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『十七年目の、夏』  作者: 小椋正雪
13/25

第13話:海へ。

 列車の中には、わたし達しかいなかった。

 わたし、岡崎汐はそれをいいことに、あっきー、早苗さん、そしてふぅさんと一緒に座っていたボックス席を立って、別の席に移り、車窓から外を眺めていた。……ふぅさん――幼馴染で美術講師の伊吹風子先生――が、窓にベッタリ張り付いてしまったため、座るスペースが狭くなってしまったためである。

 列車のリズムに揺られながら、目を閉じてみる。

 こうやって、鈍行の列車に乗るのが、わたしは好きだ。理由はおそらく、おとーさんとの最初の旅行が、こんな感じだったからだろう。

 リニアやらなにやらで特急料金が安くなって、利用人数がめっきり減ってしまったけれど、それでもわたしは好きだった。

 ふと気付くと、わたしは鼻歌を歌っていた。


「おっ、森川由綺か。渋いの知っているね、汐ちゃん」


 聞き覚えのある声に目を開けると、春原のおじさまがわたしの前に座っていた。


「おじさまこそ、ボンバヘッとか好きじゃないですか。おあいこですよ」

「まぁね。でも、汐ちゃんの齢で森川由綺を知っている子、なかなかいないよ」

「知ってて緒方理奈ですか」

「うん、そうだね。有名だし、僕も緒方は大好き。もちろん、森川もね」


 相好を崩して、春原のおじさま。


「ところで、おじさまはおとーさんと同じ席に居たと思うんですけど」

「え? ああ、うん。そうだね……」


 冷や汗を浮かべる、春原のおじさま。


「でも、あそこ今、とっても恐いんだ……」


 頭を巡らせて、おとーさんの居るボックス席に目を向ける。

 そこには、おとーさんの隣に藤林先生、向かい側に師匠が座っていた。

 鈍い人でも端目から見ればわかるほどの、殺気を立ち昇らせて。


「なんですか、あれ」

「僕に訊かないでくれる? 死神杏と破壊神智代の考えていることなんてわからないんだから」


 死神と破壊神の差はなんなんだろう。


「気にしないで、汐ちゃん。あたしはただ、あなたのお父さんに危害が及ばないようにしているだけよ」

「そうだ、気にしなくていいぞ。私だって以下同文だからな」


 そして、フフフフフと、笑い合う藤林先生と師匠。

 かなり小さい声で喋っていたのに、しっかりと聞き取られている。


「あ、そうそう。陽平、アンタ目的地に着いたらまず『犬神家の一族』ね」

「意味はよくわからないが、私の方はお前を逆さにして頭から砂浜に埋めてやろう」


 どちらも同じ意味である。

 逃げられないと悟ったのか、春原のおじさまは例の面白い顔で携帯電話もかくやとばかりに振動しはじめ、


「お~い、誰か、助けてくれ……」


 ほとほとに困った感じの小さな声で、おとーさんがそう呟いた。




『海へ。』




 事の始まりはこうだ。

 夏休み、夕飯の買い出しの帰りに商店街の福引で、わたしは海辺の保養地へのペア旅行券を引き当てた。

 ペアと言うことは、二人分しかないということだから、わたしはおとーさんと行くことにしようと思っていた。

 で、家に帰って見ると、一足先に帰っていたおとーさんが、誇らしげに同じものを掲げていた。

 二人分、増えたことになる。

 わたし達は速攻で、古河夫妻――あっきーと早苗さん――を誘うことに決めた。――お母さんのお墓参り以降、ここのところ、四人で一緒に何かした事がなかったからだ。

 で、電話してみると、電話の向こうであっきーがこう言った。


「そりゃあ良いけどよ。早苗と俺とで同じのを一枚ずつ当てちまったんだが、こいつどうする?」


 運がいいにも程がある。

 結果として、おとーさんが藤林先生と春原のおじさま、わたしがふぅさんと師匠を呼ぶことになった。




「あーもー、やっと思い出したわ……あの時のバスケの――3on3の時の助っ人ね」


 到着駅について、荷物をどさっと置きながらそう言った藤林先生に、師匠がこっくりと頷く。


「私も思い出したぞ。朋也のクラスの委員長と一緒にいただろう」

「椋でしょ? あたしの双子の妹よ」

「なるほどな」


 うんうんと、頷き合う藤林先生と師匠。

 あの後、もしかしたらと思って、二人ともおとーさんが学生時代からの知り合いだって聞いてますけど? とわたしが言った途端、二人とも石のように固まり……今になった思い出したらしい。


