、赤ペンを一生懸命動かしてました」

「テスト……ですか?」



 ちょっと小首を傾げて店長。

「はい。『夏休み明けの頭をしゃきっとしましょう!』っていきなり百問。で、よせばいいのに記述式にしちゃったもんだから、なおさら採点に時間がかかっているみたいで」

「それは……なんというか」

「自業自得――ですかね?」

「生徒側の岡崎さんから見れば、そうでしょうね」


 と、店長は苦笑する。

 そして、カウンターに座ったわたしに水の入ったコップとおしぼりを置くと、


「今日は何にします?」


「じゃあ、カフェ・アメリカーノを」


 ここのメニューにはレギュラーコーヒーもあるのだが、苦目のコーヒーが好きなわたしは、エスプレッソをお湯で割ったアメリカーノの方が好きなのだ。


「かしこまりました」


 そう言って、店長はてきぱきと準備を進める。

 そしてすぐさま、香りの良いカフェ・アメリカーノが運ばれて来た。

 わたしはそれを一口飲んで、ふっと息を付く。


「そのため息は、伊吹さんのこととは別のものですね」


 ――!


「……わかります?」

「わかります」


 そう言って、店長は笑った。


「すごいですね。なんでわかったんです?」

「経験――でしょうか。昔はどうしたんですか? って聞いていたんですけど、今では大体察しが付いてしまって……」


 照れたようにそう言う店長。


「私で良ければお聞きしますけど、どうします? 岡崎さん」

「……うーん」


 わたしは、ちょっとだけ考える。

 本当は、今日ふぅさんに聞きたかったんだけど……。


「今日ですね、朝のHRに進路希望の用紙が配られたんです」


 ふぅさんの前に、わたしは店長に意見を聞くことにした。


「岡崎さんは、今高校二年生でしたか。確かにもうその時期ですね」


 と、店長。そして、言葉を選ぶかのように少し間を置いてから、


「岡崎さんは、進学したいんですか? それとも就職を?」

「今は、一応進学を選んでいます」


 でも、それは本当に一応でしかない。


「でも、どこに進もうかとか、何をしようかって全然考えてなくて……それで――」

「そんなに急いで将来を決めることは無いと思いますよ」

「……そうですか?」

「はい。あまり参考にならないと思いますけど、私がこの喫茶店を始めようと思ったのは、開店一カ月前でしたから」

「……早かったんですね」

「空き店舗でしたから」


 そう言って、懐かしそうに笑う。


「もちろん、何かになろうと決めているなら、準備は早い方が良いです。でも、何も決めていないからということで急いで決めようとしても、それが良い方向に向くとは限りません」


 ……たしかに、そうかもしれない。

 おとーさんは、芳野さんと出会ってすぐさま今の職に決まったという、店長が今語った以上に短い就職活動をやってのけたが、あれは本当に運がよかったと今でも言っている。

 そして、お母さんは…………だ。


「少し、昔話をしましょうか」


 うーん、と黙り込んでしまうと、店長はそう言って話し始めた。


「私の場合は、親の決めた大学に進むことしか道はありませんでした」


 ――わたしは、顔を上げる。


「はい、お家柄というものですね。今は全然流行らないと私でも思います。――続けますね? そこで四年間、高校時代とあまり変わらない日々を過ごしました。私、高校生の時は第二図書室に籠もっていたんですけど……あそこ、まだ残ってます? 旧校舎一階の一番奥なんですけど」

「……今は、もうないです。ずっと前に建て直しましたから」


 と、わたし。


「ああ、そうですか……やっぱりなくなっちゃいましたか」


 少し寂しそうに目を細める店長。


「――ごめんなさい、話を戻しますね。高校時代と大学時代、私は空き部屋をひとつお借りして、そこで色々な人の悩み事を聞いたりお話し相手になっていたりしていたんです。途中で喫茶店みたいになっていたんですけど……どうして、そういうことをするようになったのかは今度お話ししますね。長くなりますし」


 ――多分、店長がそういうことをするようになったのは、あの、普段店にくる屈強な人達が関わっているのだろう。

 なんとなくそんな気がした。


「でも、まさか就職先でそんなことはできません。それで私は考えて……このお店を始めることにしたんです。もちろん、周囲は大反対でしたが、売上でちゃんと暮らして行ける状態を一定期間確保できたらという条件で、許してもらいました」


 わたしは想像してみる。

 本人の意向を無視してまで決めた大学に行かせるような『周囲』が、『大反対』で済むだろうか。

 そして、店長が言った条件を最初から出しただろうか。

 おそらく、そこには色々なやりとりがあったに違いない。

 そして、最終的に店長が自分の意志を貫き通したのだろう。

 店長は、お母さんと同じように強い人だ。そう思った。


「それからは色々大変でしたけど、どうにか条件をクリアして、今に至るわけです」


 ――その、私の例が一般的とは限りませんけど、と店長は前置きして、


「ですから、自分の将来を決めるのは、最後に必ず問われるのは自分の意志だと思うんです。それがいつになるのかは誰にもわかりませんけど、それまでは自分のやりたいことをやれば良いんだと思います。だから岡崎さんも悩むより前にやりたいことをやってみてはいかがでしょうか」


 そう、店長は締めくくった。


「……店長は」

「はい?」

「店長は、迷わなかったんですか?」

「鋭いですね、岡崎さん」


 流石です、と笑って店長。


「悩んで悩んで悩みまくりました。今までのお話は、それを踏まえての助言だと思ってくださいね」




 支払いを済ませて帰ろうとすると、店長はちょっと待ってくださいと言って、一度奥に引っ込んだ。

 そして、たいした間を置かずに、一冊の本を持ってくる。

 それは、表紙がボロボロになるまで使い込まれた、おまじないの本だった。


「たしか、『将来がうまく行くおまじない』があったはずなんです」


 ページをざっとめくりながら、店長は言う。


「なんかそれ、すごいおまじないですね」


 聞きようによっては、おまじないらしいと言えるのだけれども。


「すごいから、今も持っているんですよ。――あ、ありました。ええとですね、まず目を閉じて、胸に何を抱くようにしながらミライハキミノモノと三回唱えてください。そして最後に自分で一番かっこいいと思うポーズを取れば完成です」


 ――それは、ちょっと恥ずかしい。特に最後のが。

 でも、幸いというかなんというか、店内のお客はわたしひとりだったので、やってみることにした。

 店長が言っていた通り、悩む前にやってみろ、だ。


「ミライハキミノモノ

 ミライハキミノモノ

 ミライハキミノモノ!」


 わたしはそう三回唱えると、今度体育祭の寸劇でやるヒロインのポーズ(二丁拳銃の上にドレスを着て密林で闘うというちょっと変わったシナリオなのだが……)をビシッと決めてみせた。


「流石演劇部ですね。堂に入ってます」


 と、店長。


「ありがとうございます。二学期末に公演があるんで、良ければ観にきてくださいね」

「わかりました。楽しみに待っています。――頑張ってくださいね、岡崎さん」


 店長は笑顔でそう言ってくれたので、


「はいっ!」


 わたしは、胸を張って店を後にすることができた。



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