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『十七年目の、夏』  作者: 小椋正雪
12/25

第12話:ゆびわ

「痛っ」


 押入を掃除していたら、上の方から何か小さなものが落ちてきてわたしのおでこに直撃した。

 わたしは、それが床に落ちる前に素早く拾い上げる。

 どうも、押入の桟の裏に出来る出っ張りに、こっそり隠してあったものが落ちてきたらしい。

 手に取ってみると、それはビロード打ちの小箱――すなわち、




『ゆびわ』




 ちょっと昔の話になる。

 あれは、わたしがまだおとーさんをパパと呼んでいたころで、なおかつ長かった熱が引いたころだから、小学校低学年あたりだったはずだ。

 そのころのわたしはまだ家事がろくに出来なくて、料理洗濯はおろか買い物も不十分だったから、外に出かけることなく家の中にいるだけのことが多かった。

 それでも、簡単な(というより軽い)買い物はどうにか出来るようになっていたし、おとーさんもそういうものは積極的に任せてくれるようになっていたから、わたしはその日の朝も、何か買い物がないかと思いっきり期待した顔で訊いた覚えがある。


「いや、駄目だ。あと、悪いが今日は学校が終わったら大人しく家にいてくれ」


 だから、そのおとーさんの言葉はわたしを暗澹とさせるのに十分なものだった。

 当時のわたしはまだ友達が少なくて、遊びに行くことはもっと少なかったから、そっちの方はたいして気にもならなかったが、折角行けるようになった買い物をしなくて良いと言われたのにはショックだった。

 だから、その日は学校の宿題もそっちのけで、普段はやる家事のまねごと(今思うと恐ろしいことに、畳を水拭きした覚えがある)もほっぽり出して、わたしは床に寝そべり、おとーさんが買い直してくれたあのロボットをギュンギュン鳴らせたり、あっきーが買ってくれた車に変形するロボットを車にしたり、ロボットにしたり、途中で変形をやめたり、なんだかよくわからないものに変形させたりしていた。


「ただいまっ」


 そんななか、おとーさんが帰ってきたのは夕暮れ間近。

 普段より、少し早めだった。


「悪い、待たせたな、汐。これから一緒に出かけるから、用意してくれ」


 そう言ってばたばたと着替える始めるおとーさん。

 でも、わたしは床から起きあがって座り込むだけで、何もしなかった。


「……汐?」


 俯いているわたしに、何かを感じたのだろう。

 心配そうに問いかけるおとーさん。

 でもわたしは、


「……いかない」


 と言ってかぶりを振った。


「なんでまた——」

「やくに、たたないから」

「は?」


 たぶん、その瞬間。

 おとーさんにとっては何がなんだかさっぱりわからなかっただろう。

 だけど、朝からの言動を巻き戻して行くうちに気付いたらしい。

 ポンと手を打った後、未だ座り込んでいるわたしに会わせて腰を下ろすと、


「ごめん、汐。説明が足りなかった」


 と言って、まず頭を下げた。

 そして、びっくりしておとーさんを見上げているわたしの頭に手を置くと、


「今日はな、一緒にある場所に行きたかったから、買い物に行く必要はなかったんだ。別に、汐に買い物をして欲しくない訳じゃないんだよ――」


 そう言って、置いたままの手でゆっくりと撫でてくれる。

 そこでわたしは、自分が誤解していたことに気付いた。

 顔が熱くなって、同時に涙が出そうになる。

 でも、わたしはぐっと堪えた。

 折角おとーさんがそう言ってくれたのだから、泣くわけには行かないと思ったからだ。

 そんなわたしを、おとーさんは優しい目で見つめて、


「ごめんな、汐」


 そう言って、くしゃっと強めに頭を撫でてくれた。




 夕暮れのオレンジの中、わたしとおとーさんは広い丘の斜面にいた。

 辺りには、ところどこに石で出来た記念碑のようなものが立ち並んでいる。

 そこは、霊園。そして、わたし達の前にあるのはお母さんのお墓だった。


「よっ、こんな時間にごめんな」


 おとーさんは、そうお母さんのお墓に話しかけると、ポケットから小さい包みを取りだして、その包装も解いた。

 中から出てきたのは、ビロード打ちの小箱。

 おとーさんは、それがわたしに見えるようにわざわざ開けて見せてくれた。


 それは、綺麗な指輪だった。


「パパ、これ……」

「うん、汐は、結婚指輪って知っているか?」


 話には聞いたことがあるし、テレビで観たことがある。だからわたしはコクンと頷いた。


「そうか。さすがは汐だな」


 そう言って、おとーさんはニカッと笑うと、小箱をお母さんのお墓から、よく見えるようにそっと置いた。


「悪い、大分時間をかけちまった。こつこつと時間かけて貯めていたら、思ったより長くなっちゃってさ。でもお前無理するときっと怒るし――」


 そうお母さんに話しかける、おとーさん。


「遅くなったけど、これ、やっとみつかったんだ。俺とお前の結婚指輪」


 そう言って、深く、頭を下げる。


「あれから随分と経ったよな。でも、俺は忘れない。今日は俺とお前が一緒になった日だ」


 風が強く吹き付けてきて、わたしは思わずそちらの方を向いた。

 すると、そこには夕陽が山に沈んで最後の一筋の光を投げかけていた。

 それが何故か、わたしには涙に見えた。




 どっかで飯を食おうとおとーさんが言って(それが、買い物をしなくて良いって意味だったのだとわたしはそのときになってやっと気付いた)、わたし達は街の中を歩いていた。


「パパ」

「ん?」

「どうして、ゆびわをママのところにおいていかなかったの?」


 わたしがそう言うと、おとーさんは苦笑して、


「色々理由があるんだけどな。指輪をあそこに置いたままでも、ママは喜ばないと思ってさ」

「どうして?」


 答えを聞きたくて、わたしはそう訊いた。


「それはな、ママは多分、汐に持っていて欲しいと思うからだよ。大人になった汐がそれを持っていてくれると、ママは嬉しいと思うんだ」

「パパも、嬉しい?」

「うん、俺も嬉しい。だからな、汐が大きくなるまでこの指輪は俺が預かっておく。というか、隠しておく。汐が大人になって、それを見つけられたら、改めてこの指輪を汐にあげる。どうだ?」


 面白そうだろう? そう付け足すおとーさんに、わたしは力一杯頷いて堪える。


「早く大人になるね、パパっ」

「おう、楽しみに待ってるぞっ」




■ ■ ■




「これ、隠してるっていわないんじゃ……」


 改めて開けてみた小箱の中には、予想通りあの指輪が綺麗に収まっていた。

 それは、あれから十年ほど経っていたのに、記憶の中にある輝きを保っていて、手入れを欠かさず行っていることが十分に窺えた。

 わたしは、その小箱をそっと閉じると、一回だけ胸に押し当て、そして元の場所に戻した。ついでに押入の掃除をある程度逆行させて、証拠隠滅に勤める。

 なぜだかよくわからないけれども、

 わたしは、もうちょっとだけ子供でいようと思ったからだった。


「ん?」


 そこで何かに引っかかり、わたしはカレンダーをのぞき込む。今日の日付は……あ、やっぱり。


「結婚記念日、おめでとう。お母さん」


 わたしは振り向いて、戸棚の上にあるお母さんの写真に向かってそう言った。

 写真の中のお母さんは、いつもと変わらないはずだけどそれでも――いつもより嬉しそうに笑っているように見えた。


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