「汐、おとーさんは嬉しいぞ……!」

「うんうん、今日ほど僕は汐ちゃんに感謝したこと無いからね!」


 そして、二人から解放されたおとーさんと、無罪放免となった春原のおじさまは、それぞれわたしの手を握って、大いに感謝していたりした。

 なんというか、父親としての威厳も年長者としての余裕もへったくれもない態度である。


「結局、なんだったんだよ、おい」


 おとーさんとおじさまを振りほどき先に行かせていると、あっきーがそう訊いてきた。


「多分、お互いおとーさんに付く悪い虫を……とか思っていたんじゃないかな」

「――かっ。何事かと思っていたがそういうことか。なんつーか、」

「うん、おとーさんが、態度をはっきりさせればまだ良かったんだろうけどね」


 本当は、お母さん一筋。

 その答えを、わたしは知っているのだけれども。

 多分、照れ臭いから言っていないのだ。


「まぁ、なんつーか、小僧もアレだな」

「でも、そんなおとーさん、あっきーは嫌いじゃないでしょ?」

「――まぁな」


 肩を竦めてニヤリと笑うあっきー。


「しかしなんだな、汐」

「ん?」

「保護者だらけの旅行ってどうだよ?」

「んー、わたしは別に構わないけど?」


 あっきーに言われてみて気が付いた。

 おとーさん、あっきー、早苗さんは言うに及ばず、藤林先生は保母さん、師匠は教育関係者、ふぅさんに至ってはわたしの学校の美術講師だ。


「いや、俺が気にしているのは……その、なんだ。友達とかと行かねえのかなってな」

「普段、みんなと一緒だから」

「……なるほどな」

「それにね、ゴールデンウィーク利用して合宿もしたし。あっきーに話してなかったけど」

「ほう、ってことは、アレやったか?」

「アレって?」

「男湯の覗き」

「やってないっ!」


 思わず顔を赤くしてしまったわたしを見て、あっきーはひとしきり笑った後、


「ま、普通は男が覗きに来るんだけどな。気付いたか?」

「……覗いたら、謎のパン屋の制裁が下るって知っているから、誰もしなかったわよ」


 ついでに、謎の電気工が鼻をスパナで回しにやって来るし。


「そうか、それはそれでつまんねぇな。ま、汐の玉肌覗かれるより良いけどなっ!」


 ……ほほう。



「「た、玉肌――――――――――――――――――――――――――――――ッ!」」


 あっきーと、おとーさんが絶叫した。

 海の家で着替えて、砂浜に再集合した時のことである。


「だ、大胆ね……」


 青紫色のパレオの藤林先生がそう言った。


「そうですか?」


 わたしが選んだ水着は、クリームイエローのセパレート。

 確かに布地が少ない方だけど、過激というほどではない――と、思う。


「もうあたしには、セパレートは無理よ……」

「悔やむな。私もだ……」


 いつの間にか意気投合している、藤林先生と黒い競泳水着の師匠、がっしりと握手を交わしていたりする。

 ……二人とも、まだまだ行けるとは思うんだけど。


「汐っ、おとーさんはな、おとーさんはなぁっ、最高に感動している!」

「おうっ、よくここまで育ったっ! 俺も嬉しいぞっ」


 おとーさんとあっきーはそんな感じだが、正直、涙を流してまで喜ばれてもあまり嬉しくない。


「うーん」


 そして、春原のおじさまは案外クールだった。


「パレオ、競泳、そしてセパレート――これでスクール水着があったらパーフェクトだったね……そう思わない? 岡崎」


 ……前言撤回っ。


「お前と一緒にするな、春原」

「あ? 岡崎だって何か物足りないぜっ、って思ってるんだろ!?」

「……さて、どうだかな……」

「あーお前ら、ひとつ良いこと教えてやる。いや、今となっては悪いこと……か」

「な、何だよ、オッサン」


 深刻そうな顔のあっきーに一歩引くおとーさん。


「渚はな、水泳の授業以外に海とかプールに行ったことなくてな」

「あ、ああ……」

「スク水しか、持っていなかったんだ……」

「と、ということは……」

「そう、もしこの場に渚がいたら――スク水を着ていたんだよっ!」

