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『十七年目の、夏』  作者: 小椋正雪
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第1話:『十七年目の、夏』

 ――久々に、あいつの夢を見た。

 あいつは、白いサマードレスを着て、ゆっくりと坂を下ってきた。

 俺は坂の下であいつを迎える。

 あいつは相変わらずゆっくりと俺の近くまで下ってくると、少し申し訳なさそうに小さく頭を下げた。


『……朋也くん』


 俺はあいつの頭をゆっくりと撫でる。すると、あいつはあの時、あの姿のままにっこりと笑って――。


『……朋也くん――生きているんだったら返事して!」


 ひどい言われようだった。

 同時に、何かがガンガンと叩かれる音がする。

 俺は静かに目を開ける。

 どうも、汐が家に帰ってきたようだった。



「まったく……ちょっと合宿に出ただけでコレなんだから」


 長い髪を翻しながら、汐はじとっと俺を見つめてそう言ってくれた。


「……悪かったな。生活能力のない父親で」

「甘えでしょ」


 ——見抜かれていた。


「昔はちゃんとやっていたって早苗さんから聞いているもん。……あーあー、またこんなに洗濯物ため込んじゃって」

 しょうがないというふうに肩をすくめて、汐は貯まり貯まった洗濯籠を両手で洗濯機に持っていった。


「娘に頼り過ぎよ、おとーさん」

「だな」


 よっこらしょとちゃぶ台に座る。

 認めざるを得ない。

 高校生になってから、こいつの家事能力は俺やあいつをあっさりと凌駕していた。

 現に、既に戦場跡と化していた流しが、綺麗さっぱり片づいている。


「しっかし、お前もアホな子だな。家の鍵忘れてどうするよ」

「しょうがないでしょ。うっかりようっかり。それに結果的には入れたわけだし」

「俺が盆休みだったからな」

「それをちゃんとわたし覚えていたしね」


 お互いに、笑い合う。


「だがな、娘よ。次はないぞ」

「わかってるわよ、おとーさん。ところでお昼は?」

「無論まだ」

「でしょうね。チャーハンでいい?」

「おう」

「じゃ、ちょっと待っててね」


 綺麗に片づいた流しの隣りに、汐は立った。


「そう言えば、汐」

「なに?」

「なんの合宿行ってたんだっけ、お前」

「あれ、話していなかったっけ。わたしの部活」

 聞いてない。

「なんだっけか」

「演劇部」


 ――ちょっとドキッとした。


「そうか……今はあるのか、演劇部」

「うん。何年か前に再建されたんだっけ。わたしが入学したときには既にあったよ」


 最近話をしていないが、自分の母親が演劇部を再建させようとした話を、こいつは知っている。

 だからかどうか知らないが、汐の声は少し低かった。


「で、なんの役だ?」

「――え? ああ、聞いて驚かないでね。ヒロインよ。ちょっとヒステリックな」

「わはははは!」

「なんでそこで笑うのよ!」


 いや、なんつーか。


「なんか、似合う役だなって」

「どういう意味?」

「いや、だってお前、杏に似てきたからさ」

「藤林先生? 幼稚園の?」

「ああ、そうだ」

「確かおとーさんの知り合いなんだっけ?」

「そうだ、一緒に馬鹿やったりしていた」

「ふーん……」


 その仕草を見ていると、自然と口の端が、ゆるむ。


「やっぱり杏に似てきたな」

「最近の学生って、みんなこうなんじゃない? それに藤林先生って優しかったわよ。……よく覚えてないけど」

「……かもな」


 よく覚えていない。

 その汐の言葉に、俺は深く頷いた。

 子供のときの記憶なんて、そんなもんだと思う。


「なあ、ちょっとやってみろよ」

「――何を?」

「劇の台詞」


 汐の背中が、困ったかのように微かに揺れた。だが、それは一瞬でフライパンを置いて火を止めてくれた。


「……ん。行くわよ」

 そう言って、汐はやおら振り返り力一杯踏み込みを入れると、

『だから! 私が嫌いなのは、あ・な・た!』


 と、行って俺をビシッと指さした。


「すいません、俺が悪かったです」

「……今の、劇の台詞なんだけど」

「あ、そうか」

「なに真に受けてるのよー」


 本当に、もう。

 そう言いながら、汐は昼飯づくりを再開した。


「なかなか上手かった。つーか、感情が籠もってた」

「そう言ってくれると、嬉しいわ。ありがと、おとーさん」


 誤解させたのを悪いと思ったのか、汐は弾んだ声でそう言ってくれた。

 俺はそれ以上、何も言わず、リモコンを操ってテレビを付ける。

 これ以上話しかけて昼飯を遅らせたくなかったし、失敗したく(そしてさせたく)なかったからだ。

 ただ、昼時なのであまりいいものはやってない。丁度今、ウキウキウォッチンの再放送が始まったところだった。


「タモさん、この頃から変わってないな……」


 まるで早苗さんのようだと思いながら、そう呟く。

 汐は答えない。答える必要がないと思ったか、料理に集中しているのか……。

 ——いや。


 汐はなにかを歌っていた。

 俺は、そっと耳を澄ませた。昨今のこいつにしては、妙に耳に優しいメロディは……。


「……だんごっだんごっだ・ん・ご♪ だんごっだっいっか・ぞ・く♪――」


 ――あぁ。


「なあ、汐」

「なに?」


 フライパンを器用に返しながら、つまりは俺には振り向かずに汐が答える。


「その唄、何処で聞いた」

「え、何処って……」


 ふたたびフライパンを置く。

 そして俺に振り返った後、


「——あれ? 何処でだっけ?」


 と、考え込み始めたので、俺は手を振りながら、


「いやいい。昼飯作るの続けてくれ」

「あ、うん」

「後、その唄も」

「え、なんか恥ずかしいんだけど……」


 そう言いながらも、汐は、あの唄を続けてくれた。

 そんな汐の声を聞きながら、俺は壁に背を預け、そっと目を閉じる。


「だんごっだんごっだ・ん・ご♪――」


 そして、さっき見た夢に対して心の中で呟く。




 申し訳なさそうに頭を下げるな、渚。

 こいつは元気に育って、俺やお前よりずっと強くて、

 ちょっと強すぎて少し心配だけど、でも。


 お前を何処かで忘れていないから。




「おとーさん、できたわよ。運ぶの手伝って!」


 汐の声が、明るく響く。

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