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『十七年目の、夏』  作者: 小椋正雪
11/25

第11話:わたしのお師匠様

 その日、わたしこと岡崎汐が、いつも通り――朝練で他の生徒より早く――に登校すると、あの坂で、青々と葉が茂る桜を見上げている女性を見かけた。

 わたしよりも長い髪を風に流し、男性のそれとほとんど変わらないスーツ姿がしっかりと決まっているその人は、物憂げに桜を見上げながらも、周囲にある程度の緊張感を撒き、誰も近づけないような雰囲気を纏っている。

 ある意味、こんな器用なことができる人は、わたしの知っている限りひとりしかいない。


「おはようございます」


 わたしは、手を上げて軽く挨拶をした。同時にカバンをそっと地面に置く。


「うん?」


 女性が振り向いた。その時には、わたしは一気に加速している。

 女性が、わたしの行動に気付いた。

 だけどもう遅い。わたしは勢いを付けたまま、身体を半回転させて回し蹴りを放った。

 スピードもタイミングも申し分ない、最速の蹴り。

 だがしかし、その後を追いかけてきた刀のように鋭い蹴りががっちりと弾き、わたしは体勢を崩して2、3歩たたらを踏んでしまう。


「まだまだだな……だが、速度が上がったか。精進しているな、汐」


 振り上げた脚を素早く戻し、腕組みをして、女性がそう言う。


「……ありがとうございます」


 半歩退いて、わたしは深く頭を下げた。


「そして、お久しぶりです。師匠」

「うん。久しぶり」




 坂上智代。師匠の名だ。

 今は教育関係の仕事をしているらしい。

 曰く、使いっ走りのようなものだとのことだが、その範囲がものすごく広い。必要であれば平気で国外に数カ月出張するような人だ。

 出会いは、わたしが小学生のときに遡る。

 わたしが色々といじめられるたびに、サングラスをかけた謎のパン屋と電気工のコンビが乱入してくるようになって、わたしが独りでなんとかしようと思い始めた頃のことだ。

 そのとき、わたしは学校の裏庭でホウキを持ち、謎の二人が持つ金属バット型メロンパン(それで叩かれるとそれなりに痛い上、ベトベトして後で洗わないといけなくなる)よろしく、素振りの練習をしていた。


「何をしている?」


 そこを通りがかったのが師匠だった。わたしは、見つかったことでしどろもどろになりながらも、いじめられないようにするための特訓だと答える。


「いくら女の子でも、武器持ちはいただけないな」


 と、師匠は言った。

 じゃあ、どうすれば……とわたしが問うと、


「大丈夫だ。女の子はいくらでも強くなれる」


 そう自信たっぷりに、いや、確信を胸に宿して力強く断言する。


「私が、教えてやろう。名前は?」


 わたしが名乗ると、師匠は一瞬、何とも言えない表情になって、


「そう言えば、名簿に乗っていたな……これも何かの縁か」


 と呟くと、少し屈んで私と視線を合わせ、


「私の名前は坂上智代という。よろしくな。汐」


 そう言って、わたし達は握手を交わした。



 ここからが結構きつかった。



「瞬発力を武器にしろ。筋力の差は使う部分の多さでカバーするんだ。因縁を付けてくるような相手は、大抵一部分の筋肉しか使っていないから、力差なんて簡単に覆すことができる。――腕立て20回追加」


「相手を気遣って手加減するのも思いやりだが、早く終わらせるのだって立派な思いやりだ。戦闘は極力短時間で終わらせるべきだということを忘れるな。――スクワット25本」


「相手が武器を持っているからといって、自分も同じ武器を持つ必要はない。自分の間合いを完全に把握していれば、そして相手がその武器に不慣れなら、拳ひとつでなんとでもなる。――腹筋30回!」