「「な、なんだって――ッ!」」


 芝居がかったあっきーの啖呵に絶叫する、おとーさんと春原のおじさま。


「「み、見てみたかった――ッ!」」

「……ちょっとあの人達を海に放り込んできます」

「――行ってらっしゃい」

「……蹴り上げない方が良いぞ。当てる前に鼻血を出しかねないからな」

「十分注意します」


 確かに、当てる直前に下の方を見られてはたまらない。そう思いながら全体重を砂浜にかけつつおとーさん達に踏み込もうとすると、


「お待たせしましたー」


 ヨットパーカーを着込んだ早苗さんが、色々な荷物を持ってこちらに来た。


「すみません、風子ちゃんが恥ずかしがって、着替えが遅れてしまって……」


 そう言っている早苗さんのそばから、既にオレンジ色のフリル付ワンピースという出で立ちのふぅさんは潮干狩り用のバケツとスコップを持って駆け出している。


「早苗さんも泳ぐんですか?」

「はいっ。もちろんですよ」


 そう言って、早苗さんはヨットパーカーを脱ぎ――、


「うおおおお!?」


 春原のおじさまが、鼻血を吹いた。


「さ、さ、早苗さん……」


 すごかった。白のビキニでおまけに鋭角。正直目のやり場に困る。


「改めて惚れ直したぜ早苗ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 あっきーが絶叫していた。


「あああああ、あのひといくつだったっけ……?」


 狼狽気味の藤林先生がわたしに訊く。


「ええと……」


 わたしはざっと計算し――凄まじい結果が出たので、そっと砂浜につま先で書いて藤林先生に見せた。

 そして藤林先生が確認した時点で、素早く踏み消す。


「――ウソでしょっ!?」

「いえ。しかも恐ろしいことにこれで最小値です……」


 と、わたし。


「……最小値ってなによ」

「いえその、早苗さんの年齢を正確に知っている人、本人しかいないので……」

「負けた……」


 なぜか師匠がそう呟いて、がっくりと膝をついた。


「ふっ、若い連中に何ら引けを取ってねえ。流石は早苗、何ともないぜっ!」

「てか、オッサンよ」

「あ? なんだ? 小僧」

「その、水着に書いてある『最高』ってなんだ?」


 ちなみに、黒地に金で書いてある。


「最高だろ? 左のケツに最、右のケツに高。つまり俺のケツは最高ってことだ」

「ああ、アンタの脳みその歪み具合もな」

「ああ? じゃあ、てめーの水着はどうなんだ、小僧」

「おう、とくと見やがれ」

「な、『渚、我が命』ってなんじゃー!」


 しかも、白地に、黒で水着の後ろ側にでかでかと書いてあったりする。


「はっはっは。もちろん手作りだ」

「アイドルかっ、俺の娘はっ! つうか羨ましいぞコラァ!」

「わはははは! 羨ましいだろうっ」


 そう言って、おとーさんはあっきーと砂浜で追いかけっこを始めた。

 その様子を見ていた春原のおじさまは、ぼそっと藤林先生に、


「岡崎って、渚ちゃんのことになると、いい具合に壊れるね……」

「……あたしもそう思う」


 ……娘のわたしもそう思う。


「ヒトデを見つけましたーっ!」


 今までの流れに全く頓着せず、ふぅさんが叫んだ。



 その後、わたしと藤林先生と師匠で競泳をしたり(結果は藤林先生と師匠が同着一位。わたしは悔しいことにビリだった)、たまたまこの海水浴場で働いていた春原のおじさまの後輩、ジェット斎藤さんとその息子のジェット斎藤ジュニアさんを紹介されたり(ジェット斎藤ジュニアさんはわたしと同世代のはずなのだが、申し訳ないことにわたしには二人の区別がつかなかった)、わたしの小、中、高校の入学時の写真に必ず写っている、姿形の変わらないふぅさんに、おとーさんと古河夫妻以外の人が、こぞって首を傾げたり(春原のおじさまがこれって三人姉妹なんじゃないの? と言って、ふぅさんに最悪ですっ! と言われた)、たまたまカニが早苗さんの水着の紐の部分を切ってしまって辺り一面が(鼻)血の海になったりして行くうちに、夜になった。



