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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第九章  権謀術数
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第九十五話  彭脱

 汝南郡西華県での黄巾賊との戦いは、漢軍が西華県城を制圧した。ほぼ決着がついたとはいえ、県城の外にはまだ数千の残党が燻っている。


 大方の彭脱は生け捕りにされ、汝南黄巾賊の主要幹部とみられる数十人共々、西華県城の地下牢に監禁された。


 翌日の朝には、彭脱をはじめとする主要幹部たちは全員、西華県城の外で処刑されるのだという。


「君理よぅ。ホンマにオレらでやるんか?」


「やらなアカンのや。これは国家の為でもあるんやからな」


 日が沈み辺りが暗くなり始めた頃、朱治と呉景は一兵卒の格好をして地下牢に続く階段を降りていた。石畳でできた階段の下には松明の火が煌々と灯っている。


 先の潁川郡における大勝に続いて、汝南郡西華県でも漢軍の圧勝いたおかげで、県城内は戦勝祝いで賑わっている様子だ。


 そのおかげもあってか、地下の牢獄に辿り着くのに、さしたる困難も苦労もなくあっさりと来ることができた。


「そろそろ交代の時間でっ、です」


 地下牢の前には牢番が二人立っている。


「おう。でも、交代の時間にはちょっと早くないか?」


 一人の牢番は怪しい二人組みの男に不信感を抱く。


「でも、腹へってるや……だろ。これでも食って休んでこいよ。上じゃ皆、たらふく飲んで食って大騒ぎしてんで」


 朱治は懐からホカホカの(ちまき)を取り出し、牢番に渡した。


「う、ウマそうだな。ありがとうよ。酒も飲みたくなっちまう……ハハハ」


 喉をゴクリと鳴らし、朱治の手から粽を掴み取り、口に頬張った。


「ちょっと変わった味だな。でも、暖かくてウマイな。で、なんでこんなに早く交代する事になったんだ?」


「いや、牢に入ってる賊どもは、かなりの猛者ぞろいだと聞いてな。もしもの事があったら、と俺達みたいな屈強な男に交代させる事にした……ってことや」


 呉景はもう一人の牢番にも粽を渡した、するとその牢番も勢いよく食べ始めた。


「それなら、四人でいた方がいいだろ。オレたちも一緒に番してやるよ。それにしてもお前ら南方の出身か? 訛りがひどいな」


「お、おう。っちゅうか、南方訛りバレてたんや」


 結局、元からいた牢番たち二人は交代する事なく牢の前にいる。


 仕方なく朱治と呉景も牢の前に立ち、牢番と雑談し始めた。


 それから一刻ほどの時間が過ぎた頃、二人の牢番に異変が起き始めた。


「う、う、おおお、は、腹の調子が悪くなってきた。うう」


「おい、てめぇら、さっきの粽、腐ってたんじゃねぇのか? く、クソ、漏れそうだ」


「何言うてんねん、粽はホカホカの出来たてやったやろ? はよ、上に行ってクソ垂れてこいや。こんな所でホカホカのウンコ出してもうたらエラい事になるで」


「くっそぉ」


 二人の牢番は尻に手を当てながら階段を駆け上がっていった。


「ふう。やっと行きよったわい」


 呉景が片手で頭を抑えながら行った。


「やっぱり、あの粽に入れた“決明子(けつめいし)”っちゅう生薬が効いたんやな」


 決明子とはエビスグサ(決明)の種子の生薬名である。現在はハブ茶の原料として使用されており、便秘に効くお茶として流通している。


「ほな、はよ仕事を済ませよっか」


 朱治は懐からあの革袋を取り出し、手に持って奥の牢獄へと向かっていた。


「彭脱ちゅう奴はおらんのか? おるんやったら返事せいや」


 少々小声だが威圧的な声で朱治は、牢獄の囚人達に問いかけた。


「これがアレば外に出してもらえるんかもしれんのやで」


 これまた小声だが呉景は囁くように言う。すると、一人の囚人が牢の格子に飛びついてきた。


「その話、本当かっ」


 その囚人は両手で格子を掴みながら目を光らせて言った。