 とまあ、……一部に過激な表現もあったが、師匠の教えは的確で、わたしは瞬く間に強くなり、今じゃ一部の生徒から恐れられていたりするようになったのである。




「今日はうちの学校でお仕事ですか?」

「うん。ちょっとここの学校のお偉い方に用があってな。それで来た」


 ――ただ、少し早すぎたみたいでな。と、師匠は続けた。

 だから、この桜を眺めていたのだという。


「それにしても、そのスーツ、暑くないですか?」


 わたしは既に夏服になっている。

 師匠が着ているのも、おそらく夏用のスーツなんだろうが、上着もスラックスも濃いグレーで、端から見ると暑そうなことこの上ない。


「確かに暑い。でも、もう慣れた」


 もう何でもないぞといった表情で、師匠。


「――参りました」

「何がだ?」

「わたしじゃ多分、一時間もしないうちにギブアップです」


 おどけて肩を竦めてみせると、確かに駆け回ってばっかりの汐じゃ、この格好はきついなと言って、師匠は笑った。

 わたしも、つられるように笑う。


「――少し、変わったな」

「え?」

「さっきの脚捌きからも感じたが、佇まいが澄んでいる。元が濁っていた訳じゃないが」

「よく言われます。何処がどう変わったかはわからないけどって」

「確か、この前会ったのは、古河――じゃなかった、岡崎――だと朋也も指すし汐も指すな……渚としよう」


 うんうんと頷く、師匠。


「この前会ったのは――渚の、墓参りの時だったな」

「……はい」

「そこで一度居なくなっただろう。その後からだと思ったんだが」


 ――鋭い。

 おとーさん以外気付かなかったのに。


「あのときはその……色々あって」

「そうか……」

「そういえばあの時……」


 このとき、わたしが言った言葉はただのちょっとした疑問だった。


「師匠、あの時一言も喋りませんでしたね。それに……あの後の飲み会にきませんでしたし」

「ああ、うん……」

「師匠?」


 急に歯切れが悪くなった返答に、思わずわたしはまじまじと見つめてしまう。

 すると、師匠は珍しいことに、居心地が悪そうに視線を逸らして、


「アルコールは元より苦手なんだ。それに、ずっと前に朋也に悪いことをした覚えがある」


 ……悪い、こと?


「それ以来、どうもな……」

「それって……」

「――そうだな。汐には聞く権利がある」




■ ■ ■




 古河――じゃない、渚が亡くなって十回忌の時だ。

 昼過ぎに、私は彼女の墓地に向かった。

 葬式の時、私は側に居てやれなかった。

 朋也が一番辛い時に居られなかったからという訳でも無かったが、なるべく渚の墓参りは欠かさないようにしていた。

 バスケットボールの試合に勝つために集まったという、思えば不思議な縁だったが、それでも私はできうる限り足を運ぼうとしていた。それがお前の母親の魅力だったのかもしれないな。