「肝試しをしようっ」


 みんなを集めて春原のおじさまがそう言った。

 わたしを含め、みんなで怪訝な顔をしていると、


「いやね、ここの保養地の従業員てさ、ジェット斎藤をはじめ僕が世話をしてした後輩が多くてね。で、なんかできることないかって言うからさ、この際派手な仕掛けをしようと思ったわけ」

「それって、もう準備出来てるって事?」


 のんびりしたかったのになーという感じで藤林先生が訊く。


「うん、もう大方」


 対して、やる気満々ですと全身で表現している春原のおじさま。


「まったく、勝手に決めてしまうとは……お前一人ならともかく、お前に世話になった後輩達が動いているんじゃ断れないだろう」


 ため息をついて、師匠が肩をすくめる。


「じゃあ参加でOKってことだよね?」

「俺と早苗は異存がない」


 と、あっきー。


「もちろん、楽しませてくれんだろうな?」

「も、もちろん――」

「よし、期待しているぜ……!」


 そう言って、あっきーはシャドーボクシングをしはじめた。……なんか、勘違いをしているよーな気がしてならない。


「ふぅさんは?」

「風子も異存はありません。肝試しなんてヒトデの前のイソギンチャクです」


 そう言って胸を張る――のはいいんだけど、膝が小刻みに震えていたりするふぅさん。


「おとーさんは?」

「俺? 俺はまぁあれだ、こいつの暴走止める役割もあるし。それよりな」

「うん?」

「汐はどうなんだ?」


 一瞬、みんなの視線が集まる。私は呼応するように軽く息を吸うと、


「当然参加。面白そうだもの」

「そうこなくっちゃ!」


 嬉しそうに笑う春原のおじさま。


「んじゃ、行こうか!」


 そういうことになった。



 宿泊地から、歩くこと五分。

 わたし達は山道の入り口っぽいところに案内された。風の中に海の音が聞こえるから、海からもあまり離れていないようだ。


「ここから大体一本道だから。一応目印になるところには明かりがあるけど、はぐれないように気をつけてね」


 そう言うと、春原のおじさまは進行方向に向かって、


「準備はいいぞ! ジェェェェェェェット!!」


 返事の代わりに、昼間聞いた水上バイクのアクセル音が一際高く響いた。

 ――ここ、山側なのに。


「それじゃ、みんなでゾロゾロ行ってもつまらないからこのくじひいて」


 虫よけ付懐中電灯(虫が嫌う周波数の音が出るらしい)と春原のおじさまが描いたとおぼしき手書きの地図が配られる中、そう言ってくじの入った箱が持ち出された。

 そして、みんながくじを引き始める中、春原のおじさまはニヤニヤしてそれを見ている。

 わたしは、一番でくじを引くと小声でおじさまに声をかけた。


「おじさま、なんでそんなに楽しそうなんですか?」

「ん? そうだね、汐ちゃんなら告げ口なんてしないか」

「……はぁ」

「いやさ、今回の仕掛けをしたのが、ホラー原口っていってね。そいつの仕掛けがまた怖いんだ」


 ――なるほど。


「奴の仕掛けの前では、さすがの杏と智代も……ククククク、学生時代の恨みつらみ、今こそまとめて晴らしてくれるって感じかなっ」

「……そういうの、江戸の敵を長崎で討つって言うんだからな」


 長年のつき合いで見抜いたのか、おとーさんが割って入り、呆れ顔で窘める。が、


「いいじゃん、一々長崎まで追いかけるのって大変だしさ。それに驚かせるだけだし」


 ――春原のおじさまは、別の意味で意に介さなかった。


「さて、ここから杏と智代の悲鳴をたっぷりと――」


 がしっ。

 そんな感じで右腕を取られる春原のおじさま。

 腕を組んだのは――にっこり笑った藤林先生。

 そして、反対側の腕をぎしっと師匠がとる。


「え? ……あれ?」

「くじ引きで班分けなんだろ。お前、杏、智代と一緒な」

「え、ええ!? そうだったっけ? って言うかいつの間に!?」


 ……正確には、春原のおじさま以外の人がくじ引きを終わらせただけなんだけど。

 まあ、意味は同じか。


「さー、行きましょ。楽しみだわー、思いっきり怖がらせてくれるみたいで」

「そうだな。思わず抱きついてしまうかもな」

「ちょっ、ちょっと待って! なんか腕にすごい力かかっているんですけどおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ――」


