第一話
~大戦暦0年4月24日~
ナコ王国ヴァリアレーヌ地方サミフ、フルート私営図書館
季節は春。太陽の暖かな陽射しが降り注ぐ庭。青々とした緑の絨毯で、花々が咲き乱れ、乱舞する。
その中で汗を流して土いじりをする少年がいた。
「こんなもんかな……」
幼さが残る笑顔を上げて、少年は眼鏡を外した。現れた緑の瞳は満足そうに庭を眺める。
「相変わらずね。あなた、やっぱり庭師になったほうがよろしくて?」
花の香りがしそうな上品な声が、少年の独り言に応えた。声の主の姿は見当たらない。少年は驚きもしない。
「うん。ぼくもそう思うよ」
褒められた少年は、うれしそうに頷いた。
「おぅ~い。そろそろ昼飯にせんか~」
ここは図書館に併設された庭。少し開けた木陰から、初老の男が声を張り上げた。男は古い作業着を纏い、つばの広い帽子をかぶっている。
少年は手を上げて合図をすると、土いじりに使った道具をまとめる。
「お昼ご飯ですの? まぁ、楽しみですわ。シダスの奥さんのお料理は、お腹だけでなく、心も満たしてくれますわ」
楽しそうな声がする。今にも踊り出しそうだった。
いや、実際に彼女は踊り出していた。少年の目の前に姿を現して。
その姿は全身が透明だった。波紋のようにゆらめく羽衣を纏い、背中には同じく透明な四枚の羽根が生えている。向こう側の景色や光が、その四肢の色にする。腰より長い髪の毛は、細い蜘蛛の糸のようにきらきらと光を浴びて輝いている。
大きさは手のひらほど。ガラス細工のような彼女は、くるくると回りながら、光を纏い、輝き、踊る。
少年は楽しそうに彼女の舞を見ていた。
「ウィーネ。行こうか」
「もちろんですわ」
少年とウィーネと呼ばれた妖精は、弁当を並べている庭師のシダスのもとへ歩き出した。
大木の下、ほどよい日陰に陣取った三人は、弁当箱の蓋を取り皿にして料理に舌鼓を打つ。
「でね、やっぱりぼくはあそこに薔薇の垣根というか、道の両側に薔薇を植えたほうがいいと思うんだ」
少年は、お茶をちびりちびり飲みながら、シダスに聞いた。
「しっかしな。わかるんだが……それじゃぁ薔薇以外みてもらえなさそうだぞ」
シダスは庭師という生業から肉体を使うことが多い。それゆえ身体はがっしりとしており、とても五十を越えているようには見えない。
その性格も若々しく、どんなことにも挑戦してゆく気概を持っている。今も少年の意見に喜んで耳を傾けている。
「うーん。何かいい案はないかなぁ」
シダスに言われた少年は考え込んだ。
彼の癖で、考え中は顔を上に向けて、目を閉じてしまう。
それを面白そうに見ていたウィーネが、ちょこんと少年の鼻の上に乗った。
「じゃぁ、全部じゃなくて、途中まで薔薇のアーチを作って、そこから抜けると視界が開けるようにしてみてはいかがかしら?」
「おおう! そいつはいいなぁ。ウィーネちゃんのソレ、いただき!」
解決案が出たことで、少年は目を開き、顔を元へ戻した。
ふわりとウィーネは飛び上がり、少年の頭の上にうつ伏せに寝そべった。肘を突いて、笑顔で応える。彼女の全身、顔も含めて無色透明なので、表情を読み取るには少々苦労するが。
「ふふふ。ありがとう。でも、実際にやるのはお二人ですわ」
「はっはっは! 任しておけぇ! このシダスとカジカ坊ちゃんならば、世界一の庭を造る自信があるからな!」
「そ、そんなぁ。ちょっとやめてよシダス恥ずかしいよ」
まんざらでもない顔で、カジカと呼ばれた少年は、ささやかな反抗とも呼べない反抗を口にした。照れているのか顔が真っ赤になっている。それをごまかすように、カジカは玉子焼きを口の中一杯に放り込んだ。
カジカの緑色の細い髪の毛を引っ張って遊ぶウィーネ。
おかしな髪型になったカジカを見て爆笑するシダス。
顔を真っ赤にしてウィーネを掴もうと躍起になるカジカ。
何もない、いつもどおりの、そして、ささやかな幸せが辺りを支配する、なんでもない一日だった。