 ただ、色々な都合が邪魔してな。命日ぴったりに合わせられたのが、その時が初めてだった。


 渚の墓へと至る丘を登りながら、私は当然のように、朋也が居ると確信していた。

 だが、着いてみると誰も居なかった。

 いや、墓は綺麗に掃除されていたが、花も何も無くてな。

 代わりに私が持ってきた花を供えて、しばらく手を会わせていた。

 そのまま、時間が許す限り待ってみたが、朋也はとうとう来なかった。

 怒った。か

 なり真面目に怒った。

 その晩、私は朋也の家に電話を入れ、彼を問いただした。

 一体何をしていた。

 命日くらいちゃんと逢いに行け。

 お前にとって渚は大切な人だったろうと。


 朋也は最初、何も言わなかったよ。

 ただ、済まないとだけ言っていた。

 私はその時本当に馬鹿だった。

 止せばいいのに理由を問いただしたんだ。

 何故、来なかったのかとな。


 朋也は、静かに答えてくれた。

 汐と誕生日を祝ってたから。


 顔から火が出るかと思うくらい恥ずかしかった。

 私は、渚のことばかりを考えていて……汐、お前のことを全く考えていなかったんだ。

 本当、あまりの情けなさに涙が出たよ。

 私は朋也に謝って、電話を切った。


 それっきりだ。




■ ■ ■




「――以来、どうも駄目でな。頭では理解しているんだが、どうにも顔を合わせづらい」


 あの時の電話か……。

 わたしが、十歳になったときの電話はよく憶えている。

 電話を受け取ったおとーさんが受話器を戻したときの、すごく寂しそうな貌は、今も鮮烈な色合いのまま、記憶として残っていた。


「……でも、それから七年経ってますよ」

「……そうだな」

「会ったらどうです?」

「そうか、じゃあ会おう――というほど、気持ちに整理は出来てない」


 この人にとっては珍しいことに、あさっての方向を向いて、師匠。


「おか――母だったら、何と言うでしょうね?」

「ずるいぞ、汐。……それを言われると、辛い」

「じゃあ――」

「だが、渚が直接言っている訳でもない。だから、そう言われても飲めない」

「それじゃ――」


 うだうだ考えるのはあまり好きじゃない。ここら辺は、岡崎、古河両家の血が流れているわたしだ。


「それじゃ、わたしと勝負してください。勝ったら父に会う。それでどうです?」

「それは、無謀だ」

「無謀でも――」


 しっかりと前を見て、わたし。


「やらなきゃいけない時があります」


 すると、師匠は目を細めて、


「渚に似てきたかな……いや元からか。いいだろう、多少痛い目にあっても文句は言うなよ?」

「もちろん」


 腰を低く落として、わたし。


「汐、勝利条件は?」

「師匠が決めて良いです」

「そうか……では、お互い、一発でも入ったら勝ちとしよう」


 ――それは、ちょっとキツイ。一瞬そう思ったわたしの表情を読みとったのか、師匠はニヤリと笑って、


「前に言わなかったか? 勝負は勝負を行うと決めたときから始まっていると。そして始まる前までに、出来うる限り己の勝利確率を上げておくようにと」

「……言いましたね」

「きついだろう」

「――必ず覆します」

「よし、わかった」


 私に向き合い、両脚を肩幅に開いて、師匠はわたしを一直線に見つめた。


「――来い!」



 距離は三歩足らず。

 直接攻め込める距離だったが、わたしは斜め前に突進し、結果として師匠をすり抜けた。

 坂での戦闘となると、やはり上を取った方が良い。

 ぎりぎりですり抜けた際に振り返り、追撃に供える。

 師匠は、何もしてこなかった。

 ただ、振り返ってわたしと正対しただけだ。

 攻め込まない限り、何もしない。そう言う意思表示だ。

 ならばと、わたしは一気に接近する。

 得意の蹴り――聞けば、おとーさんも得意なのは蹴りだったそうだ――はフェイントで、本命は拳。

 下段で放ったように見せかけた右脚を踏み込みに使い、左手で肩口、右手も同じく肩口を狙って順次放つ。

 ……二発とも、高々と上がった蹴り脚に、易々と弾かれた。

 しかも、そのまま頭を狙って降下してくる。

 わたしは身体を一気に沈めて、軸足狙いの脚払いを仕掛けた。

 すると今度は踵落としの脚がさらに加速して着地し、そのまま跳躍してかわされる。

 でも、跳躍したらその軌道は変えられない。

 わたしは今度は対空射撃のように上段蹴りを放った。これは当たると、確信を持って。

 ところが、師匠は空中で姿勢を変えて、桜を軽く蹴っていた。これだけで軌道は大きく変わる。結果として、わたしは上段蹴りのまま大きく隙を作り、師匠は通常の跳躍より素早く着地できてしまった。


「貰ったぞ!」


 師匠が鋭く叫び、回し蹴りを放つ。

 わたしはしばらく使えなくなるのを覚悟で、無理矢理腕をガードに回す。

 が、延びきった筈の右脚の軌道が、ぐんと曲がった。

 狙いはわたしの首じゃなく……お腹!?

 まずい、当たる。しかも当たるとかなり痛い部位だ。

 師匠は、手加減は出来るくせに、本気になると寸止めが出来ないのだ。

 もう駄目かな……そう思ったとき、

 

 春一番並みの強い風が一迅、わたしの背後から吹き付けた。


「む……」


 師匠が一瞬たじろぎ、軌道が若干ながらずれる。

 ――チャンス!