 そのまま、春原のおじさまは引きずられるように連れていかれてしまった。

 やがて、


「きゃー、こわーい」(棒読み)

「ひぃっ」

「うん、身が縮むようだー」(棒読み)

「ひいぃぃっ!? 折れる、全身の骨が折れるぅ!!」


 …………。

 ……うわあ。



 程なくして、三人は戻って来た。


「やぁねぇ、陽平ったら途中で腰抜かしちゃってもう。しょうがないから引きずって来ちゃった」


 そう言って、春原のおじさまの襟首から手を離す。

 ゴトッと音を立ててのびるおじさまは、ピクリとも動かなかった。


「うむ、全くだらしがない奴だなー、はっはっは」

「あの藤林先生。春原のおじさま、白目剥いているんですけど……」

「あら、おかしいわね。ちょっとびっくりして抱きついただけなのに」

「大方、女性二人に抱きつかれるという滅多にないことに、感極まって失神してしまったのだろう。仕方のない奴だ」


 ……確かに、二割ほど幸せそうな表情(残り八割は苦悶の表情)で春原のおじさまは気を失っている。

 多分、言葉通り『全力』で抱き締められからなんだろうけど……。

 なんというか、二人の彼氏になる人は、それぞれ相当苦労するような気がした。

 さて、次の班はおとーさん、あっきー、早苗さん。


「いくぞ、小僧」

「――おう」


 どこから取り出したのか、二人とも手に何かを持っている。よく見てみると――、


「ちょっと二人とも! なんで早苗ブレードとスパナを持っていくのよ!?」

「なにって、お前――」

「肝試しは元来そういうものだろ?」


 違う。絶対に違う。

 ちなみに早苗ブレードとは、早苗さんがスティック型ドーナツを長くする際に、自重で折れないよう生地の強度を高めた結果、高めすぎてしまったという代物で、木刀くらいの威力があったりする。


「秋生さん、それ途中で食べるんですか?」

「あぁ、まあ、そんなところか。腹が減ったら肝試しなんて出来ねぇだろ?」


 パンを食べながら肝試しなんてのも、普通は出来ない。


「よし、それじゃ汐、行ってくるぞ」

「……けが人だけは出さないでね、おとーさん」


 おう、とおとーさんとあっきーが声を合わせ、いってきますねーと手を振った早苗さんと共に、山道に消えて行く。

 ……やがて、


「ほわちゃ!」

「な、なにぃぃぃぃ!?」

「じゃ、ジャック・オー・ランターンならぬ、ジャック・オー・早苗パーンだとぉ!?」

「でっかいおむずびですねっ」


 ――一体ナニを仕込んでいるんだろう。

 発起人に聞こうにも、「ああ、マシュマロで首を締められるってこんな感じなんだね……気持ち苦しい……」とうなされているばかりで訊けなかった。

 そのまま、藤林先生たちと待っていると――、


「きょ、強敵だった……」

「ああ、あやうくこっちがやられるところだったぜ」


 なぜかボロボロになっているおとーさんとあっきー、そして無傷の早苗さんが戻ってきた。


「ふたりとも、格好良かったですよっ」


 ――これ、肝試し、だったよね?