 身成はいかにも敗残者という風貌で着ている服はボロボロになっていた。


「おまえが彭脱っちゅう奴か」


 呉景が問いかけると、朱治も振り向いて近づいていった。


「そうだ、俺だ。だが、俺はどうなろうとかまわん。こいつらは出してやって欲しいんだ」


 おそらく彭脱であろうその囚人は、後ろにいる四人の囚人たちを指さして言った。


「こいつらも元は漢室に使えていた役人だった。殺すに忍びないのだ。一緒に蜂起した同志たちも皆、困窮した生活から抜け出す為に戦っただけなのだ」


 朱治は格子を掴んで顔を近づけて言った。


「んな話なんぞ知ったこっちゃないで。反逆者の末路は決まっとんねん」


 呉景は朱治の肩を持って後ろから話しかける。


「まぁ、ちょい待ちぃな。言うとる事がおかしいやないか。助けちゃる言うてんのに。なぁ、これを後からくる門番に渡してくれや。ほんなら助かるかもしれへんで」


 朱治は振り向いて呉景を睨んだが、気を取り直したのか数歩だけ後ろに下がっていった。


 呉景は朱治の方を向いて頷ずき、革袋から取り出した書簡を彭脱に手渡した。


「ほな、頼んだで。よっしゃ、そろそろ行こか」


 書簡を受け取った彭脱は二人に問いかける。


「ま、待て、これは一体なんだ?」


 呉景は朱治の肩を叩き格子から素早く離れた。


「話してる暇はないんや。ほなな」


 そう言うと、呉景と朱治の二人は振り向きもせずに、急いで牢獄から離れていった。


 牢獄から出た所で、鞮瞀(ていぼう)(革や鉄札(鉄札)で編み込まれた兜)を被った黒尽くめの番兵が二人戻ってきた。呉景と朱治は急ぎ足を止めた。


 小声でどうするこうするとヒソヒソ話をするが、二人の番兵は顔を下に向け小さく挨拶すると、朱治らを無視してすぐに牢獄へと戻っていった。


「あれ、さっきの奴らと違う番兵やったな」


「かめへん。いまのうちにズラかるんや」


「ああ、そやな。それより、あんなんで上手くいくんやろうか?」


「しゃあないって。なんとかなるやろ」


 楽観的な呉景だが、朱治と同じく一抹の不安を残す。


 二人の不安をよそに、先ほど戻ってきた黒い二人の番兵が、牢獄の中にいる彭脱に話しかけた。


「それを渡すんだ」


「あ?」


 たまたま牢の格子の近くに彭脱が立っていた為、番兵の一人が格子越しに手を伸ばし、強引に彭脱が持っていた書簡を取り上げた。


「何をしやがんだ、てめぇ」


「うるさいっ、この書簡を貴様が持っていたと、我が上司に報告しておく。わかったな」


「はぁ? 次々と何なんだテメェら、意味がわからねぇぞ」


 彭脱は格子にしがみついて、去ってゆく二人の番兵を引き留めようとした。


「待てっ、それが無いとコイツらを助けられねぇ。その書簡は助けてもらう約束でさっきの奴らから預かった書簡なんだ」


 黒い番兵の一人が振り向くと、顔を上げて彭脱の目を見た。


「なるほど。そういう事ならこの書簡を返してやってもいい。そして、必ず王予州に直接これを渡すように懇願しろ。その時に貴様の望む取り引きを持ちかけるんだ。いいな」


「な、なんなんだ。さっきから、その書簡にどんな意味があるんだ。それに、お前らただの番兵じゃねぇな。何を企んでいる?」


「オレは一度死んだ男だ。とにかく、この好機を逃すな。書簡を渡すんだ。わかったな」


 そういうと、黒尽くめの二人の番兵は去って行った。最初に来た南方訛りの二人と、つい先ほど現れた二人の番兵たち。


 時間を置いて、下痢の症状に見舞われた本物の番兵たち二人が帰ってきた。


「とんでもない目に遭っちまったぜ。さっきのあの粽に違いねぇ」


 彭脱は誰が誰なのか混乱したが、書簡を王允に渡せば仲間を救えるという言葉だけを信じて、下痢から帰ってきた本物の番兵たちに直談判した。


「この書簡は絶対に予州刺史に渡さねばならん。でなければ貴様らも一緒に獄に繋がれる羽目になるぞ」

「どういうことだ?」


 彭脱は牢獄で騒ぎ出し番兵たちを脅しあげた。さっそく事態は翌朝すぐに動き出した。

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