 わたしは肩から一気に接近し、接触ぎりぎりのところで拳を打った。

 それは、師匠の胸の谷間に、文字通り寸止めで止まる。

 風が、やんだ。


「わたしの勝ち――ですよね?」

「……ああ、間違いないな」


 呆気にとられたように、師匠。


「さっきの風は――渚が起こしたのかな」

「そうですね」


 そんな気がしないでもない。


「だが、勝ちは勝ちだ。約束は守ろう」


 どこか重荷が取れたような貌で、師匠はそう言った。




 その後、師匠と別れて。

 授業の合間、校長先生がわたしの教室を訪ねにきた。

 何事かと、思ったが、なんでも師匠から伝言を承ったらしい。

 内容は、『先に帰る。約束は必ず守る』とのこと。

 校長先生に伝言を頼む師匠も師匠だが、それをわざわざわたしのところに伝えにくる校長先生も校長先生である。

 そして、放課後。


「号外~、号外~」


 教室を出て、部室に向かう途中、昇降口前の広場で新聞部の部員が新聞を配っていた。


「号外~、号外~、ご、ごご、ごごご」


 なのに、わたしを見るや否や、動きを止めたかとおもうと、


「ひ、ひぃぃぃぃぃ~――」


 一目散に逃げていった。


「……春原のおじさまみたいね」


 思わず呆れてしまう。

 だが、もっと呆れてしまう事態が部室に転がっていた。

 わたしを除く部員全員が、新聞を読んでいたのである。


「……どうしたんですか?」


 思わず、部長に尋ねてしまうわたし。


「ああ、新聞部の号外が出てな……ところで岡崎」

「はい?」

「お前、以外と可愛らしい趣味も持っていたんだな」

「は!?」


 ロボットと機械いじり以外に、特にそう言った趣味は持っていないのだが……、


「部長、それって――」


 何も言わず、号外の校内新聞掲げる。それには、でっかい写真付きでこう書かれていた。


『激震! 鋼鉄の岡崎はだんごのワンポイント! ~謎の美女とツーショット!?~』


 …………。

 そっか、スカートで大暴れしたんだっけ。わたし。


「なんか最近、写真週刊誌みたいになってきたな、うちの新聞部……」

「ですね。この煽り方がなんとも」


 部長と副部長でそんなことを言っている。

 わたしは、新聞を握りしめた。


「……うっしー?」

「おのれ、新聞部――っ!」

「大変だっ、岡崎がキレたっ」

「各員部室入り口を確保しろ! 今の岡崎を外に出すと血を見るぞ!」




 ……そんなこんなで、疲れた身体を引きずりながら家に帰ると、おとーさんが先に帰っていた。


「お帰り」

「ただいま……」

「どうした? なんか疲れているみたいだが」

「うん、ちょっとひと暴れ――じゃない、ふた暴れしてきてね……」

「そうか……」


 珍しいことに、新聞を読みながらおとーさん。

 って、まって。

 その記事構成は――、


「ちょ、おとーさん、それっ!」


 間違いなく、新聞部の号外だった。

 わたしはおとーさんの手からそれを素早く奪い取り、一気に丸めてごみ箱に放り込む。


「あー……」

「残念そうな声を出さないのっ! っていうか、どこで手にいれたのよ!?」

「ああ、オッサンにもらった」


 な、なんであっきーが……。


「ちょっと古河家に行ってくる……!」

「あと5、6部はあるらしいから、がんばってな」


 うがーっと叫んで、わたしは家を飛び出そうとし――、


「ところで、ここで一緒に写っているの、智代だろ?」


 と言ったおとーさんに、慌てて急制動をかけた。


「なにかあったの?」

「ああ。さっきな、電話がかかってきた」

「……なんて?」

「謝りたいことがあるから、時間を作れないかって、な」

「それで、なんて返事したの?」


 と、わたし。


「無論、OKってな」

「そうなんだ。良かった……」


 後はもう聞かなくても大丈夫。おとーさんと師匠が向き合えば、きっと元通りになる。

 わたしは満足して、あっきーから号外を奪うべく、家を飛び出した。


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