「んじゃ、ラスト。汐ちゃんたち、準備いい?」


 進行役(?)の春原のおじさまに代わり、藤林先生がそう訊く。


「まあ、なかなか良くできていたから、結構楽しめるぞ」


 と、師匠。


「汐、刃物(ヤッパ)が来たらまず避けろ。動きが大振りだから次がくる前にお前なら落とせるからな」

「オッサンの言う通りだ。あと頭上から降ってくる奴に気をつけろ。かなりの使い手だぞ!」

「汐ちゃんも風子ちゃんも、ファイトですよっ」


 いまいち頼りにならないおとーさん達の助言を受けて、わたしとふぅさんは山道へ一歩踏み出した。



「……ねえ、ふぅさん」

「ははははい?」

「Tシャツ、伸びちゃう」

「あっ……」


 慌てて、今まで掴んでいたTシャツの裾を離すふぅさん。

 最初はただ掴んでいただけだったのだが、途中で自分の胸元にまで手繰り上げるものだから、Tシャツがめくれてお臍が出てしまった故の処置である。


「ふぅさん、もしかしてこういうの苦手?」


 ふぅさんに持たせるとちょっと不安なため、懐中電灯と地図を片手ずつで持ちながら、わたしは訊く。


「そんなことないです。肝試しなんて、ヒトデの前のウニです」

「それ、ウニの方が強そうに見えるんだけど」

「そんなことないです。ヒトデは海の王様です」


 それは、すぐに下克上が起こるような気がする。

 ただそれを口に出すと、話がどっかへ飛んで行くからうしようかなと思っていると、

 どさっと、わたし達の背後に何かが落ちた。


「わーっ!」

「ちょ、ちょっとタンマ! それ以上Tシャツ引っ張ったら伸びるを通り越して破けちゃう!」


 ふぅさんが、裾を掴んだままわたしを落下物からの盾に使おうとするおかげで、わたしはそれと正対することになった。――って、これは、


「……ふぅさんアレみて」

「――そうは行きません。目を開けたら世にも恐ろしいものを見せて風子を驚かせようとしたって……」

「いいから、ほら」


 わたしがそう促すと、ふぅさんはしぶしぶ目を開けて――


「でっかいヒトデですっ!」


 先程の態度はどこへやら、自ら駆け寄って行った。

 そう、落ちて来たのは、でっかいヒトデである。暗くて良く見えないが、それは大体わたしの胸ぐらいまである代物で――って、


「ちょっとふぅさん、それトラップかもしれないんだからっ」


 わたしの忠告は、今一歩のところで遅かった。

 ふぅさんは、わたしの声におかまいなくそれに向かって抱きつこうとばかりにダイブし――、

 ぶちゅる、と嫌な音を立ててヒトデにめり込んだ。それはもう、頭から肩までずっぽりと。


「なっ――ふ、ふぅさん!?」


 慌てて駆け寄り、ふぅさんを引っこ抜く。

 引っこ抜いて気付いたことに、ふぅさんがめり込んだそれは、コンニャクゼリーで出来ていた。

 方向性はアレだが、匠の技だと思う。

 引き抜いたふぅさんだが、顔に表情はない。

 呆然としている。

 だが、それは徐々に泣きそうな顔になって、


「わーーーっ!」

「うわっ、ストップストップ!!」


 わたしの制止もお構いなしに、ふぅさんは猛烈な勢いで駆けていってしまった。

 行き先とは反対方向、つまりはスタート地点に向かって。


「ああ、もう――!」


 わたしも、追いかけるべく走りだす。




■ ■ ■




 道に迷ってしまった。

 それはもう、正々堂々と。

 一本道しかないところを出鱈目に走り回って、風子は別の山道に飛び出てしまった。

 そこでようやく我に返り、辺りを見回す。

 先ほどまで、背後から汐が声を掛けていたような気がするが、今はどこにもその姿は見えない。それどころか、人影のひとつもなかった。


「これは……風子人生最大のピンチです」


 しかし風子はへこたれない。泣き言はやることをやってからである。風子はとりあえず一歩を――、


「――!」


 踏み出せなかった。

 飛び出した山道に、風子は全く見覚えがなく、そういった場所では下手に出歩くと危険であることを、風子自身知っていたためである。


「――困りました」


 それでも風子はへこたれない。

 まずは自分で出来ることをやってからである。

 とりあえず、手近なところで腰を下ろして誰かが探しに来てくれるのを待とうとし――、


「どうかしましたか?」


 突然掛けられた声に、思わず飛び上がってしまった。


「ど、どちら様ですかっ!」


 慌てて場違いな問いを発する風子。


「ど、どちら様と言われると困ってしまいます……ただの観光客と言えばいいでしょうか」


 風子に声を掛けたのは、汐より少し年上と言った感じの女性だった。


「それでいいです」

「ありがとうございます。それで、どうかしましたか?」

「風子はどうにもなってないです。でも、状況的には迷子に似ているのかもしれません」

「それは大変です。どちらに行きたいんですか?」

「どちらかというと山道の入り口の方です」

「じゃあ、そこまで一緒に行きましょう」


 そう言って、女性は手を差し伸べた。風子はその手を見つめたまま、


「汐ちゃんと、よく似ています」

「……えへへ」

「前に風子と会いませんでしたか?」


 そう言いながら、手を掴んで立ち上がる風子に、


「会ったかもしれないです」


 ちょっと悪戯っぽく笑って、女性はそう答えた。




■ ■ ■




「戻ってない!?」


 スタート地点までダッシュで一気に戻ってきたわたしに待っていたのは、ふぅさんが帰っていないという事実だった。


「いま、全部のチャックポイントにいたジェット達に連絡したけど、風子ちゃん通らなかったって!」

「なんで一本道で迷子になるのよ!」


 そう叫んでしまう藤林先生に、


「そんなこと僕に言われたってわかるわけないだろ!」


 と春原のおじさまも叫び返す。


「とりあえずあれだ。脚に自信のあるやつが探しに出て、残りが待機。深夜回っても見つからなかったら警察に連絡。これでどうだ?」

「うん。それで良いと思う。だが朋也、すでに山道にいた連中が見ていないとなると山全体を探し回ることになるぞ?」


 師匠の言う通り、ふぅさんは山道から外れた可能性がある。


「風子が迷子に気付いて、ちゃんと待っていることを期待しよう……オッサンは早苗さんと部屋に戻っていてくれ。なんかあったら部屋に電話入れるから」

「わかった。小さいことでもちゃんと連絡入れろよ」

「汐、風子が走り出したところは、地図で言うとどこら辺かわかるか?」

「ちょっと待って」


 おとーさんに言われて、わたしは地図と歩いた景色を頭の中で合わせながらゆっくりと指でなぞり始める。 

 確か、第一チェックポイントを少し過ぎたところだから……、


「汐ちゃん、どうかしましたか?」

「ふぅさんが迷子になっちゃったのっ。とりあえず手分けして探すことになりそうだから、ふぅさんは大人しく部屋に戻って――ちょっと待てえ!」


 迷子になったはずの当のふぅさんがわたしの隣にいた。

 気付いていなかったのは地図を見ていたわたしだけで、顔を上げて見回してみればみんなは顔がハニワになっている。


「風子ちゃん、心配しましたよ」


 あ、早苗さんだけはハニワじゃなかった。いや、そんなことはどうでもいい。


「ふぅさん、今まで一体何処にいて、どうやって戻ってきたの?」

「風子、道に迷ってしまいました。そこに通りかかった親切な人にここまで連れてきて貰ったんです」

「親切な、人?」

「はい。風子の隣りに……あれ?」


 誰もいない。

 この場にいるはわたし達だけで、春原のおじさまの後輩達もまだここまで降りてきていない。


「汐ちゃん大変ですっ! 風子を案内してくれた人が今度は迷子になってしまいました!」

「いや、それはないから」


 多分、ふぅさんが無事に合流できて、安心して帰ったんだろう。


「あれね、挨拶ぐらいしたって良いのに。お礼言いそびれちゃったじゃない」

「私のようにそれを言われるのが苦手な人だったのかもしれないな」


 と、藤林先生と師匠。


「汐ちゃんよりちょっと年上かぁ……かわいい娘だったみたいだから声を掛けておきたかったね」

「お前それ、犯罪すれすれだからな」


 と、春原のおじさまとおとーさん。


「しっかし、こんな夜にひとりで山道歩くたぁ、なにやってたんだろうな」

「きっと地元の人が散歩をしていたんですよ」


 と、あっきーと早苗さん。


「本当にさっきまで風子の側にいたのですが……もしかして今が旬の幽霊でしょうか」


 と、ふぅさんがわたしに訊く。


「まさか」


 わたしは肩を竦めてそう答え、山道入り口の方を見やった。


 そのまさかでも、いいんだけど。


「とりあえず、帰りましょ。明日もまた、ここで遊べるんだしね」


 わたしはそう言って、片目を瞑ってみせた。

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